お気楽さんぽ

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2016年8月29日月曜日

とがった鉛筆は好きじゃない


芯の先が、少し丸いくらいがいい。細かくいうと丸くなりかけた頃が好き。天の邪鬼なのだ。「鉛筆占い」なるものがあったなら、優柔不断・だらしない・協調性がないなどと言われるのだろう。その通りなのだが。

カリカリと小さな文字を書いていく作業になじめない。ノートの罫線やマス目を無視して、斜めに書いたり、大きく書いたり小さく書いたりしていたい。軟らかい鉛筆で大きな字で、余白もいっぱいに残して書いていく。人は「ミミズがはったような字」という。でもそれで、テストが減点されたことはない。


とがった鉛筆が好きな人はきっと「2H」とか「3H」の硬い鉛筆が好きなのだろう。小っちゃいきれいな字が並んだノートが目に浮かぶ。優等生のイメージ。字がきたないボクは、軟らかい鉛筆で滑らすように書いていく。そもそも小学低学年の文字練習用の、芯の太い「かきかた鉛筆」が好きだった。「B」だったと思う。

高校生の頃は「F」を愛していたが、その後「2B」が好きになった。
「2B」は新聞記者が記事を書く鉛筆と聞いたせいだ。コピーライターも「2B」を使うと聞いたが、まわりのコピーライターはどちらかというと万年筆にこだわってる人が多かった。
コピーライターの文字は独特で、原稿用紙のマス目にきちっとおさまるような丸い文字を書く。字の汚いボクはこの方がありがたかった。が、デザイナーからは汚い文字といわれつづけた。文字が汚くても中身で勝負!これで押し通してきた。

写真のペンシルは「スタッドラー」。芯を削る芯削りが頭に付いている。これでアバウトに削って書いていた。ずいぶん長い間お世話になっていた。この「スタッドラー」はそもそも設計士の人たちが、長く芯を出し神経質に芯を尖らせて図面を描くペンシルだけど、その重さが気に入っていたのだ。ワープロなるものが登場する前の、パソコンなんてまだずっと先の時代の話だけど。



きまぐれに 鉛筆削る 文月の夜


カリカリと 迷い月夜の 削りカス (鯛風)   



2016年2月18日木曜日

おじいちゃんにも、セックスを


仕事はヒマヒマなのに、プライベートが忙しい。ああ忙しい。そんな時に、「荒地の恋」にはまってしまった。ねじめ正一原作のドラマをWOWOWで見たのがきっかけだ。
「荒地(あれち)」とは、戦後すぐに同人誌として発行された詩誌で、その中心的な人たちは「荒地派」と呼ばれていたらしい。なにせ現代詩などとんと興味がなかったものだから「荒地」のことなど知らなかった。

ドラマは仮名なのでわからなかったが、原作を読んでみると、晩年CMに引っ張りだこだった田村隆一や加島祥造など知った名前の人たちが登場。その人たちが50・60歳。ピンクレディが活躍していた頃の話だ。それも檀一雄の「火宅の人」のようにけっこうどろどろの話じゃないか。
晩年、斬新な表現で話題の宝島社の広告に登場した田村隆一。彼はこの年に亡くなってしまった。

主人公の北村太郎の役を演じている、豊川悦司がやたらいい。とくべつ好きな俳優でもないけど、この前見た映画「娚の一生」でも「今度は愛妻家」もすごくいい。お相手は田村隆一の奥さん役の鈴木京香。これまたぴったりのキャスティング。田村隆一役の松重豊も存在感があった。加島祥造役は、なんと頭脳警察のパンタだ。あまり喋らず、老衰で死んでいく。
2年ほど前に横浜のKさんに散歩に連れてってもらった根岸の競馬場のタワーが毎回、墓標のようなイメージで映し出されるのも効いている。ドラマを見てすぐに原作を買いに行った。こんなことは、ほとんどない。文庫は平積みされていて、またびっくりだ。

原作を読んでさらに発見したのは、登場する詩人の多くが早川書房のミステリーを翻訳していたこと。詩人はお金にならないから翻訳で稼ぐらしいが、荒地派の中心人物の義理のお兄さんが早川書房の創業者とかで、田村隆一などは一時勤めてもいたらしい。ハヤカワミステリーのあれもこれも、この人たちが訳していたのか。
※WOWOWの予告編の動画を貼付けていたがいつの間にか削除されていた


筆にじむ 忸怩たる夜 春遠し


長き夜 手探りでみた 蕗の薹     鯛風



2015年10月6日火曜日

眺めのいい場所、探しに行こう!


