お気楽さんぽ

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2016年12月31日土曜日

見つかったSPレコード


まだ幼稚園の頃、家に蓄音機があった。モノラルの大きなスピーカーと一体化した蓄音機で、木綿針よりも太い針で鳴らす。レコードは、LPの大きさなのに、1面1曲。回転数も書かれてない。多分SPと呼ばれる78回転のレコードなのだろう。真っ黒でカーボナイトのような感触。厚さも4mmはありそうで、ずっしり重い。

映画のカメラマンだった父はレコードを、映画フィルムの缶に入れていた。フィルム一巻の直径と、レコードはほぼ同じ。10枚ほどのレコードがひと缶のなかにすっぽりと収まるのだ。35年ほど前、家を建て替えた時にそのレコードは紛失したと父もボクも思い込んでいた。ところがこの前、押し入れの奥深くまで整理していると分厚い袋の中からそのレコードがふた缶見つかった。

いちばん古いのは1947年にヒットしたというアル・ジョルソンの「Anniversary Song」だろうか。「お楽しみはこれからだ!」のセリフで有名な、世界初の長編トーキー映画「ジャズ・シンガー」の主演俳優だ。その伝記映画「ジョルスン物語」の挿入歌がこの「Anniversary Song」らしい。プレーヤーのあった時にはレコードが見つからず、レコードが見つかった今はプレーヤーがない。でもなんと、アル・ジョンソンの「Anniversary Song」はYou Tubeで聞くことができた。

父のレコードは映画にまつわるレコードが多い。なかでもビング・クロスビーものが多く、クリスマスの楽曲が多いようだ。小さかったボクは映画を見に行った「黄色いリボン」のレコードが好きで、何回も聞いていたような記憶がある。

ということで2016年も大晦日。今年もおつきあいありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。



ジングルベル 音凍らせて 四十余年


黴の匂い 錆の匂い 冬の音  (鯛風)



2014年9月7日日曜日

満月の夜、ねんねん ねんころり。


夜、眠るときに窓から入ってくる風が涼しくなってきた。朝は、窓を閉めないと寒いくらいだ。
最近、よく聴いている音楽が“Hushabye Mountain (ハッシャバイ・マウンテン)”という歌だ。映画「チキ チキ バンバン」のなかで、ディック・ヴァン・ダイクが歌う子守唄だ。小さい頃、「メリーポピンズ」のこのおじさんが好きだった。

 “Hushabye ”といのは、日本の「ねんねんころり」というような意味らしい。ねんねんころりのお山からララバイ湾にやさしい風が吹いてくる。風は湾に集まった帆船の帆を膨らましていく。さぁ、その小さな胸の悩みややっかい事を帆船にのせて吹き飛ばしてしまおう!あっちへあっちへ飛んでいけ。そしてぐっすり、おやすみなさい。というような歌だ。

むこうの人はこの子守唄が大好きらしく、ロックの歌手が歌ったり、JAZZになったり、女性歌手が歌ったりしている。ライブの気分転換に、短いこの歌が好まれるのかもしれない。作詞・作曲は、シャーマン兄弟。ディズニー映画の多くのヒット曲を書いた人たちだ。「パイナップル・プリンセス」も、リンゴ・スターがカバーした「You're Sixteen」も、彼らの作品ということを、彼らの伝記映画を見て初めて知った。びっくりだ。


夜空といえば明日9月8日は、仲秋の名月だ。雨続きの夜が多いが、晴れるだろうか。
最近、遅ればせながら読んでいるのが、村上春樹の「1Q84」だ。世紀末の子守唄のようなお話。1984年と、月が二つある1Q84年の話だ。おさないファンタジーと暗い予感につむがれた村上ワールドに、なぜか時々浸ってみたくなる。「1Q84」の天吾くんと青豆さんには、仲秋の名月も二つ見えるのだろうか。



ねんころり 母のにおいに 月の影


2013年10月20日日曜日

懐かしのソノシートがでてきた


 先日、レコードの棚を整理していたら、小学生の頃買っていたソノシートと、中学生の頃買っていたシングルレコードが出てきた。ソノシートの頃は、まだ、世間的にもステレオがなく、プレーヤーで音楽やを聴いていた時代だ。
ソノシートは「戦争音楽」や「テレビの戦争ドラマの主題歌」だった。もう少し後になってビートルズや、クレイジーキャッツや、007のものが加わった。多分、百貨店の特売かなにかで買ってもらった記憶がかすかにある。もう、その頃のプレーヤーもなくなってしまった。きっとすごいチープな音色で、今聴いたら、とても懐かしいだろう。

