お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2015年11月30日月曜日

近所の植木園が消滅していく


鳴滝から嵯峨の方面へ。千代の古道と呼ばれる道もあり、このあたり昔から庭師の家が多くある。庭師の敷地は、いわば木々の畑。さまざまな木々が植えられ、その出番を待っている。大きな自然石もごろごろ置かれ、いろんな形の石灯籠も出番を待っている。なかには、そうとう苔むした石も見うけられる。
こうした風景が2キロほども続くだろうか。四季折々の表情が豊かな絶好の散歩コースであり、夕方ともなると多くの人が往来する道なのだ。地道がアスファルトになったくらいで、昔の面影を色濃く残すこの風景が、今年に入ってずいぶん変わってきた。


今時、植木屋さんという商売は需要がないということなのか。緑濃かった植木園の森がごそっとなくなり、建て売りの住宅地になったり平地に整地されている所が一度に3~4ヵ所も現れた。庭師の人たちが庭師を続けるために泣く泣く土地を半分手放したみたいな風景だ。風情のあった庭師の道のところどころに、ごく普通の小さな建て売り住宅の町ができていく。
僕が小さい頃は、近所の庭師のおじちゃんがローマオリンピックの会場で日本庭園を造りに行くというので、町内会で壮行会を開いたこともあった。その頃はどの建て売りにも小さな庭があって、年に一回は植木屋さんが手入れにきていた。まして鳴滝・御室は邸宅がずらり。さぞかし需要も多かったことだろう。


しかしそうした邸宅街も相続税を払えず売られる敷地が多いらしい。あとには庭のない一戸建てが多く建てられる。マンションに住む人も多くなってきた。ガーデニングは流行っても、植木屋さんの出番はもう普通の家ではないのだろう。考えてみれば、昔の方がずっと豊かな暮らしをしていたのだ。一戸建てにもアパートにも、小さくても庭があった。町のなかには、子どもの遊び場も多かった。
季節の風がちゃんと暮らしの間を通り抜けていく、贅沢な空間のありがたさに気づかなかったけれど。



飛び来ても 休む岩なし 冬の蜂


土あらわ 庭師の夢の 寒き道




2015年11月8日日曜日

維新の面々とお江戸探索へ



わいわいがやがや集まって維新を探検する面々と今回はお江戸探索に出かけた。勝海舟と西郷隆盛の無血開城への会見の場跡。ふたりで江戸の町を見下ろしたという愛宕山。井伊直弼が暗殺された桜田門。大村益次郎像がでんと建つ靖国神社。彰義隊が戦った上野黒門跡。西郷像に、谷中霊園の徳川慶喜公の墓と見所満載の1泊2日であった。

いつものことだが、この旅は番外編が面白い。今回は行く先々で、「正岡子規」の風に吹かれた。
上野公園の野球場は「正岡子規記念球場」という名が付いていた。子規が野球に熱中しプレイしていた球場だ。谷中には子規が大好物というお団子やさんがあった。この芋坂の団子屋は鴎外や漱石なども通ったという老舗。僕たちも焼き団子の串と餡の団子の串をセットでいただいた。そしていよいよお目当ての「子規庵」へ。子規が晩年を過ごした終の棲家だ。俳句を詠む人には聖地なのだろう。グループの方が大勢見学され、帰りには俳句ボックスに投稿されていた。

NHKドラマの「坂の上の雲」を見ていたから、この住まいの子規の暮らしもリアルな感じでよみがえる。へちまがいくつも成る棚も、風に揺れる鶏頭の花もそこにある。元気いっぱいの子規から、病に伏す子規まで。彼のまわりはいつも、弟子たちや友人の熱いまなざしにつつまれていたようだ。

松山に行ったとき休館で入れなかった「子規記念博物館」の仇を江戸で討ち取った。へちまの絵が描かれた手ぬぐいをお土産に買った。






ぶらさがる 命いとしや 子規へちま


団子喰う 皿にへちまの 影揺れて



2015年10月6日火曜日

眺めのいい場所、探しに行こう!


