2014年5月8日木曜日
2014年5月4日日曜日
プランターの「絹さや」が収穫期に
そこで昨年11月に種を買ってきて、蒔いておいた。冬を越さなければならないのだ。好きなのは赤い花・ピンクの花を咲かせる方だが、初めてなので白い花を咲かせる方と2種類蒔いた。
豆は思ったよりぐんぐん育ち、1月頃には5cmくらいになり、かぶせた不織布の上には何度も雪が積もり、大丈夫かなと思っていた。寒い間は月に10cmずつ大きくなり、4月になるとぐんぐん伸びた。白やピンクのモンシロチョウがいっぱい飛んでいる感じだ。そしてこの度めでたく収穫の時を迎えることができた。
湯がいて美しい絹さやは、筍ご飯のトッピングや、若竹煮にもぴったり寄りそう。塩こしょうでさっと炒めてもおいしい。プランター一つだから、それほど量はできないが、3日に1回は収穫できる。昨年買った種はまだ10年分くらいありそうだから、毎年育てて行こう。近頃は咲く花の数もめっきり減ってきた。シーズンも終わりなのか。
ひらひらと 風に舞う夢 豆の花
2014年4月25日金曜日
3年ぶりの愛宕神社へ
久しぶりに愛宕山に登った。今回は清滝から正面の参道を上がった。月参りでお年寄りも登るルートなれど、なかなかきつい。前回の空也の滝から月輪寺ルートにくらべるとましだけど、なかなか。この頃はちょっと山中に入ると人がいなくて、クマが出てきたらと心配もするけど、このルートは人も多くて安心。
それにしても元気な年寄りが多い。
70歳くらいのオジジ・オババが頭にバンダナ巻いて降りてくる。朝早くからお詣りしてきたのだ。こっちは二三十分も歩くと休憩。登り始めた頃に、この人大丈夫かなと思ったご婦人にも追い抜かれてしまう。ゆっくりと一歩ずつ休みなく登って行かれた。やっぱり、カメさんは早いのだ。
「山ガール」ブームのおかげか、出会う人のウェアが色とりどりできれい。
紙袋だけを持ったおじさんは「町内会の打ち合わせを今、山頂の神社でしてきました」と行った感じで降りてくる。汗もかいてない。タオルも持っていない。タフな人だ。
道の途中で、煙草の吸い殻を拾って掃除しているおじさんに出会った。話を聞くと、昔は多くの宿坊や茶屋がこの参道に沿ってずいぶんと建っていたらしい。全国から愛宕神社にお詣りに来る人のための施設だ。山頂には白雲寺というお寺もあり、家康などの信仰も篤かったという。
やっと着いた。まず、山頂の愛宕神社にお詣り。この最後の立派な石の階段が、またきついのよ。百段くらいあるのかな。お詣りの後は、境内でお弁当。肌寒く、桜もまだ堅いつぼみで、花咲くのはこれからだ。
帰りは、山つつじがきれいな山道を水尾の里方面に降りた。ゆずの里も、このシーズンは閑か。桃の花と、垂れ桜を楽しみながら、早春らしいせせらぎ沿いの旧道を保津峡まで歩く。
清滝から約3万歩のハイキング。登り下りの3万歩はきつく、風呂上がりのサロンパスがあ~じんわり効いてくる。
それぞれの あたご道空へ 山つつじ
2014年4月6日日曜日
「白川疏水通り」を歩く
2014年3月16日日曜日
●●● 嵯峨野の裏道 #13 大沢の池の小径 ●●
この小径は、日本最古の庭池といわれる、大覚寺の大沢の池をぐるっと回る、池の小径。お堂のあるあたりは鬼平など時代劇の撮影でもおなじみ。和歌に詠まれた「名古曽の滝」跡は、この写真の奥の方に。これで滝ってゆうの?というくらいの小さな石組み、もう水も流れていません。この辺りの芝生ゾーンでは、野生の猫たちがわがもの顔でのし歩いています。
