お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2009年12月30日水曜日

Bye Bye 2009

仲間たちとの恒例の「かに道楽」での忘年会も終わり、いつもの「京都ゴルフ」での大晦日ゴルフ(今年は30日でしたが)も終わり、お墓参りも終わり、後は部屋を片付けるだけという、いつもの年末がたんたんと進んでいます。

そして「お気楽さんぽ」も今年最後となりました。今年の1月から始めたこのブログがこんなに続くなんて、いちばんビックリしているのは私です。ブログをしたいなぁとは漠然と思っていたのですが、試しにとso-netやGoogleのブログページをいじっている間に、勝手にアップされてしまったみたいな状況で、始めることになってしまいました。

日記など長続きしたためしがないのに、こんなに続けてこられたのは、いい加減なペース配分と、読んでくださっている皆様のおかげです。今年コメントを寄せてくださった方、本当にありがとうございました。

● hulagirl66さん ● しお爺さん ● ゆきちゃん ● Kitamura_Yさん ● ヨウドウさん ● シンチャン ● マシュケナダさん ● O'Sam さん ● ぴのこさん ● Chiffonさん ● 温泉玉子さん ● らんぽさん ● こ」おやおややおや さん ● えつこおかあさん ● レフティさん ● くろしん さん ● 嵯峨の金物屋さん ● マンボさん ● 隊長さん(コメント順)

そして、コメントはしてないけれど、よく読んでるよという皆さんもありがとうございます。

ネタがどこまで続くかはなはだ不安ではありますが、あと1年は大丈夫でしょう。昨年行ったHawaii ネタもまだまだあるでよ。そんな訳で、来年も頑張ってみようと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

2009年12月23日水曜日

ストロングコーヒーを窓際で


昔、我が家で母親が喫茶店をしていた時期があった。その頃のコーヒー代は80円くらいだったと思う。そしてその頃は多くの喫茶店で、ストロングコーヒーを出していた。うちの店ではネルのドリップでコーヒーをたてていた。それを店が始まる前に飲んでいた。濃いめのコーヒーにミルクを入れてちょっとマイルドにして飲む。香りも味わいも、まったりとしていい感じ。朝の陽がちょっと差し込む窓際の席だった。

写真のコーヒーミルは、その頃から豆を挽いてきたマシーンだ。今はもう、うるさくて、振動が激しくて使っていないが、キッチンのアクセントになっている。知る人ぞ知る、富士ロイヤル製だ。

その頃から「アメリカン」コーヒーも多くなってきたようだ。外国旅行に行く人も増え、向こうの何杯でもおかわりできるコーヒーを好む人が増えてきたからだろう。うちの店ではきちんとアメリカンをたてていたが、お湯で薄めてアメリカンという店も多かったようだ。ずっと濃いめのコーヒーを飲んできたから、アメリカンは頼りない。

だんだんとストロングコーヒーを飲む店も、飲むことも少なくなっていった。会社の近く、肥後橋の駅近くに「柳屋」という喫茶店があって、品のよいおじいさんがおいしいストロングコーヒーを淹れてくれていたが、その店も無くなってしまった。
この10年ほどは、会社の近くの小さな喫茶店に通っている。そこはサイフォンで、濃いめのコーヒーを淹れてくれる。リタイアしたらコーヒー店でもやろうかという義理の兄さんのコーヒーが、またおいしい。コーヒーは自分で淹れるより、淹れてもらった方がおいしい。

2009年12月13日日曜日

ピンボールなら1台ほしいかも


シュルシュル、ビィヨ〜ン、バシバシビュイーン、ポコポコポコ、バシバシビュンビュン、カコーン!
今、どれだけの人がピンボールマシーンを知っているのでしょう。電動スマートボールのようなモノで、銀色のボールをはじいて得点を重ねていきます。穴に入れたり、柱にぶつけたり、壁に当てたりしながら点数アップ。真ん中ストレートに落ちてきたボールを、バットで打ち返すがごとく左右のボタンでバー(フリッパー)を操作します。
このボールを打ち返す音から、僕たち周辺の中学生はこのマシーンを「ビュンビュン」と呼んでいました。


中間試験や期末試験が終わると、即、街へ飛び出し映画を見に行ったりしましたが、その頃この「ビュンビュン」は映画館の入り口などに並べられていました。映画を見ずにビュンビュンだけしていた日もありました。
そうそう、今はない嵐山ホテルの地下の遊技コーナーには、ひも付きピンのボーリングなどと一緒に、「ビュンビュン」も数台ありました。

マシーンに体をぶつけてボールをコントロールしていくのですが、ぶつけすぎると「カコーン!」という音とともにTILT!となり、ボールをはじくフリッパーが動かなくなってしまいます。カナシ~イ!  でも、手首をクッションに、体をぶつけていかないとボールに勢いはつかず、高得点は望めないのでした。

今でも多分、ピンボールがあれば夢中になってしまうでしょう。でも、子供たちがいっぱいのゲームセンターなどには行きたくもありません。きっとピンボール・バーなどもあるのでしょうが、どうもねえ。
おまけに、2つや3つのボールが同時に出てきたり、2階建て盤面になるなど、どんどんバブリーに派手に進化し、もう昔の「ビュンビュン」の面影はありません。電子式のカウンターより、ドラム式の数字が回っていくカウンターが懐かしい。どんなゲームも複雑になっていくほど、シンプルな頃の面白さを失っていくようです。

2009年12月1日火曜日

秋深し 紅染まる シネ探路

というわけで、久しぶりのシネマ探検・町歩きに行ってきました。メンバーは8人。手術したはずのNさんも元気に参加。今日は京大近くの(ホットケーキのない)進々堂前に集合して、吉田神社や真如堂など東山方面を巡る予定です。天気は、快晴とはいかずあいにくの曇りですが、紅葉は今が盛り。真っ赤かになっている模様です。

