お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2014年3月16日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #13 大沢の池の小径 ●●

この小径は、日本最古の庭池といわれる、大覚寺の大沢の池をぐるっと回る、池の小径。お堂のあるあたりは鬼平など時代劇の撮影でもおなじみ。和歌に詠まれた「名古曽の滝」跡は、この写真の奥の方に。これで滝ってゆうの?というくらいの小さな石組み、もう水も流れていません。この辺りの芝生ゾーンでは、野生の猫たちがわがもの顔でのし歩いています。
池にはぐるっと桜の木が植えられていて、それは美しいのですが、その時期だけは300円か500円の有料となります。桜の堅いつぼみも、やや大きくふくらんできたでしょうか。ぶらぶらと池の周りを歩く、という観光客は少なく、もっぱら近所の人のお散歩コース。私の家からも往復1時間半くらいのちょうどいいコースです。嵯峨野は広く、大覚寺まで来る人はリピーターの観光客なんでしょう。ちょっと前までは、ここまで走って帰って30分というコースでした。最近は走る気力もありません。
この池から流れる水が、有栖川となり、鹿王院や車折神社のあたりを流れ、桂川の方へ合流していきます。


重なりし 池めぐる影 猫の恋


2014年3月3日月曜日

鮒鮨のこと

歳をとれば、嫌いなものも食べられるようになる。そんな食べ物の一つが、この「鮒鮨」です。食べられるようになったのはほんの8年ほど前。食べられるようになるきっかけなんて、他愛もないもので、出張帰りに立ち寄った長浜のそば屋さんで、同行した人のをつまんだところ食べられるようになったのでした。

・その理由(1)  そば屋さんの酒の肴の「鮒鮨」は、初めてのお客さんにもすすめられる、初心者向けのクセの弱いものであった。(初心者向けがあるなんて知りませんでした)
・その理由(2)  一緒に呑んだ地酒が良かったらしい。「琵琶湖の「鮒鮨」を食べるときは、琵琶湖の地酒を一緒に飲むと不思議に口の中がすっきりするンですよ」とそば屋さんのおばちゃんの言う通りでした。

で、初心者向けの「鮒鮨」で、そのうまみを知ってしまうと、あとはもう中級者向けも上級者向けもOK! OK! 高島あたりのお酒と老舗の「鮒鮨」を味わったりしていました。しかし「鮒鮨」っていろんな価格のものがあるんですね。調子になって食べ過ぎるとまた嫌いになると困るので、これからもゆっくりつきあっていきたいと思っています。ただ「鮒鮨」のお茶漬けは、ちょっとその濃厚な味のひろがりにびびってしまい、まだ手が出せません。

先日、彦根に居る大学時代の後輩から手づくりの「鮒鮨」をもらいました。なかなかクセのあるお土産。ゆっくりと、ありがたくいただいております。



湖(うみ)の雪 積もりしごとし 鮒の鮨


2014年2月23日日曜日

鳥羽街道名物「おせきもち」

「おせきもち」というのを食べた。やわらかな白いお餅、または、よもぎ餅の上にきめの細かい粒あんがのっている。ただ、それだけ。伊勢の名物「赤福」のようなお餅。丹波大納言のあんは、さっぱりと甘すぎず、上品な味。

お店は名神南インターの南側、1号線の城南宮の向かいにある。鳥羽街道名物として、その創業は450年前にさかのぼるという。1564年頃といえば川中島の戦いのあたり。江戸時代の東海道の旅行ブームになるよりずっと以前からこの茶屋はあったことになる。

そもそも城南宮をはじめこのあたりは貴族たちの別荘地として名高い地。平安京が造られた頃から都の羅生門まで、大きな道がつながっていたらしい。都への人や物資が往来する交通の要衝の地だったのだ。最近では、幕末、鳥羽伏見の戦場として知られている。
そうした鳥羽街道の茶屋で、この「おせきもち」は提供されてきた。東海道が大阪まで伸び、鳥羽宿でもあれば、安藤広重はこの茶屋の風景を描いていたかもしれない。

もうひとつの「売り」であるらしい、おはぎも食べたが、こちらはこしあんで餅米もきめ細かく、やさしい味だった。支店はなく、百貨店などにも店を出していないという。しかも月・火曜日はお休み。なんとも商売っ気のないマイペースなお店なのもいい。


冬を脱ぎ 歩きだす道 おせきもち

2014年2月10日月曜日

お楽しみは「気狂いピエロの決闘」


暴力的な感覚が美しい映画を、久しぶりに見た。ペキンパーのような、香港映画のような、独特な雰囲気をもっている
「気狂いピエロの決闘」という、スペインとフランスの合作。
物語は、スペイン内戦にはじまり、40年50年60年70年代を疾走していく。 オーソドックスに始まるタイトルバックから、これでもかというパワーを感じる。

「泣きのピエロ」と「怒りのピエロ」の血みどろの三角関係。フランコ将軍への復讐劇。
反権力映画、いやいやロマンス映画?どちらにしても本家「気狂いピエロ」より、狂気に満ちた世界。監督は、アレックス・デ・ラ・イグレシア。カルト的人気を誇る監督らしい。