池にはぐるっと桜の木が植えられていて、それは美しいのですが、その時期だけは300円か500円の有料となります。桜の堅いつぼみも、やや大きくふくらんできたでしょうか。ぶらぶらと池の周りを歩く、という観光客は少なく、もっぱら近所の人のお散歩コース。私の家からも往復1時間半くらいのちょうどいいコースです。嵯峨野は広く、大覚寺まで来る人はリピーターの観光客なんでしょう。ちょっと前までは、ここまで走って帰って30分というコースでした。最近は走る気力もありません。
この池から流れる水が、有栖川となり、鹿王院や車折神社のあたりを流れ、桂川の方へ合流していきます。
重なりし 池めぐる影 猫の恋
2014年3月3日月曜日
鮒鮨のこと
歳をとれば、嫌いなものも食べられるようになる。そんな食べ物の一つが、この「鮒鮨」です。食べられるようになったのはほんの8年ほど前。食べられるようになるきっかけなんて、他愛もないもので、出張帰りに立ち寄った長浜のそば屋さんで、同行した人のをつまんだところ食べられるようになったのでした。
・その理由(1) そば屋さんの酒の肴の「鮒鮨」は、初めてのお客さんにもすすめられる、初心者向けのクセの弱いものであった。(初心者向けがあるなんて知りませんでした)
・その理由(2) 一緒に呑んだ地酒が良かったらしい。「琵琶湖の「鮒鮨」を食べるときは、琵琶湖の地酒を一緒に飲むと不思議に口の中がすっきりするンですよ」とそば屋さんのおばちゃんの言う通りでした。
で、初心者向けの「鮒鮨」で、そのうまみを知ってしまうと、あとはもう中級者向けも上級者向けもOK! OK! 高島あたりのお酒と老舗の「鮒鮨」を味わったりしていました。しかし「鮒鮨」っていろんな価格のものがあるんですね。調子になって食べ過ぎるとまた嫌いになると困るので、これからもゆっくりつきあっていきたいと思っています。ただ「鮒鮨」のお茶漬けは、ちょっとその濃厚な味のひろがりにびびってしまい、まだ手が出せません。
先日、彦根に居る大学時代の後輩から手づくりの「鮒鮨」をもらいました。なかなかクセのあるお土産。ゆっくりと、ありがたくいただいております。
湖(うみ)の雪 積もりしごとし 鮒の鮨
2014年2月23日日曜日
鳥羽街道名物「おせきもち」
「おせきもち」というのを食べた。やわらかな白いお餅、または、よもぎ餅の上にきめの細かい粒あんがのっている。ただ、それだけ。伊勢の名物「赤福」のようなお餅。丹波大納言のあんは、さっぱりと甘すぎず、上品な味。
お店は名神南インターの南側、1号線の城南宮の向かいにある。鳥羽街道名物として、その創業は450年前にさかのぼるという。1564年頃といえば川中島の戦いのあたり。江戸時代の東海道の旅行ブームになるよりずっと以前からこの茶屋はあったことになる。
そもそも城南宮をはじめこのあたりは貴族たちの別荘地として名高い地。平安京が造られた頃から都の羅生門まで、大きな道がつながっていたらしい。都への人や物資が往来する交通の要衝の地だったのだ。最近では、幕末、鳥羽伏見の戦場として知られている。
そうした鳥羽街道の茶屋で、この「おせきもち」は提供されてきた。東海道が大阪まで伸び、鳥羽宿でもあれば、安藤広重はこの茶屋の風景を描いていたかもしれない。
もうひとつの「売り」であるらしい、おはぎも食べたが、こちらはこしあんで餅米もきめ細かく、やさしい味だった。支店はなく、百貨店などにも店を出していないという。しかも月・火曜日はお休み。なんとも商売っ気のないマイペースなお店なのもいい。
冬を脱ぎ 歩きだす道 おせきもち
2014年2月10日月曜日
お楽しみは「気狂いピエロの決闘」
「気狂いピエロの決闘」という、スペインとフランスの合作。
物語は、スペイン内戦にはじまり、40年50年60年70年代を疾走していく。 オーソドックスに始まるタイトルバックから、これでもかというパワーを感じる。