いつもの鬼平犯科帳のシーンを探して、まずは吉田神社へ。「この辺りが撮影に使われた場所」と指さすリーダーNさん。さすが事前の予習もばっちり。次の目的地へ、しばし吉田山を散策。落ち葉に埋もれた散策路。町中にこんな素敵な森があるなんて。


そして真如堂へ抜ければ、さすが紅葉の名所。観光客がとたんに増えてきました。ちょっと枯れてきてはいますが、美しい風景。その紅葉の向こう、池の畔に、今日のお目当て「京都・映画誕生の碑」がありました。
(京都で劇映画が創られて100年目の昨年、第1作<本能寺合戦>が撮影されたこの真如堂に碑が建てられました)

くろ谷さんで、会津藩士の墓所などにお参りしながら、永観堂方面へ。お昼に寄ったのは「一番星」というちょっと名のあるラーメン屋さん。午後の予定は、哲学の道から、永観堂へ。そして東山から岡崎へ。人混みに揉まれながら、人混みを避けながら、紅葉色に染まっていくシネ探の面々でした。

こういうグループでの町歩きは本当に楽しい。ブラブラ前に行ったり後ろに下がったり。七人の人たちと、たわいない会話の花が咲いていきます。気の置けない仲間たちとの充実した時間は、あっという間に過ぎていきます。
打ち上げはいつもの新京極「スタンド」。のはずだったのですが、一杯。三条小橋の「こがんこ」で沈没とあいなりました。

久しぶりに鮮やかな色のついた今年の紅葉も、そろそろフィナーレ。翌日の日曜日には、京都で初氷を観測したそうです。シネ探、次は何処へ。若葉萌えだす頃でしょうか。また、遊んでね。

2009年11月22日日曜日

昔懐かしの味、ミルクティー

紅茶は淹れ方にうるさい。英国ならではの、習慣がある、技術がある、作法がある。紅茶の仕事をしている時に、その辺の勉強を随分したが、まだ覚えているかな。
「お茶」というのは、人と人の話をつなげていくためのいちばん身近な飲み物だから、心をこめて供さなければならない。だから、中国茶も日本の煎茶や抹茶も、その淹れ方にはその国らしい文化があらわれるのだろう。

とまぁ、格式を楽しむお茶もいいのだが、今日のテーマは懐かしいミルクティーだ。ワタシの記憶に強く刻まれたミルクティーの味は、小学校1~2年生の頃に友だちの家でごちそうになったものだ。

その家の食卓は当時としてはめずらしく、テーブルに椅子だった。その時なぜか、ホットケーキもあった。その家のお母さんはとてもキレイで、サンヨー婦人のようなスカート姿だった。この時のミルクティーがとてもおいしくて、家でもつくってもらったくらいだ。

でもしばらく、この味を忘れていた。喫茶店の、フレッシュがついてくるミルクティーに記憶を上書きされていたのだろう。紅茶にミルクを入れるものと思いこんでいた。英国のミルクティーは、ミルクと紅茶のどっちを先にカップに注ぐかとか、その理由にはそれぞれ蘊蓄があるのだが、懐かしのミルクティーはそんな味ではなかった。

しばらくして思い出した。あのミルクティーは、牛乳を温めて、その鍋に直接、リプトンの缶から紅茶の葉を入れていたのだ。ロイヤルミルクティーといい、チャイに近いのものだ。カップに注がれたミルクティーにすこし紅茶の茶葉が入っていたりした。あの時代のミルクティーはこれだ。ティーバッグなどない時代の豊かな味わい。

私は水を入れず、ミルクだけで濃いめにつくります。茶葉はアッサムがいいと思います。一人スプーン一杯の茶葉をミルクが沸き立つ前に入れ、紅茶の色が出てきたら火を消して、少しかき混ぜてつくります。

2009年11月17日火曜日

淳和天皇陵が頂上にある、小塩山へ

JRや阪急で京都に向かうと、向日町のあたりでアンテナや鉄塔が5~6本立っている山が西に見える。それが小塩山だ。その小塩山に登ってきた。お目当ては、山そのものではなく、山裾の勝持寺(花の寺)や金蔵寺の紅葉だ。
クルマで洛西ニュータウンのラセーヌ駐車場へ。  → 正法寺    → 大原野神社   → 勝持寺  → 小塩山  → 金蔵寺  → ラセーヌ  という一周コースの予定だ。

里山の紅葉は緑と朱色がほどよく混じり合い、とてもキレイ。行くならいまだ。勝持寺は「西行桜」で有名な花の名所なので、桜の紅葉に期待していたがすでに落葉。もみじが思いの外キレイだった。オススメです。

近くの大原野神社は紅葉見物と、七五三参りのファミリーがいっぱい。小塩山を降りたところの金蔵寺は、交通の便が悪く観光客も少ないが、下の写真のように、山の緑、銀杏の黄、さまざまな紅葉が美しかった。

さて、小塩山。アンテナ保守用のアスファルト道路を歩いて6kmのコースもとれるが、まっすぐ登る山道を選択。これがしんどかった。その上、前々日の雨で、道の岩や落ち葉が滑りやすくなっている。1時間半ほど登って、頂上へ着いた。
頂上には淳和天皇(第53代天皇、父は桓武天皇)の御陵さんがある。標高682m、こんな山の上にある陵墓は珍しいらしい。淳和天皇は西院帝とも呼ばれ、西院にあった淳和院でお亡くなりになり、遺骨を粉にしてこの山に蒔かれたとか。阪急沿線にご縁のあるお方だ。陵墓が出来たのは明治に入ってからという。
この小塩山はまた、広葉樹の種類が多く、春のカタクリやギフチョウが有名で、他県からの登山者も多いらしい。知らなかった。来年の春には、勝持寺の桜と小塩山のカタクリを見にもう一度登ってみよう。カタクリといえば、マキノの赤坂山にも登ってみたい。GW頃、どなたかご一緒しませんか。