映画紹介には、バイオレンス・ホラーと書いてあったが、そんな枠にはおさまらない。何しろゴヤ賞をはじめ世界各国の映画祭で話題になった実力がある。



男と男のぶつかり合いからしか生まれない、乾いた狂気。健さん唐獅子牡丹のドグラ・マグラ。やりすぎた仁義なき戦い。血と毒が多すぎて、バイオレンスが苦手な人には、まったくお薦めできないが、ただのバイオレンス映画ではないよ。タランティーノは、きっとこんな映画を撮りたいのだろうなと思わせる。エンドロールまで、ハイテンション。濃い時間ぎっしりの一本だ。


血が匂う シネマの狂気 冴ゆる闇


2014年1月26日日曜日

送電塔は美しい


ハイキングに行くと、大きな送電塔によく出くわす。街から山にお出かけする人間と、山奥のダムから街へと送られてくる電気の通り道がクロスするのは当然のことだけど。ハイキング道の近くに多いようだ。昔からの歩きやすい道の近くに建てられてきたのだろうか。
この送電塔を真下から見上げると、とても美しい。構造物としての美しさと、電気を通されたサイボーグのような、どこか生き物をみているような美しさを感じる。
静かな鉄の塔ではなく、今にも動き出しそうな迫力がある。





たとえば夜などは、バチバチとショートした火花が見えるのかもしれない。蛍光灯を持って行けば、薄青く発光するのかもしれない。昔テレビで、送電塔の近くに住むと電磁波が体に悪いと、蛍光灯を持って実験しているのを見たことがある。

箕面の山々でも、洛西の山々でも、比良の山々でも、背骨に針を打つように送電塔がつながっている。何十万ボルトの電流が流れているんだろう。古都の電柱電線と同じで、景観はよくないが、送電塔ばかりは地中に埋めるわけにも行かない。

やがて宇宙から無線で電気が送られてくる時代も来るそうだが、そうなると、送電塔もなくなってしまうのだろうか。



山起こす 鉄塔怪獣 あらわれり



2014年1月18日土曜日

電車がストの日は線路で遊んだ

小学校の時から、嵐電に乗って通学していた。歩けば、片道30分くらい。近所では、電車で通学する子が多かった。
昔は電車がストで運行しない日がよくあった。長いときは3日もストだった。電車の線路が通学路になり、遊び場になった。いつもと違う友だちと、遊びながら帰ったりした。ずっとずっと先の駅まで線路を歩けるのは、ストの日くらいだった。どこまでもレールの上を歩いていく。線路の上の空も広がっていく。映画「スタンバイミー」のあの気分だ。
あの頃、スト告知のポスターはちょっとうれしかった。最近は労使関係の話し合いがスムーズなためか、ストという強硬手段はなくなってきたが。


まぁ、あの頃はストの日でなくても、線路でよく遊んでいた。五寸釘をレールに置いて電車に踏みつぶしてもらったら手裏剣ができた。ダーツのような遊びをしていたのだ。
電車が通る時間は10分おき。次の駅まで、線路を走って行ったりしていた。町内の路地のような道も線路を横切っていた。踏切のない小道がいっぱいあって、大人たちも裏庭のように線路を横断していた。

最近はさすがに柵ができ、線路に入れないようになってきた。まして、線路に入る子供たちの姿などは見かけなくなった。絶対にダメと学校で注意されているのだろう。油がしみ込んだ木の枕木も、コンクリートのものに変わってしまった。


北へ2機 初空裂きし ジェット雲  

2014年1月10日金曜日

あけまして、おめでとうございます

 今年はお正月休みも長く、とても穏やかで、気温も比較的あたたかく、のんびりできました。家の前の大きな通りもクルマの量が少なく、救急サイレンも少なかったように感じます。穏やかで、なにより。
ちょっとコレは?と思ったのはテレビ番組。お正月定番のもう何回も見た番組ばかり。スペシャル感がありません。テレビ局は猛省をお願いします。
何歳になってもテレビっ子なもんで、困るのあるョ。

いつもと違ったのは、松尾大社に初詣に行ったことくらいでしょうか。年末、神棚を掃除していたら、古い神札が入っていたので、お詣りに行ってお返しし、新しいのをもらってきました。家を建てたとき地鎮祭でお願いしたのが松尾さんだったので、家の神棚には松尾さんの神札を入れています。
松尾さんはお酒の神様でもあるので、酒造メーカーの人がお正月もらいに来るという亀井の水もいただきました。

ついでに、近くのとても古い「月読神社」にもお詣りを。NHK新・風土記の「月」のテーマの時に出てきた神社です。

定年後3年目へ。いつまでもだらだらと社会人の時のリズムで暮らすのはマズイな、と思ったりもします。なにか精神的なビッグイベントが必要な2014年かもしれません。
相変わりませず、つたないブログではありますが、今年もヨロシクお願いいたします。