「眺めのいい店」という本がある。京都・滋賀版。眺めのいいレストランや、カフェや、喫茶店を集めたムック本だ。遠い所はついでの時に、近場はわざわざ行ってみる価値あり。ちょっといつもと違う所にドライブしたい、という時、便利な本だ。自分の日常の枠を、お手軽に破っていける。

この前も、「北山」あたりから普段通らない道をぶらぶらしながら、今まで行ったことのない日独会館にある「カフェミュラー」というお店へ行った。鴨川の近くで街からも近いのに、ちょっと入りにくいだけでガラガラ。ドイツ料理のランチとビールがおいしかった。京都では、急増する韓国人や中国人などの観光客が行かないこうした穴場の発掘が急務なのだ。

最近、近場をもっと楽しもうという気分が旺盛だ。完全リタイアすれば、この街でずっと暮らしていくのだから、すこしでも気分のいい時間に出会える場所を、いっぱい「お気にいり」にしておきたい。これには季節的な要因や、イベントとの関わりも大切だから、そろそろ「京都新聞」購読にした方がいいのかもしれない、などと思ったりしている。
喫茶店や食堂やレストランや居酒屋やBarや公園やベンチや石段や木漏れ日の小径や川沿いの道や美術館や図書館や小さなミュージアムなどなど。


だいたい、クルマを運転するのも好きだし。自転車にのるのも好きだし。ぶらぶら歩くのはもっと好きだし。それぞれを駆使して、半径100km、半径10km、半径5kmは詳しくなりたいものだ。そのために新聞記事などもだいぶ切り抜いているが、整理していないのでまだ情報源になっていない。この整理が、当面の宿題ではある。この秋は、今まで知らなかった紅葉を探しに行ってみよう。  
  (写真は亀岡の「プルーンの木」、電車やバスでは行けないお店)



臥待月 日々の慰安の 酒に酔う (「祭りのあと」から) 




2015年9月13日日曜日

新しい007を文庫本で


新しい(といっても古いが)『007』を、文庫本で読んだ。『白紙委任状』というタイトル。著者は『ボーン・コレクター』などの、ジェフリー・ディーヴァーだ。イアン・フレミング以外の作家の007はこれまでにもいろいろあるらしいが、あまり読む気にはなれなかった。でも、『ボーン・コレクター』の作家なら面白いかもと思ったがちょっとスカサレタ感じだ。

登場するボンドは30代のできる青年。イアン・フレミングのボンド・デビュー!と、同じくらいの年齢か。なにしろ初めて読んだのはもう50年以上前の時代。その間に映画もいろいろあったし、30代のボンドをイメージするのはちょっとつらかった。Mはもちろん、マニーペニーも年輩に設定されている。原作もこうだったかな。ショーン・コネリーの渋いボンドイメージが強すぎて、イメージがこんがらがる。
活躍するロケーションは世界を股にかけていい感じ。ボンドガールもいろいろ登場(ガールではないが)。でも数が多くて散漫な印象。ビックリするような秘密兵器が出てこないのはいい。Phoneを使ったヒミツのアプリが大活躍。この辺は「24」のジャック・バウワーの持っているiPhoneと変わらない。
うれしいのはボンドカーに、スバルのWRX(STI)が登場してきた。ボンドもお気に入りのようだ。いままでのボンドカートとは格が違うが。

なんとなく地味だが、お話しはよくできている。映画になってもいいシーンがいろいろ用意されている。物語は気持ち、ちょっと長いかな!ところでボクは現役の、ダニエル・クレイグが気に入っている。ショーン・コネリー以外ならこの人がいい。冷酷そうな所もいい。あまり、ニヤリとはしないけれど。
この『白紙委任状』では、ボンドの両親が二重スパイだったのではないかという話が伏線で進行する。もしかしたら、この小説が映画化されたら、『インディ・ジョーンズ』のようにお父さん役でショーン・コネリーが登場するかもしれない。