「泣きのピエロ」と「怒りのピエロ」の血みどろの三角関係。フランコ将軍への復讐劇。
反権力映画、いやいやロマンス映画?どちらにしても本家「気狂いピエロ」より、狂気に満ちた世界。監督は、アレックス・デ・ラ・イグレシア。カルト的人気を誇る監督らしい。
映画紹介には、バイオレンス・ホラーと書いてあったが、そんな枠にはおさまらない。何しろゴヤ賞をはじめ世界各国の映画祭で話題になった実力がある。
男と男のぶつかり合いからしか生まれない、乾いた狂気。健さん唐獅子牡丹のドグラ・マグラ。やりすぎた仁義なき戦い。血と毒が多すぎて、バイオレンスが苦手な人には、まったくお薦めできないが、ただのバイオレンス映画ではないよ。タランティーノは、きっとこんな映画を撮りたいのだろうなと思わせる。エンドロールまで、ハイテンション。濃い時間ぎっしりの一本だ。
血が匂う シネマの狂気 冴ゆる闇
2014年1月26日日曜日
送電塔は美しい
ハイキングに行くと、大きな送電塔によく出くわす。街から山にお出かけする人間と、山奥のダムから街へと送られてくる電気の通り道がクロスするのは当然のことだけど。ハイキング道の近くに多いようだ。昔からの歩きやすい道の近くに建てられてきたのだろうか。
この送電塔を真下から見上げると、とても美しい。構造物としての美しさと、電気を通されたサイボーグのような、どこか生き物をみているような美しさを感じる。
静かな鉄の塔ではなく、今にも動き出しそうな迫力がある。

たとえば夜などは、バチバチとショートした火花が見えるのかもしれない。蛍光灯を持って行けば、薄青く発光するのかもしれない。昔テレビで、送電塔の近くに住むと電磁波が体に悪いと、蛍光灯を持って実験しているのを見たことがある。
箕面の山々でも、洛西の山々でも、比良の山々でも、背骨に針を打つように送電塔がつながっている。何十万ボルトの電流が流れているんだろう。古都の電柱電線と同じで、景観はよくないが、送電塔ばかりは地中に埋めるわけにも行かない。
やがて宇宙から無線で電気が送られてくる時代も来るそうだが、そうなると、送電塔もなくなってしまうのだろうか。
山起こす 鉄塔怪獣 あらわれり
2014年1月18日土曜日
電車がストの日は線路で遊んだ
昔は電車がストで運行しない日がよくあった。長いときは3日もストだった。電車の線路が通学路になり、遊び場になった。いつもと違う友だちと、遊びながら帰ったりした。ずっとずっと先の駅まで線路を歩けるのは、ストの日くらいだった。どこまでもレールの上を歩いていく。線路の上の空も広がっていく。映画「スタンバイミー」のあの気分だ。
あの頃、スト告知のポスターはちょっとうれしかった。最近は労使関係の話し合いがスムーズなためか、ストという強硬手段はなくなってきたが。
まぁ、あの頃はストの日でなくても、線路でよく遊んでいた。五寸釘をレールに置いて電車に踏みつぶしてもらったら手裏剣ができた。ダーツのような遊びをしていたのだ。
電車が通る時間は10分おき。次の駅まで、線路を走って行ったりしていた。町内の路地のような道も線路を横切っていた。踏切のない小道がいっぱいあって、大人たちも裏庭のように線路を横断していた。
最近はさすがに柵ができ、線路に入れないようになってきた。まして、線路に入る子供たちの姿などは見かけなくなった。絶対にダメと学校で注意されているのだろう。油がしみ込んだ木の枕木も、コンクリートのものに変わってしまった。
北へ2機 初空裂きし ジェット雲
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