2009年11月3日火曜日

最近、タカダワタル的な朝

昨年、新しくなった右京区の図書館でCDを借りるようになった。2週間2枚までだが、無料。TUTAYAには置いてないような古いCDがある。で、プラプラ行って見つけたのが、高田渡だ。
ビジネスとしての音楽とは全然違う世界がそこにはあって、気分がほのぼのとしてくる。ライ・クーダーなんかも歌詞がちゃんとわかっていれば、こういう世界なのだろうか。日常を歌っているようで、とてつもなく広い世界へイメージを広げていってくれる。

そもそも、高田渡を聴き出したきっかけは映画「タカダワタル的」を見てからだが。それまでは全然聴かなかった。知っていたのは「自衛隊に入ろう」くらいか。高校生だった。でも映画が面白かった。
この映画を見てから、彼のどのCDを聴いても、映画で感じたライブ感がイメージできる。伝わってくる。

最近よく聴いているのは、彼が亡くなる前に、息子の漣とNHKのラジオの番組でスタジオで公開録音したライブだ。聴きながら顔がふにゃけていく。会社へ行く前に、こんなにふにゃふにゃにされたらヤバイなぁ~って感じ。もうどうでもいいワ、家に帰ろう。酒でも呑もう、友だちに会おう、というような強いメッセージを送ってくるんだもん。

公園でギターを練習している姿を近所の人はよく見ていたらしい。指がいうことをきかなくなってきたことが許せなかったらしい。素敵な酔っぱらい。
こういう、のんびりした毒がまわってくるような音楽は、歳をとってきてからが楽しめるのかも。高田渡、オススメです。

2009年11月1日日曜日

ついに二代目、BBQ コンロ

ブリキで出来たバーベキューコンロを、この15年ほど愛用していました。1000円くらいで買ったと思いますが、値段も忘れてしまいました。山登りをする会社の後輩のO氏に教えてもらいました。とても良くできたコンロで、折りたたみの七輪のようなものです。
30cm × 30cm × 7cm くらいに畳めます。そして、金網が中に3枚設置でき、まん中に炭を入れて熾します。
焼き肉は一番上の網で、鍋をする時は鍋を2段目の網の上にのせると、スッポリ収まり熱効率も最高!食事が終われば、マキをつっこんで焚き火もできるというスグレモノでした。
実に良く頑張ってくれたコンロだったのですが、もうサビサビ・ベコベコ。使えなくなりました。

二代目を探し初めて5年くらいになりますが、どこにも売ってないのです。こんなスグレモノがなくなるはずはないと思うのですが。京都周辺の量販店・アウトドアのお店も、滋賀や神戸などの偶然入ったお店で探してもありません。アウトドアの雑誌にも、ネットの通販を見てもないようです。誰かおしえてくれ~ぇ。

で、仕方ないので、2年前くらいに一代目に近い機能を持ったものを見つけ買いました。オールステンレス製で、コンパクトに折り畳め、十分なのですが、鍋がスッポリ収まらないのが欠点です。今年の秋も一度、この二代目を持ってバーベキューに出かけました。
(写真が二代目、ステンレスに河原の小石が写り込み見にくいですが)

2009年10月25日日曜日

ふたたび、明智越えへ


今年の五月、保津川下りへ急遽予定を変更してお預けとなっていた「明智越え」へ行ってきました。この三日ほど続いた青空がウソのような曇り空。空は明るいので決行です。JR亀岡で下車、保津の里(だから保津峡か)から、水尾の里、JR保津峡をめざす10kmのハイキングコースです。

歴史の古そうな山里を抜け、保津城跡の横を通る山道を登っていきます。この道は、亀岡から嵯峨へ抜ける道であり、明智光秀が本能寺に向かうときに通った道の一つとして知られています。また愛宕山信仰の道であり、光秀公も度々愛宕山へ参籠された道とか。


京都の人にはよく知られたハイキングコース。看板には子どもにも老人にもたやすく散策できると、書かれていましたが。なんの、なんの。シンドイ、シンドイ。始めの40分ほどは、一気に山頂まで登ってしまう山道で、20分も登ると汗だくでありました。しかし古からの謂れのある道。清和天皇を祀った円丘がある「峯の堂(むねんどう)」や本能寺攻めの時にはこんこんと水が湧いていた「土用の霊泉」など、さまざまなポイントが楽しい道でもあります。

コース後半は、広葉樹につつまれた、なだらかな下りの尾根道。汗がいっぺんにひいて肌寒いくらい。お弁当を食べ、快適に1時間ほど歩くと眼下に柚子の里・水尾が見えてきました。ハイキングのシーズンにはまだ早いのでしょうか。この3時間ほどの間、すれ違って挨拶を交わした人は三組四人だけでした。
本来ならここで終わりだったのですが、時間が早いので予定変更。六丁峠を越え、嵯峨・鳥居本をめざしました。朱色も美しい鳥居の下の「つたや」や「鮎茶屋」。山一つ越えると、いきなり京らしい風景が現れました。
32,600歩、22.80km。今回もちょっと歩きすぎたようです。

2009年10月18日日曜日

VAN育ち

この前久しぶりに、クロストシユキ氏の姿を新聞で見た。歳はとられても、ファッションの仕事をされているようで、あの頃のイメージが残っていた。
ワタシは団塊の世代ではないけれど、それでもVANの洗礼を受けて育ってきた。はじめの出会いは、昭和38年くらいのことだ。

東京の親戚に3つ歳上の中学生のお兄さんがいて、お古のボタンダウンやセーターを、あの赤ロゴの紙袋に入れてもらったのが最初だ。それからというもの、学生から社会人になっても、服の多くはVAN系が中心となった。といっても結構高価で、中学生にはなかなか手に入れられない。まずはアルミのクシや、コイン入れといった小物がワタシのVANでありました。
ちょうどヴァイタリスやMG5が発売された頃。あのころの男子はみんな同じ匂いだったのだろう。

たまに買うのはマドラスチェックのシャツ。コートやジャケットやジャンパーなど本格的なワードローブを手に入れるのはもっとずっと後、アルバイトをしだしてからのことでした。

中高生たちのファッションの教科書は「メンズクラブ」だった。このメンズクラブを数年、じっくり読み続けたことで、洋服のスタイルやアイテムの名前、生地の名前や由来、コーディネイトのポイントから、映画の見方まで、どうでもいいけれど、ちょっと大切なことを学んだような気がする。その先生の一人が、クロストシユキさんでありました。

ちょっと探してみたけれど、VANのブランドがついたものは、このコーデュロイのジャケットだけ。もちろん小さくて着れないけれど。愛すべき古着たちは消えていってしまった。あと残っているのは、「KENT」のスーツとジャケットだけだ。
アイビー。埃っぽい時代の、甘い香り。アナタノ手元ニ、VAN ハ残ッテイマスカ ?