巳嗤う コピーしたよな 馬正月

2013年12月31日火曜日

あっという間に、年末に突入

この1年は、とても速く過ぎ去ってしまった。仕事や生活が適度に忙しく、折々にちょっとした事件や出来事が現れ、退屈するということがあまりなかった。親父の病院の付き添いもあったし、流星や彗星の話題も多かった。嵐山も台風もすごかったし、久しぶりの出張取材もあった。
ゴルフもそんなに行ってないし、映画もそれほど見てないのに、それなりに忙しい1年だった。
このブログに関しては、コメント欄はあまり盛況ではなかったけどね。友達のブログを覗きに行っても同じようで、みんな、コメント書くのが邪魔くさいって感じ?カウンターの数字は増えているので、読んでもらってはいるのだろう。あまり熱心に書かなかったこちらも悪い。反省。

今年の秋くらいからは、短歌の本を読むようになったり、クラシックのCDをよく聴くようになった。こんなことは、今までになかった。興味あるものが増えるのは、いいことなんだろう。テレビのドラマもけっこう面白く、録りだめしていた番組を追いかけられるように見た1年でもあった。

年末が押し迫ってきてから、友人知人のあいだで、健康に関わる重大な出来事が相次いだ。会える人には、会えるうちに、できるだけ会っておかなければ。そんな思いが強い。
神戸のお気に入りの本屋さん「海文堂」がなくなってしまったので、一度自転車で、地元京都のいい本屋さんを探しに出かけた。こうした「ぷらぷら」を来年は増やそう。今どきの京都の喫茶店もいろいろいい店を探してみたい。「地元に帰ろう」、じぇじぇじぇ。

どんな来年が待っているのか。とりあえず5月収穫を目指してプランターに蒔いた、えんどうや絹さやの芽がもう出てきた。ちょっと育ち過ぎじゃない?うまく越冬できるかな。薄紫のかわいい花を咲かしてくれるかな。

2013年12月2日月曜日

ぽかぽかと暖かい冬の初め


自転車で、嵐山の方に行ってみた。西京極の方から河川敷のサイクリング道を、嵐山の方に向かう。途中、お年寄りの夫婦(と思うが)が、川べりに腰をおろしていた。ぽかぽかと暖かな日で、空気も澄んでいる。風も穏やかで、寒くはない。冬の初めの一日としては、申し分のない休日。お二人の距離感がなかなかいい感じだったので、思わず一枚撮ってしまった。
写真はうまく撮れていないが、この日は、川の水もとてもきれいで、陽がさせばコバルトブルーに光って流れていた。ちょっと自転車で30分も走れば、こんな風景に出会えるのが京都のいい所だ。

ところが、お二人の目の前には、台風でなぎ倒された川辺の木々が累累と横たわっている。川の中の中洲の木々も倒れかけた姿のまま枯れている。子供たちが野球をする河川敷のグランドが何面もあったのに、みんな砂が流されて、砂利だらけだ。
ニュースになった渡月橋の辺りは台風の後片付けも終わり、閉まっていたお店も開いていたが、下流の方へ行くと、台風の爪痕は残されたままだ。

昨日、天気がよかったので、朽木の方にドライブに行った。ここまでくればもう紅葉も終わり、葉っぱもだいぶ落ちていた。
なんか川の幅が広がっているような気がしたので、酒屋でおばさんに聞いたら、あの台風の日、あちこちで山の土砂崩れが起こり、とても怖かったらしい。山に挟まれた里で、夜に降る異常な豪雨は、ほんとうに怖いだろう。狂ったような川の水が、両岸の草や木や土砂をみんな流していったという。

秋が終わり、冬が来て、春も過ぎる頃。草や木々の緑が萌え出してくるまでは、こうした爪痕は、爪痕のままその姿をさらけつづけるしかない。

2013年11月24日日曜日

久々の維新探検、茨木に全員集合


とつぜんの病気に見舞われたり、体調不良が起こったり、家庭の事情がなんやかやあったり、全員揃うのもなかなかままならない維新探検隊。この日ばかりは全員集合。めでたく維新探検番外編とあいなりました。探索するのは、昨年末からお預けになっていた「茨木」へ。

阪急茨木駅で集合し、まずは茨木城の面影を訪ねて散策。それにしても駅前の商店街は大きく活気があり素晴らしい。ちょっと横町にはいるとタイムスリップしたようなお店が並ぶ。ここだけをじっくり見ても面白いかも。

続けて川端康成記念館や、富士正晴記念館へ。とくに富士正晴の世界が楽しく紹介された記念館は特別イベントもあり、楽しく見ることができた。
お昼はざるそばと天むす。このあとは、西国街道の郡山宿の本陣を訪ねる。
かつては御成門脇に咲く五色の椿が有名で、「椿の本陣」と呼ばれたところ。大名行列の宿泊の様子を、現在の当主が語ってくれる。

帰りは西国街道をぶらぶら歩いて、茨木駅前へ。お疲れ様、「こがんこ」で盛り上がった打ち上げとなりました。それにしてもまぁ、皆さんよく食べはること。お元気で何よりです。