シングルレコードは、「モンキーズ」とか「ベンチャーズ」とか。中学当時、友達の家にステレオがきて、「これがステレオだ」というステレオに付属のレコードを聴いたことがあるから、ようやくお金持ちの家の応接間に登場してきた頃だ。僕は多分、ソノシートを聴いていたプレーヤーで、レコードを聴いていたのだろう。その当時は「これがシネラマだ」という映画を見に行った記憶もある。なんでも、初めて登場!が多かった幸せな時代だったんだ。

僕にビートルズを初めて聴かせてくれた、2歳上の近所の兄さんは、不良じゃないのに、親からも近所からも不良の音楽を聴いているという目で見られていた。僕も、なにかコソッと聴きに行くという感じだった。
その人はオリコンに就職し、定年までずっと音楽と関連した仕事に就いたようだ。

2013年6月4日火曜日

旧朝日会館、壁画は東郷青児


 この前の大阪朝日新聞ビルで思い出した、京都の朝日会館の壁画の話です。

その壁画ビル、小学生の頃、いや高校生くらいまであったかな。今の朝日会館に建て変わる前は、東郷青児の絵が壁画となっていたのです。下の写真、寺町通りから、公衆トイレのある道を河原町通りの方に歩いて来る、この写真がわかりやすい。(しかも東郷青児の壁画は2代目、はじめは違う絵だったらしい)

当時を偲んで、今の朝日会館ビルのエントランス部分にはタイルでミニ壁画が造られています。この絵がビル壁面いっぱいに描かれていたのです。
記憶がチョー薄~いのは、壁画の色も薄~いブルーグレイの背景色で、ピンクの色などもだいぶ色褪せていたような印象だったからです。

こんな大きなビル一面に描かれた壁画ビルって見たことあります? 当時の小さかった私には、そんなことが驚くに値するかどうかわからないのでありました。最近ではビル一面のラッピング広告という同じように見えるものがありますが、あれはダメです。街の文化がありません。

違う写真もありました。旧朝日会館の北には教会。跡地は今、京都ロイヤルホテルになってます。映っている教会は、ホテルの南へと移っていきました。なんて素敵な風景。京都の町中は高いビルがなく、大きな空が見えていいのですが、この当時の空の大きさといったらパリのようです(行ったことないけど)。

2013年5月22日水曜日

あれは、航空灯台だったのか


今春「フェスティバル・タワー」がオープンしたばかりだが、向かいの朝日新聞ビルの取り壊しがさっそく始まった。工事フェンスからは、屋上の一部だけが見えている。

この朝日新聞ビルが建ったのは、80年前の1931年。周辺に10階という高い建物はなく、大大阪を象徴する高層ビルだったのだろう。やさしいアール(曲線)につつまれたデザインは、客船をイメージしたものとか。たしかに、バルコニーのついた船の客室のようなイメージだった。
屋上から見れば、堂島川と土佐堀川の2つの川は、あたかも波を分けて進むイメージ。大阪湾へと航海する豪華客船だ。(もうすぐオープンするダイビル本館も同じコンセプト、客船をイメージした曲線が特徴なんだそうだ)。

そして今、工事フェンスからちらりと見えているのは、船の艦橋をイメージして建てられた、空の灯台だったとか。
空飛ぶ飛行機やヘリに、位置と高さを知らせる、航空灯台。夕闇せまる頃から、赤・緑・白の三色にイルミネーションされ、3000ワットの光の矢が夜空に放たれていたらしい。思い浮かべれば、なんてモダンなシティ・イメージなんだろう。きっとわくわくするポスターもあったのだろう。

その航空灯台は、消防署の火の見櫓でもあったらしい。当時は、神戸や泉州や枚方あたりまで、ぐるっと見晴らせたのだ。そしてなんと、この灯台の足下の屋上には、スケートリンクまであったらしい。10階には、高級レストランの「アラスカ」。なんて贅沢な、ビルなんだ。
そういえば、もう今はない京都の朝日新聞ビルは、東郷青児の壁画。レストラン「アラスカ」もあったなぁと思い出してしまった。

2012年9月30日日曜日

懐かしの比叡山スキー場


 京大農学部が主催するツアーで、スキーを始めた話は前に書きましたが、悲惨な体験をしたにもかかわらず、スキーにはまってしまったボクたちでありました。そのスキーの練習場となったのが、この比叡山の人口スキー場であります。
前の愛宕山スキー場のブログで、えっ~比叡山のスキー場もうないの?という声にお応えして、写真をお見せしましょう。これも3年くらい前の写真ですが、比叡山に登った時のものです。当時は全部レンタルで、板やブーツを借りた別棟も埃だらけでした。