「眺めのいい店」という本がある。京都・滋賀版。眺めのいいレストランや、カフェや、喫茶店を集めたムック本だ。遠い所はついでの時に、近場はわざわざ行ってみる価値あり。ちょっといつもと違う所にドライブしたい、という時、便利な本だ。自分の日常の枠を、お手軽に破っていける。

この前も、「北山」あたりから普段通らない道をぶらぶらしながら、今まで行ったことのない日独会館にある「カフェミュラー」というお店へ行った。鴨川の近くで街からも近いのに、ちょっと入りにくいだけでガラガラ。ドイツ料理のランチとビールがおいしかった。京都では、急増する韓国人や中国人などの観光客が行かないこうした穴場の発掘が急務なのだ。

最近、近場をもっと楽しもうという気分が旺盛だ。完全リタイアすれば、この街でずっと暮らしていくのだから、すこしでも気分のいい時間に出会える場所を、いっぱい「お気にいり」にしておきたい。これには季節的な要因や、イベントとの関わりも大切だから、そろそろ「京都新聞」購読にした方がいいのかもしれない、などと思ったりしている。
喫茶店や食堂やレストランや居酒屋やBarや公園やベンチや石段や木漏れ日の小径や川沿いの道や美術館や図書館や小さなミュージアムなどなど。


だいたい、クルマを運転するのも好きだし。自転車にのるのも好きだし。ぶらぶら歩くのはもっと好きだし。それぞれを駆使して、半径100km、半径10km、半径5kmは詳しくなりたいものだ。そのために新聞記事などもだいぶ切り抜いているが、整理していないのでまだ情報源になっていない。この整理が、当面の宿題ではある。この秋は、今まで知らなかった紅葉を探しに行ってみよう。  
  (写真は亀岡の「プルーンの木」、電車やバスでは行けないお店)



臥待月 日々の慰安の 酒に酔う (「祭りのあと」から) 




2015年1月26日月曜日

あこがれたのは、報道カメラマン


大人になったら何になりたいか? 「嵐電の運転手さん」と答えていた幼い頃はともかく、ある程度大きくなってからのあこがれは報道カメラマンでした。小さい頃からカメラをいじっていたこともありますが、TVの「事件記者」がかっこ良かったせいもあるはずです。でも決定的だったのはロバート・キャパの「ちょっと、ピンぼけ」を読んだからです。小学生でこの本を手に取るというのも相当変わっているとは思いますが。戦争の真っ只中に、武器を持たずに飛び込んでいく人たちがいることを教えてくれました。

戦闘を撮影するのではなく、人を撮ることで戦争を撮る。などなど小さかったワタシにいろいろ教えてくれた本ではありました。数ある戦争映画はありましたが、報道カメラマンをあつかった映画は、1960・70年代はなかったと思います(「M・A・S・H」にちょっと出てきたかな?)。なにかありました?「地雷を踏んだらサヨウナラ」など邦画のモノは10年くらい前に見ましたが。

家に「LIFE誌」があったことも影響してるかもしれません。ピューリッツアー賞や写真家集団「マグナム」なんて名前もけっこう早くから興味を持っていました。でも中学生・高校生時代、ベトナム戦争のリアルな戦場を見るにつけ、そのあこがれもしぼんでいきました。やはり「死」が隣りにある職業は尻込みします。ベトナムで、アンコールワットで、名のあるカメラマンがどんどん亡くなっていった頃でした。作家の開高健が、ベトナム戦争に従軍記者として記事を書いていた姿にはびっくりしたもんです。
それにしても、最近の戦場に向かう報道カメラマンの生存率はとても低くなってるみたいですね。人質で軍資金を得るという発想の戦争と、無人爆撃機飛び交う誤爆の戦場では、カメラマンの生命なんていくつあっても足りません。

この写真は、小さい頃に買ってもらっていたカメラで、「フジペット」といいます。レンズの横のシャッターを数字通りに1→2と押して写真を撮ります、大きなファインダーがかっこいい!レンズの上の赤○は快晴で、青○は雨という露出。最近は小学校の遠足や、親戚の家に遊びに行ったときのネガが出てきて、パソコンに取り込んで遊んでいます。


トレンチと カメラと葉巻の 夢凍る



2013年8月4日日曜日

岩のような木


雷でやられたか、台風でへし折られたか。8mくらい上からポキっとなくなって何年経つのだろう。御室仁和寺の西門の横に立つこの木は、この辺りの土地の主のように思える。威風堂々と立っている。

この木より太い木は、仁和寺境内に何本もあるだろう。でもこの木には、それらの木に負けない存在感がある。苔に表面を侵された木は、その木肌を堅くし朽ちず、岩となってだんまりをきめたみたいだ。ユーモラスな佇まいさえある。頑固じいさんが、魔法にかけられ岩になってしまったようだ。
死んだふりして、どっこい、下の方の根っこ近くには、若い木が何本か生え育ってきている。
この生えてきた若い木が西門の主となるまでには途方も無い時間が必要だ。