見よ彼方 陰謀渦巻く 秋の海


稲妻の 闇の奥から ニャオと鳴く



2015年8月25日火曜日

大洲に行ったら「臥龍山荘」へ


法事で九州へ行った帰りに、フェリーで四国・愛媛に渡り大洲へ寄ってきた。大洲の「臥龍山荘(がりゅうさんそう)」や、内子の町並みを訪ねてみたかったからだ。
大洲には大洲城があり、小早川隆景や藤堂高虎といった武将が城主となった。その昔は宇和島や土佐、港の八幡浜を結ぶ交通の要衝の地だったのだ。江戸や明治の町並みが保存され、「おはなはん通り」はテレビドラマが撮影されていたとか。その街のはずれ、肱川(ひじかわ)の川淵を覗くように建てられたのが「臥龍山荘」だ。

(ろうそく)の貿易で財をなした河内寅次郎という明治の豪商が、10余年をかけてつくった山荘。建築マニアだった寅次郎は、桂離宮や修学院離宮、大徳寺などさまざまな名建築のアイデアをとりいれ、贅を尽くして構想。全国各地から吟味した銘木をふんだんに使い、京都を中心に集めた名工の手でこの山荘を造り上げた。細部には千家十職の細かな技も生きているらしい。
おもな建物は「臥龍院」「知止庵」「不老庵」の三つ。母屋の書院と、二つの茶室を、美しくデザインされた庭がつつみこんでいる。真夏だけに、庭師さんもたっぷりの水をつかって植木の手入れ。飛び石を歩けば、ひんやりして気持ちいい。

なかでも「不老庵」は川淵の崖の松をそのまま柱の一つにしてしまった大胆な茶室。庵は船に見立てられ、天井は竹網代に。その茶室を清水寺の舞台のように、崖から木を組んで支えている。茶室から下を覗くと肱川の川面が光っている。

山荘だから規模は小さく、お寺の裏庭の茶室まわりほど。でも、お金があったらこんな茶室や日本庭園をつくってみたい、そんなことを妄想する人にはとても面白い山荘。小さくてもアイデアがぎっしり。数寄屋建築のジオラマのような山荘。それが100年経って風格を纏い、いよいよ美しさに凄みを増してきたという印象。



夢の淵 あくびひとつを 夏みやげ



2015年8月1日土曜日

阿蘇をめぐって



家の引き出しに、阿蘇のロープウェイ乗り場で買ったメダルが今も残っている。小学生の頃は銀ピカだったメダルが、真っ黒メダルになってしまった。その時の阿蘇の印象は強烈で、ぜひもう一度行ってみたかった。今回、オヤジの納骨の後、阿蘇へ向かったのもそんな記憶を辿りたかったからだ。台風12号が長崎上陸かといわれていた午後3時頃、九州道を阿蘇へ向けて走っていた。

さすが台風の影響。晴れたと思うまもなく雲がわき、霧に包まれ、また光りがさしてくる。パキッと男らしい真夏の阿蘇を期待していたが、ミステリアスな雰囲気の阿蘇に出会ってしまった。今回は阿蘇に1泊したので、いろんな道を走り、南阿蘇の方の白川水源などにも足を伸ばした。しかしついに、高岳や中岳のその全容をみることは出来なかった。山頂付近は雲が降りてきて、まわりは霧状態。ときどき雲が流されると、草千里が現れる。もちろん山頂へは入山規制が続いていて、クルマも、ロープウェイもダメ。雲の切れ目からときどき白く光る噴煙が見える程度。でもかすかに見える噴火口の防空壕のようなコンクリートの塊は昔のままだった。

大きな外輪山に囲まれた阿蘇の風景は、阿蘇だけのもの。高原の感覚もあれば、青々とした長い林間道路もある。ハワイのような雨に浸食されたダイナミックな山肌がいくつも見られ、大きな裾野には畑がひろがっている。信州と違っていろんなお店やペンション、看板がないだけ景色が美しく感じられる。いったい何本くらいの林間道路が静脈のようにこの山々を取り巻いているのだろう。雄大な阿蘇の風景は、クセになりそうだ。

※写真は「ラピュタの道」付近。雲海が出る季節、この道をあがってくると空に続く道に見えるらしい。今は大雨台風で崖崩れ通行止めに。



草千里  緑千色  夏の風


中岳の 噴煙かくす 雲の峰



2015年7月20日月曜日

ビフカツサンド万歳!


