先日、レコードの棚を整理していたら、小学生の頃買っていたソノシートと、中学生の頃買っていたシングルレコードが出てきた。ソノシートの頃は、まだ、世間的にもステレオがなく、プレーヤーで音楽やを聴いていた時代だ。
ソノシートは「戦争音楽」や「テレビの戦争ドラマの主題歌」だった。もう少し後になってビートルズや、クレイジーキャッツや、007のものが加わった。多分、百貨店の特売かなにかで買ってもらった記憶がかすかにある。もう、その頃のプレーヤーもなくなってしまった。きっとすごいチープな音色で、今聴いたら、とても懐かしいだろう。
シングルレコードは、「モンキーズ」とか「ベンチャーズ」とか。中学当時、友達の家にステレオがきて、「これがステレオだ」というステレオに付属のレコードを聴いたことがあるから、ようやくお金持ちの家の応接間に登場してきた頃だ。僕は多分、ソノシートを聴いていたプレーヤーで、レコードを聴いていたのだろう。その当時は「これがシネラマだ」という映画を見に行った記憶もある。なんでも、初めて登場!が多かった幸せな時代だったんだ。
僕にビートルズを初めて聴かせてくれた、2歳上の近所の兄さんは、不良じゃないのに、親からも近所からも不良の音楽を聴いているという目で見られていた。僕も、なにかコソッと聴きに行くという感じだった。
その人はオリコンに就職し、定年までずっと音楽と関連した仕事に就いたようだ。
また、神戸の方を歩きたくなったのでお出かけした。新快速から普通へ、JR芦屋駅で乗り換えのつもりだったが、途中下車。芦屋の町をぶらりした。まずは北へ、山の手へ。旧山邑邸というフランク R ライト設計の建物を見に行った。建物もいいが、神戸港を見晴らす絶景。そこからすぐ西へ行けば、茶陶器の教室もある滴翠(てきすい)美術館もあった。
そのあたりから、芦屋川沿いを下りながら、芦屋浜方面までぶらぶら。もっといろんな高級ブティックがあるのかと思っていたが、大きな邸宅がずっと並ぶばかり。さすが芦屋。邸宅地を商業地にはしない、という空気を漲らせていた。
芦屋浜の辺からバス⇒ 電車で三ノ宮へ。栄町通りをぶらぶらし、ビールなど飲みながらお散歩。この辺りは古着屋さんやアンテークな店が多く、若い人たちの流行りの通りのようだ。
そして最後は、お目当ての「海文堂」さんへ。大好きな本屋さんだったけど、この9月30日で閉店されるのだった。面白そうな本を3冊ほど買った。2階の海の小物を売っている売り場は、もうほとんど品切れ。海文堂さんのオリジナルらしい船の絵はがきを2葉買って、サヨナラした。
ターミナルの大きな本屋さんもそれなりに便利だけど、「ウチはこんな本に強くてよく揃ってるでしょ」とか「地方の出版社の本も揃ってますよ」とか、「主人の趣味でこんな本も置いてるんです」とかいう個性を売りにしていた本屋さんが、街からどんどん消えていく。古本屋さんのいいのがいろいろ出てきたのは嬉しいが、本のセレクトショップみたいなお店がなくなっていく。
嵐電の西院駅前にこの教室はある。中学生の頃にはあったと思う。電車の車窓からすぐ前に見えるこの鏡面文字の看板は、その頃はペンキも剥げていた。けったいな看板、というのが第一印象。なんでも教えるんや、が第二印象。
はじめは、なんて書いてあるか、熱心に見てたはずだ。この看板は、僕が広告の仕事をするずっと前から、広告とはなんぞや?という「問」を発信してくれていたのだ。
昔の看板には、「アコギ」なんてなかっただろうから、きっと教室の先生も息子の代になっているのだろう。こういう世襲もあるんだ。想像だけど。
嵐電で遠足に行く今の小学生たちも、自然とこの看板と向きあうことになる。きっと目の中に「???」が浮かぶことだろう。こういう、ほどよい刺激のある町はいいね。歩いていて、楽しい。
最近見違えるようにキレイな看板になったのは、ギターやなんやかんや、教わるひとが増えたのだろう。高齢者社会のアクティブ・シニア層のおかげだ。家の近くの、カラオケ・サロンも流行っているようだ。お昼から、お茶でも飲みながらカラオケは、これからのシニアのライフスタイルになっていきそうだ。
家の前が幹線道路なので、パトカーや救急車、消防車がよく通ります。嵐山まで一直線の道なので、お寺が火事となったら、京都中の消防車がこの道に集結してくるようです。
しかも電車の踏切があるので、救急車両も一旦停止。電車が通るときには、お行儀よくサイレンを止めて待ちます。
もう、この感覚にマヒしていたのでしょう。何台もの消防車が家の近くに止まっても気づきませんでした。
よっこらしょと起きた家人が、窓を開けると「焦げ臭くない?」。確かに焦げ臭いし、目の前には消防車が止まってる。表に出て、幹線道路にでたら、もう煙がもうもうとして200mほどは霧のようで、道路の見通しもよくありません。