この前、友人と話をしていたら、やはり散歩したりするときに気になる木が何本かあるみたいだ。そちら方面にお出かけした時は、「こんにちは」と様子を見に行きたくなる木。耳を当てて水を吸い上げる音を聞いたり、木肌にさわったり、抱きしめたり。静かな時間の流れとやらを教えてもらえる、日立のCMのように、「気になる樹」たちなのだ。

ところが、ところが。この前見に行ったら、木は倒され、コンクリートで埋められていた。なんで?がっかりだ。なにか安全上の問題でもあったのか?そんなに簡単に切らなくてもいいじゃないか。釈然としない空気が、仁和寺西門のあたりに漂っているのでした。もう、この姿は見られない。

2012年12月24日月曜日

iPhone3GSが破裂した


先月、新しいiPhoneに替え、古いiPhone3GSはクルマのなかで音楽専用で使おうと思っていました。多くのアプリを外し、WiFiやキャリアも外し、ハードディスクの余った分にアルバムを増やし準備万端。でも自然放電というか、何も使わなくてもバッテリーってなくなっていくんですね。

2週間もすればすっからかん。充電して満タンにして、放っておくとまたすっからかん。満タン充電して・・っと、3回ほどこんなコトしたでしょうか。

先日、写真のように、パカッとiPhoneが破裂してるではありませんか。まるで、焼きハマグリのよう。ようく見てみると、奥のバッテリーらしきものが膨張してブヨブヨに。それが基盤を押し上げ、ガラス面を押し上げ、見るも無残。ついひと月前まで使っていただけにショックです。買って使って丸3年。バッテリーもヘタレずによく持つもんだと感心していた矢先ではありました。

バッテリーを完全放電して充電を繰り返すとまずいということなのか。 お前は大丈夫か?新しいiPhoneをじっと見つめてしまいます。

それにしても新しいiPhone。進化していくのはいいのですが、iTuneのインターフェースがかわったりなどと、進化に追いついていく努力もしんどくなってきたわ。そんなことない?

2012年6月22日金曜日

ブルーのAO号でお出かけ

自転車を買った。8年ぶりだ。今まではGIANTの安価タイプに乗っていたが、手入れが悪く、サビサビになっていた。サドルもボロボロに朽ちて、乗る気になれない。ぶらぶら散歩が好きなワタシは、ぶらぶら自転車散歩も好きで、前は京都の町を横断して、東山辺りまでお出かけしていた。
チリンチリン

新しい自転車はライトウェイという日本のメーカーのもので、近くの自転車屋さんで2年前のを1万8000円ほど値引きしていた。8軒くらいの自転車屋さんを見て回ったが、結局ご近所の自転車屋さんにベストのものがあったわけだ。型の古いのは気にならない。安くて、きれいな色のが欲しかった。

さぁ、これからは時間もあるし、自転車散歩もガンバルぞと思うが、2時間乗ったらさすが腿が痛くなってきた。最近あまり乗ってなかったからなぁ。でも前みたいに尻が痛くない。サドルの材質も良くなったのだ。

京都は自転車にピッタリのサイズだ。西から東へ横断しても1時間ほど。ただ、南から北へずっと上りになってるので、帰り道に登りが続くのはツライ。どうしても帰りのラクチンを考えて、北へ北へと道をとってしまう。鴨川や桂川といった川縁のサイクリングロードが整備されているのもうれしい。これからはチリンチリンのお気楽さんぽも増やしていこう。

2012年4月30日月曜日

アンティークの宿題


「葡萄屋」という骨董屋をやっていた友人がいました。亡くなって、もう随分たちますが、彼のお店から買ったいろんな家具はまだまだ健在で、現役で頑張ってくれています。
それらのアンティークたちは、そんなに古いものでもなく、値が張る物でもありません。それでも、今の家具にはない凝ったデザインがさりげなく、なされています。毎日の生活に落ち着いた雰囲気を与えてくれます。

そうした家具に混じって、どう使おうか?という衝動買いしたモノが二つほどあります。一つは、樽のカタチをした洋酒入れみたいなものです。昭和30年代ころ、江分利満氏のような人が応接間のステレオの横に、シェーカーやカクテルグラスを入れておくのがブームだった、そんな代物です。
トリスかなにかの景品?それともトリスバーの装飾品?この樽に、フェルトを張って、ミニバーをつくろうと思って30年。月日の経つのははやいけど、まだ手付かず。なんとか実現したいと思います。