堀川の智恵光院を西に歩くと、「GON」という洋食屋さんがあります。昔からある洋食屋さんで、面白いのは奥のテーブル席の壁に、「矢沢永吉」のタオルやポスターなどが貼りまくってあります。先代の大将が大ファンらしいのです。さすがにBGMまでは流れていませんが。一所懸命キッチンで働いて、矢沢のLIVEへ行く高齢のおっちゃんはステキです。

ここのお店は、ちょっと味は濃い系ですが何喰っても旨いです。おすすめは「ピレネーライス」といって、焼きめしにカツカレーというメニュー。これのハヤシライスバージョンがあったりといろいろ。ポークジンジャーを丼にした「ジンジャー丼」もうまい!この前食べたのは、写真のビフカツサンドです。肉もばっつい。ビフカツサンドがどうしても食べたいとう思う時がありますよね。この前がそんな時でした。

ビフカツサンドはおいしいけれど、お値段もいろいろ。高くてうまい!が普通ですが、「GON」のはお手頃価格でうまいです。昔、上七軒の「萬春」というレストランの二階のBarで呑んだとき、4千円近いのを食べたのも旨かったですが、それはそれ。そんなに何回もいただけません。
いつか「GON」のビフカツサンドをテークアウトしてピクニックへと思っているのですが、3年ほど実現してません。ビフカツサンドは人によって、おすすめのお店がいろいろあるのでしょうね。みんな好きだから。

このお店で食べたポークカツサンドも旨かったです。ビフカツより、あっさり。今までポークには手を出さなかったのに、歳とともに好みも変わってくるのですね。


遠雷に アロハひるがえし ペダルこぎ



2015年7月9日木曜日

高田渡が聴こえてきそうな日



久しぶりに「イノダ」の三条本店へ行った。三条店(※三条本店と三条店がある)の円形のカウンターもいいいけれど(高倉健さんが好んで座ったという席がある)、昔ながらの本店はやはり落ち着く。ちょっと前に火事で一部が焼けたけど、こちらの古い建物は無事。赤いタータンチェックも、通路の煉瓦の壁も昔のまま。外の庭で、風を感じて飲む珈琲もうまそうだ。今ならまだそんなに暑くもないし。

ここの珈琲と「神戸にしむら」の珈琲はやはりおいしい。ミルクを入れてもらって、小さな角砂糖を一つ付けてもらう。白い格子の窓越しに、緑の木々もゆらゆら。木漏れ日もゆらゆら。高田渡が聴こえてきそうなひととき。

でも現実に耳に入ってくるのは、「羽織っていたジャケット見かけませんでした?」「テニスラケットなかったですか?」と、おばちゃんたちの忘れ物の声。梅雨の間の晴れ間。思いがけず暖かくなると、人は気が緩んでしまうのだろう。


昨日までの古い空気の層と、今日吹き込んだ新鮮な空気がブレンドされて居心地のいい場所に。「イノダ」もそんな場所の一つだが、この周辺もまた再開発が進んでいる。住民の愛着のある場所を大事にすることが、都市の懐の深さだとしたら。京都もまたきわどい所に立たされているみたいだ。

お会計を済ませて出ようとすれば、ウェイトレスが「おおきに」と京都弁。そんなこと、前にも言ってたかなぁ。観光サービス?悪い気はしないけど。






水滴の グラスの虹の なまめかし


2015年4月20日月曜日

春がゆっくりやってきた


あ~ぁ、しばらく忙しくて、文章ばかり書いていたので、ブログの短い文章も書く気になれなかった。
あ~ぁ、つたない一句に「桜隠し」って季語を使ってみたかったがすっかり春になってしまった。咲いた桜に雪がつもることを「桜隠し」っていうらしい。なんてきれいな言葉なんだろう。今年はそんな日が一日あったのに。
あ~ぁ、ゴルフにもしばらく行ってない。周りの友だちに体調不良が多く、しばらく様子見の人が多いのは困ったものだ。
あ~ぁ、今年は花見の頃に雨の日が多く、酒をゆっくり楽しむようなちゃんとした花見はできなかった。それでも、お弁当を買って鴨川には二度ほど行ったよ。植物園横の「半らぎの径」の枝垂れ桜はちょっと遅いから。