10軒ほどの西のラーメン屋から、煙が出ていました。火は見えず、煙だけ。お店だけで住人はいないので、けが人もいないようです。後で、回ってきた回覧板によると火の不始末だったとか。
こんな近所で(家にいるときに)、火事があったのは久しぶりでした。不謹慎な。昔、会社の連中と話していた時、小学生の頃に見た火事を(火事の炎の凄まじさを)きれいだと思ったことを素直に言ったら、無茶苦茶、非難されたのを思い出しました。
それにしてもこれくらいの小火でも、大事にいたらぬよう、10台もの消防車が来ていました。
雷でやられたか、台風でへし折られたか。8mくらい上からポキっとなくなって何年経つのだろう。御室仁和寺の西門の横に立つこの木は、この辺りの土地の主のように思える。威風堂々と立っている。
この木より太い木は、仁和寺境内に何本もあるだろう。でもこの木には、それらの木に負けない存在感がある。苔に表面を侵された木は、その木肌を堅くし朽ちず、岩となってだんまりをきめたみたいだ。ユーモラスな佇まいさえある。頑固じいさんが、魔法にかけられ岩になってしまったようだ。
死んだふりして、どっこい、下の方の根っこ近くには、若い木が何本か生え育ってきている。
この生えてきた若い木が西門の主となるまでには途方も無い時間が必要だ。
この前、友人と話をしていたら、やはり散歩したりするときに気になる木が何本かあるみたいだ。そちら方面にお出かけした時は、「こんにちは」と様子を見に行きたくなる木。耳を当てて水を吸い上げる音を聞いたり、木肌にさわったり、抱きしめたり。静かな時間の流れとやらを教えてもらえる、日立のCMのように、「気になる樹」たちなのだ。
ところが、ところが。この前見に行ったら、木は倒され、コンクリートで埋められていた。なんで?がっかりだ。なにか安全上の問題でもあったのか?そんなに簡単に切らなくてもいいじゃないか。釈然としない空気が、仁和寺西門のあたりに漂っているのでした。もう、この姿は見られない。
土曜の朝は、久しぶりにホットケーキを作って食べた。
作るのは2回目だけど、これがなかなかうまくいく。メープルシロップの甘さが好きなんだろうなぁ。
ホットケーキは昔の味がする。家で作ってもらったこともよくあったが、百貨店の大食堂で食べたという思いが強い。
懐かしい昭和の家族の物語、「3丁目の夕日」味。カルピスも、ミルクティーも、オムライスもあの頃の味だ。ここから卒業するのはなかなか難しい。
最近のメニューではホットケーキと呼ばず、パンケーキというらしい。とくにハワイはワイキキのパンケーキが人気で、エッグスンシングスという有名な店の前は人が並んでいて、すぐには食べられない。ハワイまできて並びたくないなぁ。このお店は、東京や大阪にも進出して、どこもすごい人らしい。最近の流行って、ほんとうに偏り方が激しい。
エッグスンシングスのパンケーキは、山と盛り上げられたホイップクリームが売りで、すごいボリューム。でも、ボクはホイップクリームが苦手で、ショートケーキもダメ。だから並んでまで食べたいとは思わないが、フルーツが山盛りってのはちょっと魅かれる。
これからは、メープルシロップにラムを混ぜてみるとか、サイドの一品を工夫するとかして、土曜の宵のメニューに進化させていってみよう。
暑いなぁ。あちちやなぁ、この夏は。昔なら、夏のVANは、このマドラスチェックが定番やったね。
高校から大学1年くらいの時、マドラスチェックのボタンダウンをよく着てましたわ。簡易に染めているので、ものすごく色が落ちた。他のものとは洗えず、別に洗濯してたもんね。でも、この、色落ち具合と、色の混ざり具合と、安物のコットンらしい、くたくたになる生地がなんともいえない味わいを醸すのです。
でもやっぱり、この色落ちへの消費者の文句が多かったのでしょう。インドで染めたマドラスはだんだんと少なくなり、ついに見かけなくなりました。マドラスチェック風の色の落ちないそれ風のシャツはありますが。
ところで、IVYの流行は面白い。つい3年ほど前も流行ってました。”TAKE IVY”がまた、バイブルのように売られていました。何回も生き返ってくる。ゾンビのような、なかなかしぶとい本です。とか思ってたら、呆気なくそのブームも終息。いやいや流行の回転の早いこと。
写真のシャツは15年ほど前に、偶然見かけて買いました。マドラスチェックってまだ、あったんだ。色違い2枚買って、まだ着てます。このシャツの色が落ちていく感覚が好きなのかもしれません。最近はユニクロの麻のシャツをよく着てます。これも、ほどよく色が落ちていくからです。