こんなたらたらの斜度のスキー場ですが、初心者の頃は、斜度のない端の方を滑っていたのだから笑ってしまいます。それも15分並んでは、3分で滑り終わるという感じ。京都市内にスキーができる場所はここしかないのだから仕方ありません。山を越えれば、花背とかササリとかあったのですが、ちょっと遠いのです。ツルツルの山道が渋滞するから、車が滑り落ちてきたりして、それはそれでヤになるんです。
八瀬までいって、ケーブルカーで比叡山上へ。そこからつるつるに凍った階段を上がり、降りる。この方が怖かったりして。ツルッと滑って尻餅をつくと、とても痛かった。

若い時の楽しさを、思い出させてくれる場所が一つずつ無くなっていくのは、仕方が無いですが寂しいものです。こんな風にして、中学校や高校の校舎も無くなっていきます。小学校の校舎が奇跡的に残っているのも時間の問題なのでしょう。そこでは、建物だけでなく、古いけど大切な空気までが失われていくようで。これからの若い人たちは、ボクたちの時よりも、もっともっと積極的に自分たちの場所を探していかないと、「大切な場所」に巡り会わずに過ごしてしまうのではないかと思ったりします。それはとても残念なことです。

楽しくなれる「大切な場所」探し。それはこれからの時間でも大切なテーマです。

2012年7月26日木曜日

やれやれ、の夏がはじまった

なんかねぇ、パソコンとWiFiの関係がうまくいかなくて、インターネットが使いづらい。全く繋がらないわけではないけれど、1分ごとに切れてしまう。で、ネットしようという気になかなかならない。困ったものだ。

京都は、祇園祭も終わって、梅雨があけて、蝉が鳴き出した。
今年は、宵々山にでかけて、鉾のお囃子を聞きながら、四条より南の路地をうろついた。屋台も、最近はイタリアンやレストランの若い人達が店の前で、おいしいものを提供してくれる。ワインやビールを飲みながら、キッシュやタコスや、シシカバブなどを食べられるのだ。特大の佐世保バーガーはあまりに大きくて、ハーフを食べた。こうして食べ歩きしながら、そぞろ歩いた。
なんか浴衣姿の留学生の女の子がやけに目立つ。前を歩いているおじさんは「写真撮りませんか」と誘われていた。ほぉ~。寄っていったおじさんはカメラを渡されていた。おいおい、「写真撮ってくれませんか」と、ちゃんと言えよ。おじさん、がっかりしてるじゃないか。

祇園祭の夕方はいつもひどい夕立に会うのだが、今年はなかった。そのかわり、14日の夜に、ゲリラ豪雨ではすまされない、すごい雨が2時間ほど降った。この雨で、近所の多くの側溝から水が溢れ、道が川のようになっていたみたいだ。1階のお店のフロアも水浸しになったし、向かいの中華料理店も床上浸水でこの日は営業中止だった。
自転車で様子を見に行くと、奥嵯峨の方が酷かった。大文字の鳥居の近くの山では、土砂崩れが起きていた。

さぁ、オリンピックもはじまった。なでしこサッカーの快勝からスタートだ。先週の全英ゴルフにつづいて、寝不足の日々が続きそうだ。

2012年6月6日水曜日

40年前から鴨川で呑んでいる

この頃、大学の時の友だちと会うことが多くなった。このメンバーとは3・4年に1回だったゴルフが、半年で2回行った。もうすぐ3回目の予定も入っている。
この前は、広島から出てきた(出張で仕事に来た)友人と鴨川の川床で呑んだ。飛び込みで入れる、手軽な床だったが、気分は満点。すこし寒いかなと感じるくらい。夏の床と違って、今頃の床はトワイライトタイムが長い。目の前に南座とレストラン菊水。7時半頃まで、夕空は明るかった。
昔、クラブの歓迎コンパの折、鴨川に入っていく酔っぱらいを止めたのも、この辺りだ。しかし、この友人とサシで呑むのは多分初めてだな。息子が来月結婚するらしい。

そして昨日は後輩のひとりから、なんと詩集が送られてきた。クラブのOB会ともなるといつも幹事してくれるご陽気な奴なのだが、「詩人」だったとは。なんでも2冊目の詩集らしい。定年のお知らせと一緒に送ってくれた。編集者の言葉を読んでも、詩に関わってきた年月は相当に古いようだ。いやぁ~、びっくりさせてくれるわ。
付き合ってる友人のどれだけの事を、俺は知っているのだろうか。