あ~ぁ、マスターズも終わってしまった。今年はとくべつ面白かった。スピースが初日から快走、そのまま逃げ切った。予選落ちしそうだったマキロイが-12の4位まで頑張った。なにより松山が5位というのは立派。いつかマスターズで優勝できるというゴルフだった。

あ~ぁ、本を読むスピードもだいぶ落ちたようだ。でも前のブログで書いた「87分署」は読んだよ。第二巻目の「通り魔」で田中小実昌訳だった。ハヤカワポケットミステリーブックはなんと350円。一巻目の「警官嫌い」は見つからなかったけど。これが面白くて村上春樹訳のフィリップ・マーロウ物の「高い窓」を買ってしまった。これも面白かった。


本めくる 指に風立つ 影ゆれる




2015年3月5日木曜日

「87分署」をもう一度


「翳りゆく夏」というドラマをWOWOWでやっていた。20年前の病院内での乳児誘拐をテーマにした、よくできたドラマだった。日本の原作は読んでない。この話の中でエド・マクベインの「キングの身代金」が小道具としてでてくる。いわずと知れた黒澤明監督の「天国と地獄」のベースとなった本だ。

このドラマの中で「キングの身代金」は、一部のミステリーファンくらいしか知らない本として登場する。『そらないわ!』と思わず、テレビにツッコミををいれてしまった。「ミステリー」というのも引っかかったが、まぁ早川のミステリー文庫から出ているのだからしょうがない。当時も「ハヤカワミステリーマガジン」というのがあったくらいだから。でも「87分署」シリーズは、警察小説の金字塔だ。そのシリーズの中でも重要な一冊で、一部のミステリーファンしか知らないということはないだろう。それとも、20年前はもうそうだったのか。

それにしても、懐かしい。もう何年「87分署」を読んでいないだろうか。Wikipediaでみたら、2005年まで刊行がつづいて、56冊も出ているのですね。スティーブ・キャレラ、マイヤー・マイヤー、バート・クリング…。思い出すだけで、涎が出てくる。あの頃の本はまだ家にあるだろうか?そうそう、この「87分署」はテレビドラマにもなっていた(日本の「裸の街」シリーズもそうだけど)、モノクロ時代の米ドラマがあったはずだ)。YouTubeを探してみよう。




こういう昔読んだ本の主人公たちは、なつかしい友人のように思える。あれからどうしていたんだろう。クレアはどうしているんだろう?「87分署」だけでなく、ボストンの「パーカー」は元気だろうか?恋人の名前は何ていったかな?こういう人たちにもまた、逢いにいかなくちゃ。忙しい、忙しい。



北窓を 開けてキャレラ 弾丸をこめ



2015年2月14日土曜日

電車の中で、梅が咲く


 最近なにかとイベントの多い、嵯峨野のチンチン電車「嵐電」です。この前乗った電車は、「梅電車」でした。「北野天神号」という名でした。もうすぐ北野天満宮の梅花祭が始まるので、そのタイアップ広告電車です。それにしても、各アミ棚には造花の梅が飾られ、中吊りの広告の代わりに梅の写真がかけられ、観光客感激のしつらえになっています。香りのないのは残念ですが、広告効果は満点です。

このアミ棚の梅は八分咲きといった風情ですが、実際の梅は六分咲きか七分咲きの頃がいいですね。全部咲いてしまっているのは色っぽくありません。咲きかけの蕾のほうが、いい香りしますしね。


梅の花は、カラカラになっても枝についているので、やはり、若い頃が旬。早めの梅見物がよろしいようです。家の近くの梅名所には、この北野天満宮をはじめ、大覚寺、梅宮大社などがあります。