2009年10月12日月曜日

東山・粟田神社の夜渡り神事へ

この3日間の連休は、あちこちでお祭りをやっていましたね。今年は、粟田神社のお祭りと、太秦広隆寺の牛祭の二つに狙いを絞って見に行こうと、先週から決めていました。
粟田神社は、夜おこなわれる祭り行列が見たかったのと、昨年から180年ぶりに「粟田大燈呂」(ねぶた祭のような山車)が復活したらしいからです。

粟田神社は三条東山、青蓮院の裏の小高い丘の上にあります。夜六時、お祭りの法被を着たご近所の人たちもそわそわしたご様子。参道の階段を登っていくと、境内いっぱいに、学生や関係者等があつまり、神事のお払いも始まりました。そして、夜六時半にはたいまつを先頭に神事の行列は階段を下り、知恩院方面へ向かいます。

三条通りで、色鮮やかな「粟田大燈呂」と合流。この山車は京都造形大学の学生たちがつくり、祭りに参加しているとのこと。なぜか外人さんたちの法被姿も目立っていました。各町内から子供たちが引っ張る提灯の列も合流して、光りあふれる夜らしいお祭りでした。

そして次の日は、広隆寺の牛祭を期待していたのですが、今年は「なし」とのこと。残念。京都でも三大奇祭の一つと云われる祭りで、神様が牛に乗り行列する珍しいものなのですが、最近は不定期開催になってしまっているのです。
お祭りを維持していく町内会や氏子の人たちの努力は大変で、ご苦労お察し申し上げます。特に京都は歴史の古いお祭りが多いですから。でも、いろんなお祭りで年中賑わっているのが、この町の良さ。まだ見たこともないお祭りを、これからはどんどん探検していこうと思います。

2009年10月5日月曜日

川沿いガーデンに秋がきた

京都の町は小さな川がけっこう多くて、自転車でプラプラしていると、川沿いに走ってみたくなります。川沿いの小さな土地には花壇や畑が作られていて、近所の人が手入れしているようです。「私の土地にしておこう」という感じで、囲いなんかしている所もあります。
別段急ぐ用件もないお気軽さんぽの時、こうした川沿いガーデンが季節の移り変わりを教えてくれます。

最近多いのは、ヒマワリ。なんという種類なのでしょう、ちょっと小振りで、葉っぱも白っぽくひかるヒマワリがいきいきと咲いています。そして、白やピンクの芙蓉の花が咲き出しました。コスモスも元気に揺れています。

見上げると小さい柿がいっぱい。ほんのり色をつけだしています。桜の木や柿の木などの大きな木は、誰も手入れしていないのに毎年花や実をつけるようです。
色とりどりの景色の中を走っていると、後で帰るのがシンドクなるのに、先へ先へとペダルをこいでしまいます。

川沿いガーデンのような景色は、小さい頃から随分たっているのに、全然変わりませんね。そういえば露地の植木鉢の風景なども、昔のまま。暮らす世代は変わっても、人の営みはそのまま。移り変わる季節がちょこんと腰をおろしていける場所があちこちにあることも、やさしく暮らしていく先人の知恵なのでしょう。そういう場所を京都市は、見て見ぬふりをしておいてほしいと思います。

2009年9月30日水曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #9 竜安寺辺り ●●●


どこやったかなぁ~ここは。メモもせず、気ままにシャッターを押すからどこかわからなくなる。多分、竜安寺をずっと南に下がってきた辺り。西に真っすぐ行けば仁和寺へ行けますという道を、ちょと入ったところの小径だったと思う。知らずに歩いていると、大きな家の玄関に続いる様子。お店でも何でもなく、普通の家。この道はもう、敷地に入ってしまっているのだろう。

こうした道に迷ってみるのも、お散歩のお楽しみ。きちんと手入れされた生け垣を維持するのは、どれくらいかかるのだろうなどと考えながら歩く。この辺り、昔からの豪邸が多く、何十年も変わらない露地、大きな家の間を歩くのが楽しい。ところが最近は、大きな敷地が持ちこたえれられなくなったのか、豪邸が潰されマンションに変わったり、分譲住宅が建てられていく。
個人が、古い建物を、古い佇まいのまま残していくのは難しい。

2009年9月27日日曜日

氷河時代の花咲く、深泥池


びしょ濡れの女性を乗せた幽霊タクシーでおなじみ。京都でも有名な心霊スポットの深泥池(みどろがいけ)。ですが、今日はそちらの話ではなく、池全体が「深泥池生物群集」として国の天然記念物に指定されているというお話。

京都最古の自然が残っていること。おつゆに入れるジュンサイがとれること。氷河期からの生き残りとされる生物もいて、非常に学術的に貴重な池であることなどは、京都では学校で習います。
自転車でこの辺りまできたら、池の手入れをする人や、勉強会の人々がいて、しばらく眺めていました。