みんなそろそろ会社勤めを終え、ふるさとに帰っていくように、大事な頃をいっしょに過ごした友達の輪に帰ってくる。そういう、お年頃なのね。これからの付き合いこそダイジにしよう。そうした気分がビンビン伝わってくる。
川床で呑んだ後、そやつと BAR「ターバン」に行った。20代の頃から呑みに行っていた大切な店。久しぶりに顔を出したが、ほっこり落ち着ける。
いかんいかん。後ろを向いて、心地いい気分になっている。
でも、夕暮れの先斗町はやっぱりいい。

2012年1月29日日曜日

何処へもスニーカーをはいて


先日、60歳定年となりました。やったーっ! 考えて見れば、生来怠け者のワタシめは、会社勤めを始めた時からこの日が来るのを楽しみにしていました。それが55歳定年がなくなり、60歳定年まで働こうとは。
チームのスタッフが大テーブルに集まり、祝ってくれました。セーラ服のコスプレお二人から、写真のお花をもらったりして、楽しく卒業できました。ありがとう。

ただ、スパッと辞めてなにかをしたいわけではなく、あと数年は嘱託非常勤という、非常にグレイな、ゆるい働き方を選択しました。でも管理職ではなくなり、自分のことだけ考えればいいのだという幻想は、なかなか気分を晴れやかにしてくれます。そして実際、自由になる時間もでき、「あれもしたい、これもしたい」のメモはどんどん膨らんでいきます。

だいたい、このブログ「お気楽さんぽ」も、環境の変化で離れていく友人たちとの関係をちょっとでも繋いでおきたいという思いで始めたのです。これからはこのブログを充実させていくような暮らしをもっと楽しみたいと思います。会社でもどこへも、スニーカーをはいて、アロハをひっかけてお出かけするぞ、という意気込みです。

とは言っても、定年関係の手続きや、所属部署がかわるための引継ぎや席替えなど、しばらくはバタバタするのですがそれもまた良し。いつもと違う時間の行動は新鮮で、先日も電車の中は中間試験帰り(?)の女子高生がいっぱい。彼女らの話を聴きながらゆっくりと昼から出社しました。

2012年1月21日土曜日

お気楽リズムに戻れない

なかなかお気楽リズムに戻れない。ブログを書こうという気にならない。書きたいネタに熱くなれない。というわけで、今回は、超短編集。

●京都市のずっと北。美山へいく途中で暮らす、知り合いのお兄さんから鹿肉をいただいた。ボクがいただいたのではなく、義理の兄がいただき、シチューにして一緒に食べよう、というお誘いをうけた。5年ほど前にもその知り合いの家で、鹿肉をいただいたことがある。その時はルイベみたいな、半冷凍のものを食した。鹿肉なんてなかなか食べる機会がない。前回も今回も、鹿肉だからという匂いはなかった。こういうお友達とは長くおつきあいしたい。

●ときどき区の図書館へ行く。主にCDを借りに行くのだが、ときどき本棚も見てみる。写真集と、寄稿文エッセイの棚だ。この前「ハワイ島  おもしろ通信」という本を見つけた。ハワイ好きでいろんな本を見たり買ったりしているが、ちょっと前に発売された知らない本に出会う。これが図書館や、ブックオフの楽しみだ。セレクトショップのような、本屋さんの目で選んだ本だけを置くお店が京都には多いいが、これもいっしょかな。思いがけない本に出会う楽しさは、ネットショッピングでは味わえない。

●正月休みの一日は「バーレスク」の世界に浸った。バーレスクはストリップではなく、ストリップティーズ。ティーズ(焦らし)をショーとして見せるエンターテイメントだそうだ。一時は廃れていたのが、最近ラスベガスなどで見直しがはじまっているとか。そのドキュメントをWOWOWでやっていて、さらにクリスティーナ・アギレラ主演の映画も見た。小品だけれど、なかなかいい音楽映画だった。

●この前の土曜日は「ミッション・インポッシブル  ゴースト・プロトコル」を観に行った。観たかった「タンタン」が終わっていたからだ。アクションシーンは面白いけど、ストーリーが今ひとつ。がっかりした。音楽といいキャラクターといい、とてもいい財産を持っているはずの映画がこれだ。もっと映画にアイデアを。ハリウッドも韓国映画を見習わなくっちゃぁ。また「スターウォーズ」をやるらしい。3Dで。もういいわ。