もう一つは、底が野球のホームベースのような、五角形のガラスの入れ物。底面、そして後ろ2面が木製で、天面と前3面がガラスです。なんでも、昔の薬局で薬を入れて売っていたショーケース、と聞いたような記憶があります(けっこうデカイのです)。なぜ買ったのでしょう。今や記憶もあやふや。
きっと、どんな形か、解ってもらえないでしょうね。でも、すぐに撮影できない状態なのです。あしからず。
このケースならミニの温室を作れるかも! 白い砂を敷いてミニ椰子の木などを植え、南国の島のジオラマを作ってやろうと思った日もありました。そんなこんなで30年。なんとかしなければ。お見せすることも出来ません。

2011年10月16日日曜日

TANTAN が好きなのだ

もうすぐ、今年の年末くらい? に映画が公開されそうなので、その前に言っておこう。「ボク、タンタンが好きです」。今日のブログの内容はただそれだけです。ベルギーのマンガの主人公です。
髪の寝癖の立ち方がいいです。ステンカラーコートを風になびかせて走っている姿が美しいです。少年のくせにジャーナリストというのがいい。

海の中も宇宙へも、エジプトに行くように出かけていくタフさが素敵です。スヌーピーもいいけれど、主役を喰ってしまわない(でしゃばらない)、ホワイト・フォックステリアのスノーウィがかわいいです。いかにもと云う感じの、個性あふれるとんまな悪役の脇役陣が充実しています。極めつけは、赤白ストライプの宇宙ロケットの勇姿にしびれてしまいます。

日頃、あまりキャラクターものを集めたりはしないのですが、赤塚不二夫マンガの「タイホするー!」のピストルぶっ放す「本官さん」は気にいって、腰ふるフラガールと一緒に車に置いています。本官さんはスピード違反しないよう、サイドミラー横に自戒をこめて飾ってます。そして、文具やカレンダーやマグカップなどでお世話になっているのがタンタン・グッズです。一時は、パソコンのデスクトップもタンタンでした。まぁ、子どもっぽいですが、いい歳しても、これくらいならいいでしょう。

きっと、映画のタンタン面白くないだろうなぁ。スピルバーグだからなぁ。ウォーレン・ビィーティが主演・監督した「ディック・トレーシー」くらいぶっ飛んでいたら、面白い映画になるのになぁ。あんな感じで、コミックのタンタンの世界を描いてほしいなぁ。と、思いますが、まだ見ぬ映画ゆえちょっとだけ期待しておきます。

2011年8月13日土曜日

iPadはブログが苦手みたいだ

 
ついに、iPad2を買いました。わが家のiMacは奥さんと二人で使っているので、もう一台何か必要と、ノート型のMac Book Air にするか iPad にするかで3ヶ月ほど悩んでいました。でも、新しいOS(LION)が安定するのを待っているのも待ちくたびれるので、iPad2購入を決断したのでした。

おもにテレビ見ながら、インターネットの「ながら読み」。これはiMacよりスイスイ早く、なんて快適! あとは、ブログさえちゃんと出来ればいいわと思っていたのです。

ところがiPadって、ブログに写真がアップロードできないのです。テキストだけのアップならすぐ出来るのに、写真を入れようと思えば出来ない。まさかそんなこと考えもしませんでした。
で、Googleで検索をかけたら、同じ質問が溢れていました。ずいぶん前からこの問題は話題になっていたようです。いくつか裏道があるようなのですが、これがけっこう専門的で???です。
どうも写真の一枚一枚に埋め込みコードを作ればいいらしく、そのためにはクラウドに画像を保存して、引っ張ってくるというプロセスがいるみたいなのです(素人の感想なので確かじゃありませんが)。

で、GoogleのPicasaをアルバムとして遊んでいたので、もしやと思いやってみれば、出来ました! "Flick Stackr"に投稿して、そこから写真を引っ張るという手が一般的なようですが。で、iPhoneで撮った写真をPicasa に送り、iPad2からPicasaにアクセスして貼りつけた写真がこのブログです。
いつものタテ型の写真に文字を流しこむという、ボクのブログのデザインは出来ないみたい?このように四角い写真を貼り付けるしか手がないみたいです。でもまぁ、ブログできるしいいか。これくらいの量のテキストを打つのは問題ないし。秋のiOS5で修正されるかもしれないし。あとは、ブチブチ切れるADSLのWiFiを何とかするだけだわ。

でも、100円とか200円で買える面白いアプリがいろいろあって、なかなか楽しめるiPad2ではあります。寝ながら触れるパソコンで、横着・ものぐさな私にはぴったり。落書きやスクラップをベタベタする感覚のマイノートとして、なかなか使って楽しい今日この頃です。