なんか、落ち葉が落ちて池にひろがっていると思っていたら、所々に黄色い小さい花が咲いていることに気がつきました。帰ってネットで調べると、落ち葉のように見えたのはジュンサイの浮葉であること。花は「ミカワタヌキモ」で、氷河時代から生き残っている、絶滅寸前種に選定されている食虫植物だそうです。
さらに奥に見える、草原のような「浮島」は、植物の泥炭の上にさまざまな植物が繁っているもので、まさに浮いている島らしい。冬になると少し沈み冠水し、夏には浮き上がると池の案内板にも書いてありました。


この日も職員らしき人がこの希少な池を守るべく、仕掛け網の調査などしていました。聞いてみると、一つの網にブルーギルやブラックバスの小魚が8匹ほど掛かっていたと見せてくれました。外来種の影響で、この池の自然が脅かされているようです。休日返上の調査、ご苦労様です。
水生植物の宝庫で、日本有数のトンボの生息地。アマチュアカメラマンも熱心に通っているようです。なにか四季折々、足を運んでも面白そうな深泥池でありました。

2009年9月22日火曜日

伊吹山から関ヶ原へ


先週の日曜日、思い立って伊吹山へ行ってきました。初めてです。名神の関ヶ原 I C で降り、関ヶ原の戦いで石田三成が陣をはった笹尾山のトンネルを抜けると、すぐにドライブウェイ。一気に山頂駐車場まで行けます。駐車場から山頂までは、直線15分コースなどコースもいろいろ。今回は西道迂回コースで、40分かけてゆっくり山頂へお気楽さんぽしました。

夏の花は終わり、これからは秋の花の始まりなのでしょうか。色とりどり、という訳にはいきませんでした。ちょっと肌寒く感じました。上の写真は、「サラシナショウマ」という高山植物の群落。山頂までのあちこちに咲いていました。「リンドウ」はまだ蕾のほうが多いようでした。駐車場からの遊歩道は歩きやすく、信仰の山だけにお年寄りも多く、ペットのワンちゃんまで見かけます。

さすが伊吹からの眺めは壮大。びわ湖は湖北や竹生島から、南は彦根の先まで一望できます。東北の郡上方面にかけては、どこまでも山並みが連なっています。山頂はお土産屋さん兼食堂の山小屋がズラリ。伊吹山頂の標識で皆さん記念写真。すぐお隣には、日本武尊の像がスクッと立っておられます。山頂のお花畑は春に来れば、さぞかし花がキレイなことでしょう。

さて、この日のおまけは関ヶ原の資料センター。伊吹山の帰りに関ヶ原の町営らしい資料館にちょっと立ち寄ってみました。入り口には、関ヶ原町を空撮した電光パネル。このパネルのランプを点灯させながら、合戦の模様(東軍西軍の武将の動き)を説明してくれるのですが、これがわかりやすい。その他、武将の甲冑や旗印など、予算はないが頑張っているという資料館。この前の「天地人」の関ヶ原のシーンも、ここで予習していたおかげ各軍の動きなどがよく理解できました。

2009年9月19日土曜日

陽が沈んだ後の、夕焼け


夕焼けとともに、夜が始まる。こんなゴージャスな時間は、働いているサラリーマンにはなかなか実感できません。サマータイムでも実施されれば別でしょうが、多くの場合まだオフィスの中。夕焼けすら見られないはずなのですが、私の会社は大阪の土佐堀川に面していて、ときどき美味な夕焼けにお目にかかれます。大阪湾の上に広がる夕焼けが、ビルのシルエット越しに会社の窓や、橋の上から見られます。

夕焼けは、陽が沈んでからが美しい。ということに、去年ハワイに行ったときに気がつきました。この写真の状態から、まだまだ赤く、ビロードが波打つように空が変色していくのでした。まだ、20分は楽しめたでしょうか。
強い太陽の残照と、夜のとばりがせめぎあい、より深い濃い空になっていきました。すぐ夜にならず、夕暮れの時間が永いのも、熱帯の島ならではの事なのでしょうか? 特別な時間をプレゼントされたようでうれしくなります。京都ではピンクに染まることはあっても、深紅の夕焼けはなかなか見られません。

美しい夕焼けが、美しい夜に変わる時間。このシルバーウィークは、そんな時間も楽しんでみようと思います。もう、秋。ベランダではだいぶ前から虫の鳴き声も聞こえてきます。十五夜も、もうすぐ。今年は、10月3日の土曜日らしいです。夕焼け時からまん丸お月さまが出てくるのを楽しみながら、ゆっくりお酒でも。なんて日本的な正しい過ごし方。

2009年9月13日日曜日

陽が沈む前の、夕焼け


海のような広い場所へ行かないと、なかなかきれいな夕焼けにはお目にかかれません。学生の頃は、多くの夕焼けを見ていたはずなのに、遊ぶことの方に夢中で、空をあまり見ていませんでした。夕焼けなどには興味もありませんでした。30年前、40年前には空気ももっと澄んでいたのでしょうか。

映画「点の記(劒岳)」は、圧倒的に美しい雲の上の夕焼けを見せてくれましたが、実際に山での夕焼けは見たことがありません(多分)。山登りをしないから、多くは海の夕焼けの話になります。ただ、飛行機に乗っているときはいつも雲の上なので、夕焼けも美しいのですが、まぶしくて‥‥。

海、船、夕焼けとくれば、拓郎の「落陽」や、加山雄三、グループサウンズの世界に入ってしまいそうです。「いやいや演歌でしょ」という人も、多いとは思いますが。美しい夕焼け探しの旅に出る。なんて、年寄りくさいことも、もうじきしてしまいそうです。
そういえば昔「夕焼け評論家」なるエッセイストもいましたが、黒沢明の映画で徳川家康を演じた後はどこへいかれたのでしょう。いんちきな肩書きに憧れたものです。

ワタシの夕焼け一番は、洞爺湖でみた夕焼けです。高校生から大学生の間の休みのこと。空も湖も、まっ黄色に染まった夕焼けでした。あんなに黄色い夕焼けはあれ以来、見たことがありません。洞爺湖ではよく見られるのでしょうか、たまたまだったのでしょうか。