2011年12月31日土曜日

今年最後の一杯は「奥の松」で

いつものように、年末のかに道楽忘年会も終わり、大晦日の京都ゴルフも終わり、今年のスケジュール終了しました。このいつものように暮らせる幸せを、思い知らされた2011年が過ぎていこうとしています。あの神戸の震災の時もそう感じていたはずなのに…。
日常の暮らしの中に、「東北」も「2011」も「原発事故」も、しっかりと思い出す装置を作っておかないと、ボクという人間はまたも、すぐに忘れてしまうことでしょう。そうした装置の一つとして、東北のお酒はこれからも呑んでいこうと思います。そうした理由がなくても「奥の松」や「浦霞」はとてもおいしいお酒ですが。

今年も、いつ更新するかわからない、お気楽ブログにおつきあいいただき、コメントいただいた皆さんありがとうございました。
● O'Samさん ● レフティさん ● わんくろさん ● 中村主水さん ● 塩爺さん ● Kitamura_Yさん ● fulagirl さん ● 夏海 漁さん ● クロカワシンヤさん (2011登場順)  来年もおつきあいよろしくお願いいたします。

また、コメントは書かないけど見ているよという皆さん。ありがとうございます。今年途中からブログにカウンターをつけて見ていると1週間に延べ90人くらいの人に見てもらっているようです。この「見てるぞ!」という数字もなかなか励みになります。日記と違って、なぜか不思議とつづくブログ。サボリ気味の日々もあると思いますが、来年もよろしくお願いいたします。
では皆さま、よいお年を。

2011年12月1日木曜日

やっと秋らしくなってきた

昨晩は遅くから、一晩中木枯らしが吹いていた。呑みにいった帰り道は、気持ち悪いほど暖かかったのに。
いつも朝、家の周りを掃除するうちの奥さんも、今日ばかりは掃いても掃いてもイチョウの葉が風で吹き飛ばされてくるようで、掃除も諦めたそうだ。家から見える山の紅葉もやっと紅葉らしく真っ赤に染まってきて、ようやく秋らしくなってきたと思ったら、もうすぐ冬かい。

今朝は、通勤時に見える大山崎あたりの山々も、一気に紅葉シーズンに突入したようだ。淀屋橋で地下鉄を降りて、会社へと歩いて行く。市営の自転車置き場の自転車たちが、昨晩の強い風で散ったプラタナスの枯葉に埋もれてしまっている。カラカラと歩道を舞う枯葉たちにとって、吹き溜まりの自転車置き場は気持よさそうだ。

紅葉の木々の後ろに見えているのは、建設中の朝日新聞ビル。下のベージュの部分が新しいフェスティバルホールになる。おなじみのレリーフも取り付けられる予定だ。ビルは来年の秋にオープンとか。四つ橋筋を挟んで向かいにも同じデザインのタワーが建設される予定だったが、その計画は生きているのかな?

そうそう昨晩、ビデオに録っておいた特別ドラマの「初秋」というのを見た。主演は役所広司、脚本・監督は原田眞人。半分は京都が舞台のドラマだったがなかなか良かった。小津の「晩春」へのオマージュらしい。こんど再放送去れたら是非どうぞ。毎日放送だったと思う。

2011年9月14日水曜日

まだまだアツいぜ、夏も友も

しかし暑い日がよくまぁ続くことです。バルコニーの朝顔も、なぜか気が狂ったように咲きまくっています。あまりに暑すぎて、南国のブーゲンビリアやハイビスカスは、夏バテ状態です。日本の夏は過酷なのでしょう。
こう暑いと、お散歩に出かける気もしません。朝早く起きて出かける元気もありません。どこか川辺にバーベキューに行こう!と、いう季節にはやくなりますように。

ところで昨晩は、久しぶりに大学の時のクラブの友達と会いました。4~5年ぶりくらいでしょうか。仲間の一人が定年になるということであちこちの会社にあいさつ回りしているとのこと。京都に来るので、では集合とあいなり5人くらいが集まりました。電話2本くらいでまとまった人数がすぐ集まる団結力、すごいのです。
短い時間でしたが、それぞれの近況報告。次回の遊ぶ計画までしっかり決めて解散しました。
それにしても、完全リタイアした人。嘱託のような感じで勤めを続けている人。子会社に行く人。田舎暮らしを始めた人。故郷に帰った人。いろいろお付き合いしている人の幅が63歳~58歳くらいなのですが、いろいろな第2の人生があちらこちらで始まっているようです。

ぶらぶら歩いた祇園白川界隈。夜はこれから始まるという方も多いようでした。京都は景気いいの?