くたくたになったシャツやパンツを、ピシッと着こなす。これが理想です。そのためには背筋をピンとする、これができないのです。
久しぶりの更新。ここんとこなんか忙しくて。その一つ、東京出張。早朝からの打ち合わせなので、前日に出発。横浜に泊まりました。
前々からKitamuraさんに、遊びにおいでと誘われていたので、10年ぶりくらいの横浜散策。
写真は中華街の中にある煙草屋のキャラクター。なかなかいかした紳士です。で、中華街でお昼を食べて、いざ根岸競馬場跡へ。
以前からKさんのホームページで写真やを見たりブログを読んでいて、ぜひ行ってみたかった場所。
未だ米軍に接収されたままの土地だが、返還された住宅地の公園から垣間見ることができる。米軍のゆったりした住宅地とともにタイムスリップしたような風景。左の方が、米軍の住宅地。ゲートでカメラを向けると、コラッ写すなと飛び出してきました。
今回は行かなかったが、根岸森林公園もよさそう。
その後、港の見える丘公園の方に歩き、お茶。港の方におりて、ここも行きたかったニューグランドホテルへ。今は新館ができているけど、旧館はタイル一枚から贅沢です。中庭もありラッフルズのよう。
アタマのなかではエディ潘の『横浜ホンキートンクブルース』が流れています。
ああ、よく歩いた。ここからもう少し頑張って歩いて、野木へ。野木小路の路地テラスの呑み屋であれこれ話すうちに、夜も更けていくのでした。
神戸よりも人が少なくて、時間がゆっくり流れている感じ。ちょっと歩くと風景がどんどん変わる。やっぱり港町はいい、と思ってしまった。
あちこち案内してくれたKitamuraさんありがとう。横浜は、また歩いて、呑みに行きたくなる街ね。
この前の大阪朝日新聞ビルで思い出した、京都の朝日会館の壁画の話です。
その壁画ビル、小学生の頃、いや高校生くらいまであったかな。今の朝日会館に建て変わる前は、東郷青児の絵が壁画となっていたのです。下の写真、寺町通りから、公衆トイレのある道を河原町通りの方に歩いて来る、この写真がわかりやすい。(しかも東郷青児の壁画は2代目、はじめは違う絵だったらしい)
当時を偲んで、今の朝日会館ビルのエントランス部分にはタイルでミニ壁画が造られています。この絵がビル壁面いっぱいに描かれていたのです。
記憶がチョー薄~いのは、壁画の色も薄~いブルーグレイの背景色で、ピンクの色などもだいぶ色褪せていたような印象だったからです。
こんな大きなビル一面に描かれた壁画ビルって見たことあります? 当時の小さかった私には、そんなことが驚くに値するかどうかわからないのでありました。最近ではビル一面のラッピング広告という同じように見えるものがありますが、あれはダメです。街の文化がありません。
違う写真もありました。旧朝日会館の北には教会。跡地は今、京都ロイヤルホテルになってます。映っている教会は、ホテルの南へと移っていきました。なんて素敵な風景。京都の町中は高いビルがなく、大きな空が見えていいのですが、この当時の空の大きさといったらパリのようです(行ったことないけど)。
今春「フェスティバル・タワー」がオープンしたばかりだが、向かいの朝日新聞ビルの取り壊しがさっそく始まった。工事フェンスからは、屋上の一部だけが見えている。
この朝日新聞ビルが建ったのは、80年前の1931年。周辺に10階という高い建物はなく、大大阪を象徴する高層ビルだったのだろう。やさしいアール(曲線)につつまれたデザインは、客船をイメージしたものとか。たしかに、バルコニーのついた船の客室のようなイメージだった。
屋上から見れば、堂島川と土佐堀川の2つの川は、あたかも波を分けて進むイメージ。大阪湾へと航海する豪華客船だ。(もうすぐオープンするダイビル本館も同じコンセプト、客船をイメージした曲線が特徴なんだそうだ)。
そして今、工事フェンスからちらりと見えているのは、船の艦橋をイメージして建てられた、空の灯台だったとか。
空飛ぶ飛行機やヘリに、位置と高さを知らせる、航空灯台。夕闇せまる頃から、赤・緑・白の三色にイルミネーションされ、3000ワットの光の矢が夜空に放たれていたらしい。思い浮かべれば、なんてモダンなシティ・イメージなんだろう。きっとわくわくするポスターもあったのだろう。
その航空灯台は、消防署の火の見櫓でもあったらしい。当時は、神戸や泉州や枚方あたりまで、ぐるっと見晴らせたのだ。そしてなんと、この灯台の足下の屋上には、スケートリンクまであったらしい。10階には、高級レストランの「アラスカ」。なんて贅沢な、ビルなんだ。
そういえば、もう今はない京都の朝日新聞ビルは、東郷青児の壁画。レストラン「アラスカ」もあったなぁと思い出してしまった。