2009年8月30日日曜日

ミントンのアンティーク柄


もう10年くらい昔になりますが、英国ロイヤルドルトン・ブランドの紅茶の仕事をしていました。その仕事を通して、紅茶の知識、英国陶磁器の知識、その頃の大英帝国の歴史に触れる時間を持つことが出来ました。そしてなによりも、紅茶パッケージのプレゼンテーションと取材をかねて、ロンドン → ストークオントレントへいくことが出来ました。

ストークオントレントという町は、日本の瀬戸みたいな焼き物の町です。ロンドンから急行で3時間ほどだったでしょうか。あのラグビーの町を通り、リバプールの方へ行く途中にあります。

ヒツジさんのいる、本当に牧歌的な丘をいくつも越えて到着です。駅前には、ジョサイヤ・ウェッジウッドの銅像があり、町のあちこちにロイヤルドルトンをはじめ、ミントン、ウェッジウッド、スポート、ロイヤルクラウンダービーなど有名なブランドの窯とその煙突が並んでいます。
いかにも古い歴史ある町という佇まい。そして、それぞれの会社がそれぞれの私設のミュージアムを持っているようです。
このアンティークな柄のカップは、工場見学に行った折りに、ミントンのミュージアムのお隣にあるアウトレットで買ったのもの。日本では見ないミントンでしょ。ミントンのカップは本当に素敵な柄が多く、水彩で描かれたデザインブックは手元に置いておきたくなります。

ロンドンでよかったのは、パークサイドホテルで本格的なアフタヌーンティをいただいたことと(もちろん仕事です)、ハロッズを見れたこと。百貨店というより、ミュージアムのよう。地下の食料売り場では、食材で巨大なオブジェをつくっていました。その時買ってきたウール張りのピクニックシートは、いまだ現役で年に数回活躍しています。

2009年8月23日日曜日

消えゆく、ポップドール

お店の前でお客さんに呼びかけるキャラクターたち。あのペコちゃんや、薬のサトちゃん、おまえヘソねーじゃねえかのコルゲンコーワのケロちゃんなどを、ポップドールと呼ぶらしいです。不二家のペコちゃんは昭和25年生まれだとか。新しいところでは(もう古いけれど)、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースさんもその代表選手です。
なんでもこのポップドール、世界的に見ても、日本が圧倒的に多いのだそうです。「福助」や「お多福」など、日本は歴史が違うのだよ、ということでしょうか。日本人のDNAのなかに、看板娘的な愛嬌のあるキャラクターを好む資質がきっとあるのでしょう。この辺の話で、新書一冊書けそうです。

私たちが子どもの頃は、ある銀行のポップドールがディズニーのキャラクターでした。ミッキーマウスやドナルドダックの貯金箱がとても欲しかったことを覚えています。プラスチックではなくて、硬質なビニールで出来ていたように思います(あの匂いが好きでした)。
そしてその頃は、まだ、商店街というものがとても元気でした。商店街を歩くことで、いろんなポップドールたちとの出会いがありました。ポップドールたちも子どもたちにいたずらされながらも、活き活きしていました。今や生き残っている商店街はわずか。売り場や販促物が細かく管理されている量販店全盛の現在では、彼らとの出会いもそうそう望めません。

ところが、昨年リタイアされた食いだおれ太郎さんは、もてもて。全国各地を飛び回っていらっしゃいます。かに道楽のかにや、京都おたべのこっくり娘さんなど、関西は昔から動くポップドールの本場のようです。ポップドールの世界にも格差の波はあるようです。

2009年8月13日木曜日

超辛シシトウから、オクラへ


これでもかというくらい、今年も1本の木(苗)にシシトウが鈴なりに出来ました。始めの頃は3日に一度、焼いて食べていても柔らかくおいしかったのですが、次第に赤いのが混じるようになるとだんだん辛くなってきました。最近はもう終わりなのか、実が小さくなってきているようですが、辛さは20倍くらい辛く、口に入れただけで咳き込んでしまう手ごわいものもおります。書いているだけで、思い出して、汗が出てきます。

で、このシシトウに替わって、鈴なりに出来そうなのがオクラです。写真のように、オクラの花のツボミがいっぱい。出来始めた実も、大きく柔らかくおいしいです。この調子だと、8月いっぱい楽しめそう。冷酒にオクラという感じの盆休みになりそうです。
それにしても、梅雨明けは遅い、台風は来る。夏らしい青空がなかなか現れません。そのうちに、夏はすぐに終わってしまいそう。ブーゲンビリアやハイビスカスは雨にやられてずっと元気がないですが、野菜は強い。

小さなプランター菜園でも、いろいろ収穫出来るのですから、畑を借りて作っている人は、その収穫量も凄そうですね。野菜をあげても、お返しをもらったりして‥‥。草むしりや虫の手入れも大変そう。わが家では、これくらいのプランターで少しづつ季節を楽しむのが、ちょうどいいサイズのようです。

2009年8月10日月曜日

隊士、舞妓茶屋に遊ぶ


この前の土曜日は、維新探検隊一年ぶりの、納涼飲み会。今年は、三条河原町の、池田屋にて開催されました。新撰組が勤王の志士を急襲したあの池田屋跡に、居酒屋が誕生。新聞にも載るなど、話題になったお店に我々も、というわけです。「蒲田行進曲」で銀ちゃんに切られてヤスが階段落ちする、ロングな階段も再現されています。酔っ払いが足を滑らせても大けがしないよう、踊り場をつくったり、ちょっと鍵形に変形されています。
4時からまる2時間。いつものことながら、よく呑み、よく食べ、満腹満腹。さて、お次は。先斗町辺りをそぞろ歩きたいというヨウドウ殿様にしたがって、三条小橋を渡ります。

先斗町に入ると、なにやらいつもと違う佇まい。なんと歌舞練場で、「舞妓茶屋」というビアホールがオープンされているではないですか。舞妓さんの踊りを楽しみ、おしゃべり&写真を撮ってOK。さらに生ビールとおつまみがついて1,500円というお値打ち価格。建物の中の席は一杯で、外の桟敷で鴨川を眺めながらのビールとなりましたが、「市笑」「光菜」と舞妓さん二人もちゃんとお話しに来てくれます。あ~、こんなことなら浴衣着てくれば良かったァ。この催しは、土曜日まで、お盆休みのみ。行きたい人はこの1週間に、イソゲ!