2011年7月17日日曜日

アロハの季節であります


アロハは比較的、よく着る方であります。どちらかというと下にTシャツとか着ないで、直に羽織りたいタイプです。汗でベタベタと気持ち悪くなる時がありますが、風が吹けばすぐ乾いてしまいますから。
世の中にはアロハのコレクターといわれる人ががかなりいるようですが、ボクはそんなの関係ありません。ヴィンテージ物なんて持ってないし。でも、ハワイのフリーマーケットで買ってきたり、もらったりしているうちに、ずいぶんと数もたまってきました。これはちょっとうれしいです。

今は、Tシャツが似合わないぷよぷよ体型なので、夏といえばアロハです。いやいや冬でもセーターの下に、シャツとして着たりすることもあります。邪道ですが、気分はいいです。

20ウン年前に新婚旅行でワイキキに行ったときは、観光客も現地の人もアロハが溢れていたのに、3年前に行ったときは全然見かけませんでした。ガクゼンとしました。今日ポッドキャストで聞いたハワイのニュースでは、ワイキキでアロハを着ている人は30人に1人とか。そこでハワイ州知事が2011年をアロハの年にすると宣言し、アロハシャツ生誕75周年を祝うことにしたそうです。

もともと日本の着物をシャツに仕立てたアロハだから、京都には、友禅のお店がブランドを作ってなかなかいいアロハを売ったりしています。ハワイのお土産アロハなどは足元にも及ばない、いいデザインのものがあります。これからはそんなアロハもラインナップに加えたいと思っています。
普通のシャツは襟が擦り切れたり、ほつれたりしたら終わりですが、アロハはそこからが、クタクタからが味が出てくるのであります。歳をとるほど、似あってくるはずなのです。

2010年11月7日日曜日

「信長の野望」で、Macと遊んだ

ワープロが、パソコンにとって代わって、かれこれ15年ほどになるでしょうか。我が家も、まだ使えるワープロからパソコンに買い換えることになりました。仕事上、使っているのはMac(アップル)ですが。で、このMacを覚えるために集中したのがゲームであり、後にインターネットをお勉強したのはポルノ・サーフィンでありました。

Macのための数少ないゲーム(PC向けはゲームも多いのですが、Mac向けは少ない、今も)で、熱中したのが、戦国時代国盗りゲームの「信長の野望」や都市開発ゲームの「シムシティ」です。当時は、ずっと寝不足でした。


高いMac買って、こんなゲームに夢中になっていたのだからあきれますが、あれで、デジタル食わず嫌いは克服できたのかもしれません。しかし、あの頃のアプリケーションはフロッピーデスクからインストールするもので、ゲームも5~6枚のフロッピーを入れたり出したりしていました。

当然CPUの性能も低く、驚くほどのろまなゲームではありました。が、ゲームは基本的にシンプルな方が面白いわけです。最近の「信長の野望」はプレイステーションで買いましたが、もう一つ。アニメはキレイでゴージャス、さくさく動く。でもゲームが複雑になりすぎて、なかなか前に進めません。ゲームおたくでもないワタシは、時間がかかるというだけで飽きてしまいます。(「ぷよぷよ」なんて飽きないモン)


最近はとんとご無沙汰のゲームも、歳をとったらまた、のめり込むかもしれません。古いゲームを引っ張り出してきて楽しみましょうか。友だちには、老後のために、せっせとプラモデルを買いだめしているのがいてます。大丈夫かいナ。

ところで最近は、iPhoneでゲームしてます。シンプルで、ささっとできる、なかなか面白いゲームがそろっています。雀百まで踊り忘れず。違うか。まだ、iPadを買おうという気にはなりませんが、Mac Book Air は気になる今日この頃です。


(※写真はプレステ用のパッケージですが、もうゲームが高度になりすぎてあまり面白くありません)


2010年10月24日日曜日

チャールズリバー沿いに歩こう

「世界ふれあい街歩き」という45分のNHKの番組があります。街をぶらぶらと歩くだけの番組ですが、なかなか面白い。この前は、録画しておいた「ボストン」編をじっくり見ました。ロバート B パーカーの「スペンサーのボストン」のという本の地図と照らし合わせながら、TVのなかでお散歩しました。


スペンサー・シリーズは、探偵スペンサーがボストンを舞台に活躍する小説で、昔懐かしいハードボイルドの世界が楽しめるシリーズ。もう37巻くらい出版されているみたいだ。全部のシリーズを読むほどのファンでもないが、軽いハードボイルドな空気は、帰りの通勤電車には心地いい。


ボストンという街は、アメリカの古い都市であるだけでなく、海や川があり、空が大きい。そして、坂道も多い。散歩するにも、ハードボイルドな舞台としてもちょうどいいみたいだ。行ってみたいなぁ。