2011年8月7日日曜日

夢まぼろしのキャンプストア

入道雲もくもくの、カァっ~と暑い、真夏の砂浜。焼きそばだ、かき氷だと、みんながお世話になった海の家。いろいろあるなかで、松の木の下などでひときわ大きく、白いペンキでおしゃれにデザインされた海の家。それが、「キャンプストア」だ。おなじ海の家でも、メニューがおしゃれで、店員がおそろいのシャツなど着ている。それが、「キャンプストア」だ。
夜になれば、加山雄三やマイク真木がライブをやっていそうな店。それが「キャンプストア」だ。

そうした「キャンプストア」の多くは、関西や関東の大学の「広告研究会」が運営していたのだ。学生たちが、「森永製菓」や「明治製菓」などと交渉し、マーケティング調査ということでお金や食材を提供してもらう。実際に現場調査し、メニューを決め、イベントを企画し、ポスターやチラシを制作し、生きたマーケティングを実践する場所と位置づけられていたらしい。

大学の「広告研究会」にとって、一年の前半の一大イベント。やたらと儲かったらしい。ここで得た収益で、論文集を出したりギャラリーで制作展をしたり、パーティを仕掛けたりするらしい。女子学生の部員も多く、夏の2ヶ月ほどの海水浴場での合宿生活は、すさまじく楽しかったらしい。

らしい、らしい、と書いているのは、僕らの時代にはなかったからだ。学生運動が激しくなり、資本主義の走狗となる広告を研究する部は、組織の中で先鋭化していくか、潰れていくかどっちかで、「キャンプストア」なんて3年ほど前から断固廃止になってしまったのであった。「キャンプストア」を餌にされて入ったクラブなのに。楽しい夏を取りあげられたボクたちは無力感いっぱいの新入生だった。

悔しくて悔しくて。ボクラの時代の広告研究会は、「キャンプストア」にかわる思い出をつくるべく、合宿旅行やパーティに徹底的に邁進した。クソぉ~! 学生運動のない今、「広告研究会」のキャンプストアは夏の海に帰ってきたのだろうか。

2011年7月3日日曜日

おじいの扇風機についての考察

家のじいさんは89歳になる。すこぶる元気でなによりであるが。
散歩にもよく出かける。どこを歩いて来るのか2時間ほど帰って来ないこともある。昨年は、自分の杖(ストック)に躓いてこけ、かばった手の骨を骨折していた。自分の頭で思っている以上に、自分の足が付いてこないのだ。この杖に蹴躓くという老人の事故が多いそうだ。杖を使うのも難しい。骨折は完治したようだ。

このじいさんがエアコンをガンガンに使う。夏は寒すぎて、トレーナーを着こむくらいエアコンを使う。冬は暑くてパジャマでOKというくらい暖房する。ちょっとしたお出かけならエアコンをつけたまま出かける。そのくせ、ボクが台所の蛍光灯を昼間点けると「もったいない」とすぐに消す。おいおい消すなよ。
この傍若無人ぶり、どこの家も、年寄りというのはそうなのだろうか。
傍若無人が年寄りの醍醐味だ!ということもできるが。

ところが今日、扇風機を買って来いと、きたもんだ。ホンマかいな。新しい下着を買ってきても、もうじき死ぬからもったいないと云うクセに、扇風機を買ってこいだと。またTVに影響されている。とにかくTVが大好きで、健康オタクで、なんでもTVの云うことは正しいと信じている。「あるある大事典」の捏造騒ぎの時は、TVが信じられなくなって軽いパニックに陥っていたようだ。

こういう年寄りにも、最近の節電騒ぎはちゃんと届いているのだろう。そうゆう、社会への参加意識はけっこう強いのだ。いやいや新しい扇風機がほしいだけで、電力のことなど考えているふりをしているだけかもしれない。扇風機を買ってきても、エアコンと両方を使用する気がする。誰が電気代払っていると思うてんねん、ホンマにぃ。

…どうしよう、扇風機。

2011年5月7日土曜日

サルサ、レゲエ、こんにちは


このGWになる前から、身内にちょっと不幸があって。なかなか「お気楽」という雰囲気にもなれずこのブログもほっておいたのですが、ぼちぼち再開とMacにむかいました。
で、テーマはCD。故人はレゲエやサルサといった音楽が好きで、家の棚はその手のCDであふれています。また仕事でパリにもよく行っていたので、フランスの変なCDもいろいろあります。ボクにとっては、今まであまり馴染みのない分野なので、面白そうなCDを20枚ほど借りてきました。