ビアホールの中の写真はどの写真も人の顔だらけ。舞妓さんのお顔を出すわけにもいかないので、歌舞練場入り口の看板でゴカンベン。隊長のピースサインが、この夜の雰囲気を物語っております。 
ここで帰ればいいものを、もう一軒いくのが悪いクセ。昔懐かしいサントリーバーで、ウィスキーロックなどをいただいたために、次の日はけっこうアタマが痛かったのでした。隊士の皆さん、お疲れさんでした。

2009年8月4日火曜日

全英の、穏やかな勝者たち


全英はいつも、天候だけでなく、重苦しい雰囲気に押しつつまれている。ヒースに打ち込み、クリークに阻まれ、深いラフやバンカーにつかまり、コースは選手たちの絶望と悲壮感にあふれている。自分の運命を呪う選手ばかりだ。
リーダーたちでさえ疲労困ぱい、ましてスコアを落とした選手たちは亡霊のようになってしまう。あのタイガーだって、眉間にシワをよせ、怒りながらプレイしている。それが、The Open なのに、The Open だけの醍醐味なのに、今年はちょっと様子が違った。


いつもの激しい雨や風や、その両方が、比較的に穏やかなようだった。その中で、59歳のトム・ワトソンが静かに燃えていた。初日からトップを走り、4日間、いつか落ちていくだろうと思っていたが、なんのなんの、ずっと首位を守りつづけた。最終で、プレイオフに追いつかれ、残念ながら優勝はスチュアート・シンクになったものの、最年長優勝の記録は書き換えられなかったものの、ワトソンは世界中のゴルフファンを魅了していた。淡々としたプレイはリンクスとの触れあいを楽しんでいるようだった。石川遼は予選落ちしたものの、十分楽しませてくれた。予想外、地味目な久保谷にも1日目から俄然注目が集まった。日本選手の頑張りがあってこそ、TV観戦も真剣になる。

そして、全英の女子チャンピオンも、二人目のお子さんを出産して3カ月目というベテランのカトリーナ・マシューが優勝した。彼女もまた、2日目から首位に立ち、淡々とトップを守った。ホールインワンやイーグルをとってはいたが、派手さは全くなく、プレッシャーに落ちていったのは周りの選手たちだった。ウェアや帽子を見ても大きなスポンサードはない、スコットランドのおばちゃん選手だった。
こちらも日本人選手の活躍で、TVをずっと見ていてまだ寝不足だ。2日目までは三塚優子が頑張り、3日目からは宮里藍が頑張り、3位に入った。

今年、リンクスの女神に愛されたのは、リンクスのゴルフを愛する穏やかなレディース&ジェントルマンだった。その分来年は、とんでもなくハードなゲームになるのかもしれない。

2009年8月1日土曜日

「きんぎょ」を、もう一杯 

暑中お見舞い申し上げます。といっても、関西地方はまだ梅雨明けもしておらず、この土・日も雨とか。今年は、シトシトといった梅雨らしい梅雨ではなく、ゲリラ豪雨のようなドシャ降りで、各地の被害も相当なもの。今日、ゴルフに行った人は大丈夫だったのかしら。
ところで、この写真は「きんぎょ」です。焼酎の水割りに大葉と唐辛子をいれたもので、見た目に金魚鉢のような感じがするのでそう名付けられています。会社の近くの飲み屋で出しているメニューですが、遊び心がおいしいので、ときどき家でもやってます。

見た目に涼やかなのがいいでしょ。唐辛子がピリッと効いていて、これがクセになります。カラダにもいいみたい。もともと焼酎は苦手なほうだったので、こだわりもありません。焼酎呑みからは、邪道といわれるかも知れませんが、一度お試しあれ。

玄関の金魚鉢で金魚を飼っていた小学生の頃は、遠い昔。最近はあまり見てません。小学校の近くで、炭を売っている燃料屋さんが、夏は冷蔵庫用の角氷を売っていて、その横で金魚鉢や金魚を売っていたことを、今、思い出しました。そのお店では太鼓焼き(いまがわやき)も店先で売ってました。当然、そんなお店はとうに姿を消してしまいましたが。

焼酎に関しては、ずっと初心者で、少しずつ永くつきあっていこうと思っています。苦手だった匂いも、克服しつつあります。お湯割は、まだ馴染めませんが。先の方には芋焼酎の世界も広がっています。「すこし愛して、なが〜く愛して」。いろんなお酒と、末長くおつき合いしたいと思います。

2009年7月26日日曜日

ハヤカワ ポケット・ミステリ


アメリカのペーパーバックのように、本の天や小口が黄色く着色された細長のサイズ。文庫本より少し大きく、文章は二段組みレイアウト。表紙は抽象的な油絵の装丁。そして、ビニールのカバー、昔からちっとも変わらない。持っているだけで、カッコイイと思ったものだ。
このポケットミステリとのつきあいは長く、中学からだ。そもそも早川書房の本に出会ったのは「SFマガジン」という雑誌を立ち読みしだしてからで、その後、星新一や小松左京などのSFショートショートを読み始めた。SFは体質に合わなかったのか、イアン・フレミングの007が流行しだしたこともあって「ミステリマガジン」を読むようになった。多分初めて買ったポケット・ミステリも007だったのだろう。なんでも、1953年刊行開始というから、わたしの歳とあまり変わらない。こちらは今、世界最大・最長のミステリシリーズに育っているらしい。