このシリーズ、少しずつ長く楽しみたいと思っていたが、作者のロバート B パーカーさんが今年1月に77歳で亡くなられた。合掌。


タフでありながら、女性に優しい。スペンサーの殺し技の一つが、手料理だ。スーザン・シルヴァマンというガールフレンドを、いろんなシチュエーションでもてなす料理の話が出てくる。その料理のレシピをまとめたのが「スペンサーの料理」だ。なかなか料理を作ってみようという気にならないワタシには、こういう本はありがたい。この秋はこの中から、ミントソースの「ラム・カツレツ」にでも挑戦してみよう。


2010年8月1日日曜日

横尾ワールドの毒にピリピリ

中之島の国立国際美術館で、横尾忠則の全ポスター展を見てきた。すべてのポスターが展示されるのは、国内では初めてらしい。「天井桟敷」時代や、健さんの時代、インドの時代や、神の生まれ変わりの時代などなど、ほぼ同時代に生きてきた人のポスター展だから面白い。

一枚のポスターから濃厚に漂う、その時代の空気に、こちらの感性が反応してしまう。ポスターが窓となり、その奥から、当時の風や歌や雑音が響いてくる。


七割ほどは、知っている作品だが、これだけ集められて見せられると凄い。こんな量を残せるのは横尾しかいない。寝ない日が何ヶ月も続いていたに違いない。ポスターは、質より、量に価値がある。横尾忠則はやっぱり、時々狂っていたのだと思う。


きっと、今の学生達や、外国の人たちは、優れたアート作品としての鑑賞の時間を過ごすのだろう。けれど私たちは違う。同じ時代を過ごしてきた私たちには、二重にも三重にもオーバーラップする楽しみがそこにある。

マンガ雑誌のおまけのような時間。このポスター展は、横尾忠則からの素敵なプレゼントだ。


ところで、ポスターなどもデジタル・サイネージの時代。動画中心の映像ポスターでは、こうした1枚のグラフィックとの間に結ばれた個人的な関係は育つはずもない。ポスターが楽しめないなんて、カワイソウ。私たちは、いちばん楽しい時代を過ごしてきたのだ。と、言ってしまおう。


同時併載している「束芋」展も面白い。朝日新聞の連載小説「悪人」の挿絵でおなじみになった、束芋ワールド。彼女の世界が70年代の空気に似ていると感じるのは、横尾ワールドに毒されたからか。


阪神タイガースは8:7で中日に勝ち越し、いざ長期ロードへ。次は巨人戦だ。

2010年4月18日日曜日

ボクは雑誌で育った

「ボーイズライフ」という雑誌があった。小学5年生くらいから2年ほど読んでいたと思う。「少年」というマンガ誌と「平凡パンチ」の間をつなぐ雑誌だった。この月刊誌と出会うことで、雑誌好きになってしまった。と言ってもいいくらいだ。マンガは少なかったが、冒険、ファッション、カーレース、ガン、世界のトピックスとなんでもござれ。小学生にとっていろんな世界を紹介してくれた、ありがたい雑誌だ。中学に進む頃には「平凡パンチ」や「プレイボーイ」という週刊誌が発刊されたし、「F6セブン」なんて雑誌もあった。「ガロ」も話題になった。「朝日ジャーナル」はまだ読まなかったけれど、発刊されたのはこの頃か。

その後「SFマガジン」「ミステリーマガジン」なども読み始める。ボクにとっての雑誌の黄金の時代が始まろうとしていた。

その後「ビッグコミック」など子ども向けでないマンガ誌が現れるし、「話の特集」や「○○責任編集 面白半分」なんて雑誌も読むようになった。「GORO」発刊もこの頃か。「GORO」は、バランスがうまくとれた雑誌で、グラビアタレントの文化を切り開きながら10年近く走ってきた。「NOW」というファッション雑誌もとてもよくできていて、ファッション雑誌なのに小説やエッセイに力を入れていた。今でも雑誌の鏡みたいに思っている。
誰かが深夜ラジオで、雑誌の創刊号を集めるのが趣味という話があって、それはいいと始めた。しかし、「写楽」や「SABU」(ホモ雑誌じゃないよ)「ワンダーランド」、「アンアン」「ポパイ」「ブルータス」や「エスクァイア」とさまざまな雑誌の登場に、創刊号を集めるという試みは財政的な忌憚を果たして消えてしまった。

映画から、テレビへ。アナログから、デジタルへ。さまざまなメディアの登場に刺激されてきた(または翻弄されてきた)世代なのだ。雑誌の種類なら今の方が多いだろうが、個性的な雑誌の数やアブナイ雑誌の種類では昔の方がはるかに多く、面白かったと思う。日常的な文化の濃さが、全然違うのだ。今のハイボールってなんか水に近くない?
昨年春頃からの、オピニオン雑誌次々廃刊のニュースにはじまり、ロングランの雑誌が相次いで廃刊している。雑誌ジャーナリズムや雑誌文化が消えていくのは、寂しい。
こんな時代の象徴ともなったiPadの登場も、少し悲しい。アメリカで売れすぎて、日本発売は1ヶ月伸びたらしい。