梅が咲けば、もうすぐ春。冬のあいだ暗い場所で育てていたクロッカスも、根をいっぱいだし、今は窓辺でぐんぐん大きくなっています。テラスのほうでは、プランターの中で、チューリップや絹さやが芽を伸ばしてきています。こんなに春が近くなってきてるのに、今週末はまたも寒気団到来。今朝はまた、雪がうっすら積もりました。やれやれ。



ポケットに 隠れてた春 顔を出し



2015年1月26日月曜日

あこがれたのは、報道カメラマン


大人になったら何になりたいか? 「嵐電の運転手さん」と答えていた幼い頃はともかく、ある程度大きくなってからのあこがれは報道カメラマンでした。小さい頃からカメラをいじっていたこともありますが、TVの「事件記者」がかっこ良かったせいもあるはずです。でも決定的だったのはロバート・キャパの「ちょっと、ピンぼけ」を読んだからです。小学生でこの本を手に取るというのも相当変わっているとは思いますが。戦争の真っ只中に、武器を持たずに飛び込んでいく人たちがいることを教えてくれました。

戦闘を撮影するのではなく、人を撮ることで戦争を撮る。などなど小さかったワタシにいろいろ教えてくれた本ではありました。数ある戦争映画はありましたが、報道カメラマンをあつかった映画は、1960・70年代はなかったと思います(「M・A・S・H」にちょっと出てきたかな?)。なにかありました?「地雷を踏んだらサヨウナラ」など邦画のモノは10年くらい前に見ましたが。

家に「LIFE誌」があったことも影響してるかもしれません。ピューリッツアー賞や写真家集団「マグナム」なんて名前もけっこう早くから興味を持っていました。でも中学生・高校生時代、ベトナム戦争のリアルな戦場を見るにつけ、そのあこがれもしぼんでいきました。やはり「死」が隣りにある職業は尻込みします。ベトナムで、アンコールワットで、名のあるカメラマンがどんどん亡くなっていった頃でした。作家の開高健が、ベトナム戦争に従軍記者として記事を書いていた姿にはびっくりしたもんです。
それにしても、最近の戦場に向かう報道カメラマンの生存率はとても低くなってるみたいですね。人質で軍資金を得るという発想の戦争と、無人爆撃機飛び交う誤爆の戦場では、カメラマンの生命なんていくつあっても足りません。

この写真は、小さい頃に買ってもらっていたカメラで、「フジペット」といいます。レンズの横のシャッターを数字通りに1→2と押して写真を撮ります、大きなファインダーがかっこいい!レンズの上の赤○は快晴で、青○は雨という露出。最近は小学校の遠足や、親戚の家に遊びに行ったときのネガが出てきて、パソコンに取り込んで遊んでいます。


トレンチと カメラと葉巻の 夢凍る



2015年1月11日日曜日

あけまして、おめでとうございます。

今年の京都は、いきなり大雪で始まりました。
大晦日の暖かな一日から一転。大晦日の夜からチラチラしはじめ、元旦の昼2時頃から夕方にかけて一気に積もりました。家の方では20cmも積もったでしょうか。気象台発表では午後6時で16cm、61年ぶりの大雪ということです。2日朝は近所の神社へ初詣に行ったものの、昼過ぎからまた降りはじめ15cmくらい新たに積もりました。
前の道路でも追突事故が。晴れていても、道路はテカテカの状態です。


さて今年は、と考える間もなく気がつけばもう11日。もう少しゆっくりと一日一日を過ごしていきたいものです。スキーをしていた頃は、寒さも気にならず、信州あたりの積雪情報を楽しみに見ていましたが、最近の冬は寒いだけ。早く春が来い、という気持ちがだんだん強くなってきました。でもまだ1月。寒さの本番はこれからです。

春を待っているのはプランターの植物も同じ。今年も「絹莢(きぬさや)」が芽を出しています。
初めて植えたチューリップの球根からも青い小さな芽が。部屋の中では、ガラスの器でクロッカスも根を出し芽を出しガンバっています。

今年もこんな調子でこのブログを進めていきます。もっと頻繁に更新しろ、というお叱りの意見も年賀状でいただきますが、どうぞお気楽におつきあいくださいませ。


初雪に 羊群れたり パーキング