なにしろ、真夏のカッと照りつけるような土地のレゲエを、部屋でもお店でも響かせていた人ですから。知らないアーティストのCDばかり。でも、いろいろ探してみると、ちょっと聴きたくなるものがありました。
サルサも、ニューヨークのJAZZスポットで、ちょっとアレンジされたLIVEはなかなかいい感じ。<エル・グラン・コンボ>などのLIVEも初心者には馴染みやすそうです。好きな音楽ばかりでなく、違う扉を開けて入っていく。そんな中のCDを一枚、部屋に流しながら書いていますが、自分の空間の色が変わってくるから不思議です。

この関係では<Buena Vista Social Club>はDVDも持っているし、CDも何回も聴いているけれど、それ以上ほかのを聴くには至りませんでした。でも、ライ・クーダーは好きだしと思っていると、かれのコレクションにも10枚ほどありました。音楽の共通項がこんなところにありました。
病気になって好きなお酒も飲めなくなっていましたが、いやあ残念。お酒を飲みながら、ライ・クーダーを聴きながら、馬鹿な話のできる人が一人いなくなってしまいました。

2011年3月27日日曜日

JAZZ喫茶、何年ぶりだろう

この前久しぶりに、会社の大先輩に連れてもらって「YAMATOYA」へ行った。飲みに行って、帰るまえにもう一軒という感じで行ったので、かなり遅い時間だった。
「YAMATOYA」は学生の頃に行ったこともあるが、高級感の漂うJAZZ喫茶で何となく入りづらかった。京都市内でも自宅からは東の方なので、地理的にも(感覚的に)ちょっと遠かったのだろうか、あまり足を運ばなかった。

JAZZ喫茶って、懐かしい響き。なにしろ授業をサボって、あるいは休講の時間に行ったのだから、学校の近くが圧倒的に多かったように思う。40年ほど前は、ほんとうにJAZZ喫茶がいっぱいあった。クラシック喫茶もあった。宮谷和彦のJAZZ漫画もかっこよかった。日野輝正がアイビーカットで吹きまくっていた時代だ。
「しあんくれ~る」「DUKE」「蝶類図鑑」、学生街の学生相手のJAZZ喫茶の多くは潰れてしまったが、町中ではまだ頑張っている所もいくつかあるようだ。

久しぶりのJAZZ喫茶はなかなか良かった。時間が遅いせいか、店内も静かだったし、やはり響き渡るような音量はJAZZ喫茶ならではのものだ。こういう場所で、しみじみと洋酒を飲むというのも、こらからのお楽しみか。京都には、老舗のJAZZ喫茶がずっと残っていてほしい。 ところで、JAZZ喫茶って云っていいのかな?

今週は、こんな「がんばれ!日本」に出会いました。



2011年3月21日月曜日

You'll Never Walk Alone


東北巨大地震が発生して1週間以上たちました。
被災された方々、そのご家族の方々にお見舞い申し上げます。


発生日の金曜日は、大阪のオフィスでも、僅かな揺れですが長い間揺れていました。ちょっと気持ち悪かったです。それが東北の地震のものとは驚きでした。
日本観測史上最大のM9.0といわれてもピンと来ませんが、さまざまな津波の映像には、自然の力の前では、人の無力さを感じずにはいられません。TVでも、呆然とする映像が次から次へと、映しだされていきました。

阪神大震災。あれが人生で同時代に遭遇する最悪の災害と思っていましたが、なんということ。まだ20年も経っていないのに。被災された多くの方は沿岸漁村やお百姓さんのお年寄りが多い感じ。地震に耐えたのに、巨大な津波が襲ってくるとは。逃げるに逃げられなかった無念さが重く避難所を満たしているようです。

そしてさらに追い打ちをかけるように(あるいは、今まで起こらなかったのが不思議なくらい)原発の「炉心溶融」のニュースが展開しています。このニュースはどうやら海外のメディアが熱心に報道しているようで、ドイツなどでは津波の被害情報そっちのけで、原発ニュースにかかりっきりとか。これもまた、世界同時的な情報共有になっているようです。
東京をはじめとする関東地方でも、計画停電や外国人の帰国命令などもあり、異様な恐怖心が広がっているそうです。

次から次へと情報が入ってきだしたのはツィッターです。私のiPhoneにも、はじめは東京からのひどい揺れのメッセージが。そのうちに東北らしいというメッセージが。そして、津波注意のメッセージに。
リアルな情報がどんどん、世界中を駆け回っていたようです。その日の夕方には、海外のCNNやBBCで津波の映像を流しているという情報もツイッターで知りました。川からあふれた海水が畑や田んぼを侵食していくヘリからの空撮でした。ちょっと信じられない光景。(NHK WORLDの映像でしたが、NHKのHPでは見られませんでした)