2009年12月13日日曜日

ピンボールなら1台ほしいかも


シュルシュル、ビィヨ〜ン、バシバシビュイーン、ポコポコポコ、バシバシビュンビュン、カコーン!
今、どれだけの人がピンボールマシーンを知っているのでしょう。電動スマートボールのようなモノで、銀色のボールをはじいて得点を重ねていきます。穴に入れたり、柱にぶつけたり、壁に当てたりしながら点数アップ。真ん中ストレートに落ちてきたボールを、バットで打ち返すがごとく左右のボタンでバー(フリッパー)を操作します。
このボールを打ち返す音から、僕たち周辺の中学生はこのマシーンを「ビュンビュン」と呼んでいました。


中間試験や期末試験が終わると、即、街へ飛び出し映画を見に行ったりしましたが、その頃この「ビュンビュン」は映画館の入り口などに並べられていました。映画を見ずにビュンビュンだけしていた日もありました。
そうそう、今はない嵐山ホテルの地下の遊技コーナーには、ひも付きピンのボーリングなどと一緒に、「ビュンビュン」も数台ありました。

マシーンに体をぶつけてボールをコントロールしていくのですが、ぶつけすぎると「カコーン!」という音とともにTILT!となり、ボールをはじくフリッパーが動かなくなってしまいます。カナシ~イ!  でも、手首をクッションに、体をぶつけていかないとボールに勢いはつかず、高得点は望めないのでした。

今でも多分、ピンボールがあれば夢中になってしまうでしょう。でも、子供たちがいっぱいのゲームセンターなどには行きたくもありません。きっとピンボール・バーなどもあるのでしょうが、どうもねえ。
おまけに、2つや3つのボールが同時に出てきたり、2階建て盤面になるなど、どんどんバブリーに派手に進化し、もう昔の「ビュンビュン」の面影はありません。電子式のカウンターより、ドラム式の数字が回っていくカウンターが懐かしい。どんなゲームも複雑になっていくほど、シンプルな頃の面白さを失っていくようです。

2009年11月1日日曜日

ついに二代目、BBQ コンロ

ブリキで出来たバーベキューコンロを、この15年ほど愛用していました。1000円くらいで買ったと思いますが、値段も忘れてしまいました。山登りをする会社の後輩のO氏に教えてもらいました。とても良くできたコンロで、折りたたみの七輪のようなものです。
30cm × 30cm × 7cm くらいに畳めます。そして、金網が中に3枚設置でき、まん中に炭を入れて熾します。
焼き肉は一番上の網で、鍋をする時は鍋を2段目の網の上にのせると、スッポリ収まり熱効率も最高!食事が終われば、マキをつっこんで焚き火もできるというスグレモノでした。
実に良く頑張ってくれたコンロだったのですが、もうサビサビ・ベコベコ。使えなくなりました。

二代目を探し初めて5年くらいになりますが、どこにも売ってないのです。こんなスグレモノがなくなるはずはないと思うのですが。京都周辺の量販店・アウトドアのお店も、滋賀や神戸などの偶然入ったお店で探してもありません。アウトドアの雑誌にも、ネットの通販を見てもないようです。誰かおしえてくれ~ぇ。

で、仕方ないので、2年前くらいに一代目に近い機能を持ったものを見つけ買いました。オールステンレス製で、コンパクトに折り畳め、十分なのですが、鍋がスッポリ収まらないのが欠点です。今年の秋も一度、この二代目を持ってバーベキューに出かけました。
(写真が二代目、ステンレスに河原の小石が写り込み見にくいですが)

2009年8月30日日曜日

ミントンのアンティーク柄


もう10年くらい昔になりますが、英国ロイヤルドルトン・ブランドの紅茶の仕事をしていました。その仕事を通して、紅茶の知識、英国陶磁器の知識、その頃の大英帝国の歴史に触れる時間を持つことが出来ました。そしてなによりも、紅茶パッケージのプレゼンテーションと取材をかねて、ロンドン → ストークオントレントへいくことが出来ました。

ストークオントレントという町は、日本の瀬戸みたいな焼き物の町です。ロンドンから急行で3時間ほどだったでしょうか。あのラグビーの町を通り、リバプールの方へ行く途中にあります。

