お気楽さんぽ

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2011年7月31日日曜日

北新地は、ビール発祥の地

夏といったら、ビールでしょう。痛風も(ボクは違いますが)、ピリン体もなんのその。ついつい呑みすぎてしまいます。ところでこの前、新地のへんを歩いていたら面白い碑を見つけました。
『国産ビール発祥の地』。ANAホテルの北、相互タクシーの乗り場の向かいにありました。

仕事の資料探しに梅田のジュウンク堂をよく利用するのですが、今日は違う道を通って帰ろうと北新地の方を歩きました。昼の新地はまだ眠たそうな、でも動き出さねばという雰囲気。だが昔に比べると、お昼から開いているお店も多く、遅い昼食をとるビジネスマンも多いみたいです。

で、見つけてしまったのがこの『国産ビール発祥の地』の碑でした。なんと日本のビールは新地から始まっていたのです。なんでも、我が国におけるビールの醸造は、幕末に外国人により横浜でおこなっていたが、日本人の手なるものとしては、この大阪が初めてとか。渋谷(しぶたに)庄三郎という人がイギリス人技師の協力で、この地でビールを製造したそうです。
銘柄は「渋谷ビール」といい、犬のマークの付いたラベルであったそうな。明治5年3月から製造販売を開始、中之島近辺や川口居留地の外国人に販売していたそうです。

新地の端の方ではありますが、日本人のビールはここからはじまった。その碑は大きな木の下で、涼しげに佇んでいました。

2011年7月24日日曜日

お楽しみは「八月の濡れた砂」

舞台は湘南。ギラギラの太陽。カァっ~と暑い真夏のグラウンド。不良高校生の村野武範がやってきて、みんなが勉強している校舎にサッカーボールを蹴り込む。窓ガラスが割れる。 こうして、あの「八月の濡れた砂」は始まった。
夏といえば、この映画なのだ(裕次郎の「太陽の季節」はリアルタイムに見てないので)。

不良。ヨット。暴力。反体制。爽やかな女優(テレサ野田が風のようだった)。けだるい音楽(石川セリはもうこの1曲だけで伝説になった)。「夏」という季節のすべてが、この映画の中にあった。あの頃から、いったい何回見ただろう。

はじめは、学館の99円映画上映会だったろうか。当時、大学の学生自治会が主催する、税金のかからない99円の映画上映会で「寅さん」や「健さん」の映画をいっぱい見られた。
それとも、一乗寺の方の「京一会館」の深夜映画で見たのか。当時、近くの屋台で食べたラーメン屋が「天下一品」になろうとは。



とにかくそんな、ちょっと疲れた時代に、一生懸命、蹴りをいれていたのが、日活ニューアクションという映画群だ。このまえWOWOWで原田芳雄の「反逆のメロディ」をやっていたが、やはり面白かった。追い込まれていった人間たちが自分にケリをつけていくアクション映画を、当時の助監督たちが自由に映画していたのだ。ねぇ、米ちゃん。そしてその息吹は、この「八月の濡れた砂」を最後に、日活ロマンポルノへと受け継がれていく。

最近はこうゆうガラの悪い、乱暴な、でもどこかあたたかい映画は韓国に持っていかれたようでさびしい。
突然(余命2年と宣告されていたらしいが)、原田芳雄が亡くなった。特別好きというわけでもないが、こんなに早く死んでしまうなんて。

2011年7月17日日曜日

アロハの季節であります


アロハは比較的、よく着る方であります。どちらかというと下にTシャツとか着ないで、直に羽織りたいタイプです。汗でベタベタと気持ち悪くなる時がありますが、風が吹けばすぐ乾いてしまいますから。
世の中にはアロハのコレクターといわれる人ががかなりいるようですが、ボクはそんなの関係ありません。ヴィンテージ物なんて持ってないし。でも、ハワイのフリーマーケットで買ってきたり、もらったりしているうちに、ずいぶんと数もたまってきました。これはちょっとうれしいです。

今は、Tシャツが似合わないぷよぷよ体型なので、夏といえばアロハです。いやいや冬でもセーターの下に、シャツとして着たりすることもあります。邪道ですが、気分はいいです。