テレビでは、原発中心の情報があふれていますが、ツィッターではどこそこに支援が足りないとかいうすぐ役に立つ情報だけでなく、海外からの応援がこんなに届いているとか、リアルでうれしくなる(感動してしまう)情報が発信されています。

その中の一つ、卒業式が中止となってしまった立教新座高校3年生へ送った校長先生のメッセージがすばらしいので、ここでも紹介させていただきます。

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

神戸のように少しでも早く復興してほしい。それは無理な願いなのでしょうか。
たしかに今、日本人がなにかに試されているような気がします。そしてその連帯感みたいなものが生まれているような気がするのは幻想でしょうか。なぜかみんながサッカーでおなじみになった日の丸を胸に付けているような気がするのですが。

最後に、AKB48の5億円の義援金にはびっくり。こいつらすごい。

2010年7月25日日曜日

今日も祭りだ、祇園祭だ

今日は、祇園祭の後の祭り。お昼間の町中では、花町の芸舞妓さんたちも参加する花笠巡行が行われたようです。そんな祭りがあるとは知らず、夕方から鉾町のそばの友達の家に「およばれ」にあずかりました。毎年、宵山か宵々山の日に集まるのですが、今年は後の祭りの日になりました。

それというのも、還幸祭という3基のお神輿が八坂神社へと戻る行列が、彼の家の前を通るからです。中御座、東御座、西御座の順で、今日の町中を練り歩き、八坂を目指します。私たちが見たのが夜の8時半ごろ。八坂神社の階段下で気勢をあげるのは深夜12時頃になるとか。


ところで、先頭の中御座の神輿の前には、馬に乗ったお稚児さんが進んでいきます。


近くにいた祭りの役員の話によれば、このお稚児さんの格式はとても高いとか。長刀鉾のお稚児さんがニュースでは有名だが、山鉾巡行はあくまでも町衆の祭りで、こちらは八坂神社のお祭り。宮中に下足のまま上がっていけるのは、このお稚児さんだけだそうです。向こうは2000万出したらなれるかもしれないけれど、こちらはいくらお金を積んでもなれへんのや、って言うてはりました。


この辺の子どもたちはみな、路上で花火などをして祭り気分を最大に楽しんでいるようです。

今では17日の山鉾巡行が有名ですが、昔は17日と24日に分けられていたとか。それが17日にまとめられ巡行するようになったのはついこの前の1966年からだそうです。巡行の日が2日あったなど、まったく覚えていません。

そのため、この近所の子どもたちはみな、今晩も祇園祭の夜という感じなのでしょう。祇園祭の行事はまだまだ7月いっぱい続けられるそうです。


2010年7月18日日曜日

青空、入道雲、コンチキチン


夏が来たぁ!という感じの青空の下に、山鉾巡行を見に行った。今年は宵山に行かれなかったので、巡行だけでもちょっと見ようと思った。ここで見ようと思った場所は、御池通新町の角。そこに先頭の長刀鉾いたからだ。この角で、辻回しがおこなわれて、各鉾はそれぞれの町内へと帰っていく。


さすが土曜日の巡行とあって、もう人出は最高。はやくも暑さにやられたお年寄りのために、救急車のサイレンが響いている。そうこうしているうちに、長刀鉾の辻回しが始まった。キレイに3度で、直角に方向転換。新町通へと入っていった。

四条通りや御池通りを優雅にパレードする姿より、電柱や古い軒先をぎりぎりかすめて巨大な鉾が曳かれていく姿こそ、昔の町衆の祭りという面影がある。最近はこうしたポイントを知っている観光客が多く、細い道は早い時間から人でいっぱいだ。


長刀鉾のあと、油天神・霰天神の山車に続き函谷鉾がやって来た。函谷鉾の辻回しは残念ながら、長刀鉾のようにはキレイに息が合っていなかった。これを見て、新町から河原町へとやって来る鉾を見ながら歩いていった。

ちなみに上の写真は王朝絵巻から出てきたような優雅な「菊水鉾」と「船鉾」。鉾の姿だけでなく、装飾の違い、浴衣の違い、お囃子の違いなど、祇園祭は楽しめる要素がいろいろある。

ご贔屓さんといっしょに祭りを楽しむ舞妓さんも多く見かけた。