お気楽さんぽ

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2011年9月19日月曜日

カタカタと8mmが回る音

うちの父が、映画のカメラ仕事をしていたので、小さい頃からカメラが側にあった。父がいじっていた8mmカメラはARCO(アルコ)というやつで、広角や望遠など3つのレンズをくるくる回して変えるものだった。映す前に、ギリギリとぜんまいを手動で巻き上げる、なかなかの年代物。ずっしりと重たく、かっこ良かったが、小学1〜2年の手には扱いにくかった。それでも、撮影はさせてくれて、ファインダーを覗きながらカメラをパーンするスピードなどを教えてくれた。

当時の8mmフィルムは、撮影するときは16ミリフィルムで片側を撮影したら裏返して撮影。現像にだすと、16ミリフィルムを2つに分けていた。カラーフィルムの場合は緑と赤のツートンのプラスティックケースに入れられて帰ってきた。直径10cmくらいの小さなリールで、約3分間の上映であった。(モノクロは緑と黒のケースだった。富士フィルムが「私にも写せます」のシングルエイトを出して、8mmカセットができたと思う。)

家での上映会となると、小さい子どもたちはそわそわ。電気を消した真っ暗な部屋は、いつもと違う高揚感いっぱいの夜ではあった。何かのはずみでフィルムが引っかかると、投射する電球の熱ですぐにフィルムが焼き切れてしまう。とたんに部屋はイヤな臭いとともに、昼間のようなまぶしい光に満たされてしまうのであった。
そうしたフィルムを切って、器具に挟んでヤスリをかけ、薬品を塗ってフィルムをつなぎ、カタカタと巻き取り編集する作業が父は好きだったみたいだ。たしかに、微かに薬品の匂いがする編集の作業は、没頭できる時間であったに違いない。

この頃は映画館に行っても、よくフィルムが焼き切れていた。みんな没頭して熱中して見入っているものだから、いいシーンでフィルムがじわっと茶色になり、ブツブツ泡が広がるように焼き切れてしまうと、悲鳴ともブーイングとも、あ~あといったあきらめとも思える声がミックスされ、みんなが劇場の最上階の映写室を睨みつけるのであった。さすが、「金返せ」とはだれも言わないが、「だいなしやなぁ」といった空気がいっぱいだった。映写技師の人たちも大変だ。
この頃の映画のフィルムはセルロイドみたいなものだから、熱に弱く、すぐ焼き切れてしまう。撮影所や映画館の火事が多く、昔のフィルムが残っていないのもむべなるかななのだ。

4 件のコメント:

  1. いい環境やったんやなぁ、っと思う。もちろん家庭環境とか、オヤジさんの背中のこと。
    立派な仕事してるオヤジさん。仕事が好きでたまらないっていう姿を、AOさんはずっと見てきたのやなぁ。

    オレはそういうオヤジの背中は見た記憶がないなぁ。
    農業やったから、毎日疲れ果てて辛そうな背中やった。
    そやから殆ど外で遊んでたと思う。

    家族が嫌いやったんじゃないと思うけど、
    なんとなくそんな顔が見たくなかった。
    たぶん避けてたんやろなぁ。

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  3. 漁さん、コメントありがとうございます。

    愚痴ってばかりの親父とか、母親困らす親父とか、いろんな親父見てますから。普通に、キライな親父です。ただ、ブログですから、いい話しか書きません。
    親父そのものより、親父の持っていたモノやコトなどに印象に残るものがあって(それらのモノが、ボクという人を育ててくれたような気もするので)、そうしたモノの記憶を思いついたら、またブログにかいていきたいなと思っています。

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  4. そうか、AOさんも結構複雑な思いがあったんやね。
    なんか、飄々としてて、マイペースを崩さないけど、その反面ひとを丸く(気持ちのこと)する雰囲気があるけど、若い頃から大人の目で、オヤジさんを見てたんやな。

    オレなんか逃げてばっかりやったかもね。
    つまり、自分の心が傷つけられたり、落ち込んだりするのが嫌やったんやと思う。そやからその場から逃げたりしてたんやなぁ。

    その時にしっかり見ていて、そういう場合に自分の気持ちを制御したりしてたら、もっと深い人間になったかも知れへんね。今更やけど。

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