20ウン年前に新婚旅行でワイキキに行ったときは、観光客も現地の人もアロハが溢れていたのに、3年前に行ったときは全然見かけませんでした。ガクゼンとしました。今日ポッドキャストで聞いたハワイのニュースでは、ワイキキでアロハを着ている人は30人に1人とか。そこでハワイ州知事が2011年をアロハの年にすると宣言し、アロハシャツ生誕75周年を祝うことにしたそうです。

もともと日本の着物をシャツに仕立てたアロハだから、京都には、友禅のお店がブランドを作ってなかなかいいアロハを売ったりしています。ハワイのお土産アロハなどは足元にも及ばない、いいデザインのものがあります。これからはそんなアロハもラインナップに加えたいと思っています。
普通のシャツは襟が擦り切れたり、ほつれたりしたら終わりですが、アロハはそこからが、クタクタからが味が出てくるのであります。歳をとるほど、似あってくるはずなのです。

2011年7月10日日曜日

手づくり梅酒を、もう一杯

わが家の梅酒はうちのKさんの実家のお母さんに、毎年つくってもらっている。甘い梅酒はキライで、できるだけ辛口の梅酒をというリクエスト。甘くない梅酒なんて売っていないので、もう、この梅酒は手放せない。甘くないから、和食にも洋食にも合う。お腹をこわしているときにもいい。というわけで、毎年多めにつくってもらう。今新しい梅酒を仕込んでもらっているところで、写真の梅酒は昨年産の最後の一杯だ。

小さい頃は、母親が手づくりで梅酒をつくっていた。母は甘めのワインとかが好きだったようだから、梅酒もほどほど甘かったと思う。子どもたちにはそれくらい甘いほうがよく、サイダーで割って飲んでいたような気がする。小学生の頃から梅酒につかっている梅の実が好きだった(今でも大好きだけど)。あのおかげで酒を鍛えられたのかもしれない。梅酒の梅の実は、けっこうアルコール度が高いから。
そんな環境なので、手づくり梅酒は珍しくないと思っていたが、飲み会で聞いてみると家でつくっているという人は少ないようだ。あるパーティに、家の梅酒を持っていったらすぐになくなってしまった。

今、気がついたけど、この梅酒の実は、いい薬味になりそうだ。カレーに入れるとか、サンドイッチに入れるとか。おいしい料理やおつまみに発展するかもしれない。パスタに入れても旨いかな?なかなか自分で動かないから、ただの思いつきで終わってしまうことが多いけれど。
ところで関西では一昨日、梅雨が開けた。平均より13日ほど早いらしい。やれやれ、今年の夏はたいへんそうだ。みなさん熱中症にご用心を。

2011年7月3日日曜日

おじいの扇風機についての考察

家のじいさんは89歳になる。すこぶる元気でなによりであるが。
散歩にもよく出かける。どこを歩いて来るのか2時間ほど帰って来ないこともある。昨年は、自分の杖(ストック)に躓いてこけ、かばった手の骨を骨折していた。自分の頭で思っている以上に、自分の足が付いてこないのだ。この杖に蹴躓くという老人の事故が多いそうだ。杖を使うのも難しい。骨折は完治したようだ。

このじいさんがエアコンをガンガンに使う。夏は寒すぎて、トレーナーを着こむくらいエアコンを使う。冬は暑くてパジャマでOKというくらい暖房する。ちょっとしたお出かけならエアコンをつけたまま出かける。そのくせ、ボクが台所の蛍光灯を昼間点けると「もったいない」とすぐに消す。おいおい消すなよ。
この傍若無人ぶり、どこの家も、年寄りというのはそうなのだろうか。
傍若無人が年寄りの醍醐味だ!ということもできるが。

ところが今日、扇風機を買って来いと、きたもんだ。ホンマかいな。新しい下着を買ってきても、もうじき死ぬからもったいないと云うクセに、扇風機を買ってこいだと。またTVに影響されている。とにかくTVが大好きで、健康オタクで、なんでもTVの云うことは正しいと信じている。「あるある大事典」の捏造騒ぎの時は、TVが信じられなくなって軽いパニックに陥っていたようだ。

こういう年寄りにも、最近の節電騒ぎはちゃんと届いているのだろう。そうゆう、社会への参加意識はけっこう強いのだ。いやいや新しい扇風機がほしいだけで、電力のことなど考えているふりをしているだけかもしれない。扇風機を買ってきても、エアコンと両方を使用する気がする。誰が電気代払っていると思うてんねん、ホンマにぃ。

…どうしよう、扇風機。