ヒツジさんのいる、本当に牧歌的な丘をいくつも越えて到着です。駅前には、ジョサイヤ・ウェッジウッドの銅像があり、町のあちこちにロイヤルドルトンをはじめ、ミントン、ウェッジウッド、スポート、ロイヤルクラウンダービーなど有名なブランドの窯とその煙突が並んでいます。
いかにも古い歴史ある町という佇まい。そして、それぞれの会社がそれぞれの私設のミュージアムを持っているようです。
このアンティークな柄のカップは、工場見学に行った折りに、ミントンのミュージアムのお隣にあるアウトレットで買ったのもの。日本では見ないミントンでしょ。ミントンのカップは本当に素敵な柄が多く、水彩で描かれたデザインブックは手元に置いておきたくなります。

ロンドンでよかったのは、パークサイドホテルで本格的なアフタヌーンティをいただいたことと(もちろん仕事です)、ハロッズを見れたこと。百貨店というより、ミュージアムのよう。地下の食料売り場では、食材で巨大なオブジェをつくっていました。その時買ってきたウール張りのピクニックシートは、いまだ現役で年に数回活躍しています。

2009年8月23日日曜日

消えゆく、ポップドール

お店の前でお客さんに呼びかけるキャラクターたち。あのペコちゃんや、薬のサトちゃん、おまえヘソねーじゃねえかのコルゲンコーワのケロちゃんなどを、ポップドールと呼ぶらしいです。不二家のペコちゃんは昭和25年生まれだとか。新しいところでは(もう古いけれど)、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースさんもその代表選手です。
なんでもこのポップドール、世界的に見ても、日本が圧倒的に多いのだそうです。「福助」や「お多福」など、日本は歴史が違うのだよ、ということでしょうか。日本人のDNAのなかに、看板娘的な愛嬌のあるキャラクターを好む資質がきっとあるのでしょう。この辺の話で、新書一冊書けそうです。

私たちが子どもの頃は、ある銀行のポップドールがディズニーのキャラクターでした。ミッキーマウスやドナルドダックの貯金箱がとても欲しかったことを覚えています。プラスチックではなくて、硬質なビニールで出来ていたように思います(あの匂いが好きでした)。
そしてその頃は、まだ、商店街というものがとても元気でした。商店街を歩くことで、いろんなポップドールたちとの出会いがありました。ポップドールたちも子どもたちにいたずらされながらも、活き活きしていました。今や生き残っている商店街はわずか。売り場や販促物が細かく管理されている量販店全盛の現在では、彼らとの出会いもそうそう望めません。

ところが、昨年リタイアされた食いだおれ太郎さんは、もてもて。全国各地を飛び回っていらっしゃいます。かに道楽のかにや、京都おたべのこっくり娘さんなど、関西は昔から動くポップドールの本場のようです。ポップドールの世界にも格差の波はあるようです。

2009年7月26日日曜日

ハヤカワ ポケット・ミステリ


アメリカのペーパーバックのように、本の天や小口が黄色く着色された細長のサイズ。文庫本より少し大きく、文章は二段組みレイアウト。表紙は抽象的な油絵の装丁。そして、ビニールのカバー、昔からちっとも変わらない。持っているだけで、カッコイイと思ったものだ。
このポケットミステリとのつきあいは長く、中学からだ。そもそも早川書房の本に出会ったのは「SFマガジン」という雑誌を立ち読みしだしてからで、その後、星新一や小松左京などのSFショートショートを読み始めた。SFは体質に合わなかったのか、イアン・フレミングの007が流行しだしたこともあって「ミステリマガジン」を読むようになった。多分初めて買ったポケット・ミステリも007だったのだろう。なんでも、1953年刊行開始というから、わたしの歳とあまり変わらない。こちらは今、世界最大・最長のミステリシリーズに育っているらしい。

映画を見たら本を買う、本を読んだら映画を見るという感じでイアン・フレミングの007はほとんど読んでいると思う。TVの「ナポレオン・ソロ」のポケットミステリも読んだと思う。その後、はまったのは、「87分署」シリーズであり「マイク・ハマー」であり、「ヴァージル・ティップス」であり、チャンドラーでありと、ハードボイルドに一直線にのめり込んでいった。
クリスティやウールリッチといった、本格ミステリーの何冊かは読んだが、こちらはあまり合わなかった。いわゆる謎解きとかトリックを見破るとかの思考回路が全く稼働しなくて、なるほどなるほどと、感心するだけで終わってしまう。やっぱり映画的に映像が見えてくる、あるいはスタイルにこだわるミステリの本の方が好きみたいだ。

このハヤカワのポケットミステリ、紀伊国屋やなどの大きな本屋でもちょっとの在庫しかないという時期もあったが、最近は人気も持ち直してきたようだ。たまにアメリカ探偵作家クラブ賞のものとかを読むと、やっぱり面白い。人間の息遣いが聞こえてくるような、リアルなミステリが増えている。多彩なミステリの世界を、このシリーズは今も広げつつある。