映画を見たら本を買う、本を読んだら映画を見るという感じでイアン・フレミングの007はほとんど読んでいると思う。TVの「ナポレオン・ソロ」のポケットミステリも読んだと思う。その後、はまったのは、「87分署」シリーズであり「マイク・ハマー」であり、「ヴァージル・ティップス」であり、チャンドラーでありと、ハードボイルドに一直線にのめり込んでいった。
クリスティやウールリッチといった、本格ミステリーの何冊かは読んだが、こちらはあまり合わなかった。いわゆる謎解きとかトリックを見破るとかの思考回路が全く稼働しなくて、なるほどなるほどと、感心するだけで終わってしまう。やっぱり映画的に映像が見えてくる、あるいはスタイルにこだわるミステリの本の方が好きみたいだ。

このハヤカワのポケットミステリ、紀伊国屋やなどの大きな本屋でもちょっとの在庫しかないという時期もあったが、最近は人気も持ち直してきたようだ。たまにアメリカ探偵作家クラブ賞のものとかを読むと、やっぱり面白い。人間の息遣いが聞こえてくるような、リアルなミステリが増えている。多彩なミステリの世界を、このシリーズは今も広げつつある。

2009年7月20日月曜日

ダッシュボード・フラ   


フラガールの胴体にバネが入っていて、振動するたびに腰を振って踊ってくれます。名前の通り、クルマのダッシュボードに置いて楽しむお人形さんです。これは、ウクレレを持っている美人さんタイプ。ダッシュボードに置くための人形というのが、気に入ってます。まぁ、見とれる、ということもないので、安全運転に支障はありません。ものすごく太った、おばさんフラガールもあるみたいです。
こんなお人形さんでも、10体も並んで踊ってくれると、それなりに迫力があるのかしら。普通の自動車では無理だけど、長距離トラックのダッシュボードでは、ひそかにフラ大会が開かれていたりして。

フラ・イベントといえば大きな大会が毎年、京都で催されているようです。Ku Hanohano  という大会で、京都駅の大階段広場をステージに、2日間で1500人の踊り手が集まる大会をテレビでも放映していました。おなじみのフラもあれば、儀式に近い踊りもあったりして、日本のフラサークルのスタイルも様々なようです。フラ人気恐るべし。会社の友人でフラをはじめた人の話では、優雅に見えてそれはそれはハードな、筋肉を使う踊りだそうです。

このダッシュボード・フラの値段もまた、恐るべしでした。いちばん安かったのは、日曜日にアロハ・スタジアムで催されている「スワップミート・マーケット」というバカでかいフリーマーケットでした。1体4ドルくらいだったと思います。これがワイキキへ近くなるほど、にぎやかな通りのお土産屋へ行くほど、7ドル、8ドルと値段が上がってきます。露骨な値段の上がり方。京都のお土産屋さんでも、これほどの値段の格差はないでしょう。
こうした小さなおもちゃも旅行のお楽しみ。まとめて安く買うなら、この「スワップミート・マーケット」はおすすめです。アロハ・サンタなど、見なれないクリスマス用のオーナメントなども、南の島ならではものが揃っているようです。

2009年7月12日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #8  大映通り ●●●


京福電鉄・嵐電の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」と「太秦(うずまさ)」の間、三条通りの一本南を走る道を大映通りと呼ぶ。ちょうどまん中に十字路が有り、南へ行けば大映へ。北へ行けば東映へ。また、帷子の辻には松竹があった。文字通り日本のハリウッドであった。
写真のように街路灯が、撮影カメラにデザインされていてかわいい。いつからこうなったか知らないが、多分、この商店街の町おこしが十年くらい前から「太秦キネマ」を合い言葉に盛んになり、その頃からなのだろう。

この辺は、ワタシの小学校の近くでも有り、友だちも多く住んでいた。月に2度くらい、夜店が並び、たいそう賑わっていたのも遠い昔。浴衣を着てお出かけしていた。貧しいような、豊かなような時代。縁日の日は、けっこう夜遅くまで子どもの声が響いていた。
学生の頃、商店街には2軒のパチンコ屋があった。岡っ引きのような兄ちゃんや、スリのお姉さんのような人が時代劇衣装そのまま、ドーランそのままで、パチンコをしていた。わがままなスターさんや監督さんのおかげで、理不尽な時間ツブシでもしていたのだろう。

2009年7月5日日曜日

お楽しみは、「ドン・シーゲル」 

ドン(ドナルド)・シーゲル監督の、「刑事マディガン」にはぶっ飛びました。とてもリアルな刑事モノ映画でした。深作の「仁義なき戦い」がでてくる、もっとずっと前の映画です。リチャード・ウィドマーク主演、1968年日本公開となってます。ジョン・ウェインの刑事モノとはフタ味ほど違う、スターに頼らないリアルな刑事モノでした。西部劇の匂いはするのだけれど。「ひたすら走る」汗臭い映画です。好評だったらしくTVシリーズになったようです。その後この監督は、1968年に、クリント・イーストウッド主演の「マンハッタン無宿」を撮ります。カウボーイハットの刑事がニューヨークにやって来る刑事モノです。そう、あのNHKの「警部マックロード」は、この映画のパクリです。

そして、この二つの映画の流れが合流するところに「ダーティハリー」が生まれたのでした。走って走って走りまくるのは刑事マディガンのDNAが。ハンバーガーを食べながらマグナムをぶっ放すのは、マンハッタン無宿のDNAのなせる技。ドン・シーゲルに、男臭いハードボイルドなB級映画を撮らしたら、職人的なうまさを発揮するのでした。
後で見た映画に「殺人者たち」という快作もあります。ヘミングウェイ原作ですが、内容はだいぶアレンジしてます。主演はリー・マービン、痺れます。レーガン大統領も悪役でご出演です。この監督のDNAはその後しっかりと、サム・ペキンパーとクリント・イーストウッドに受け継がれていったのです。




映画の料金も高くなって、こうしたシンプルな映画では満足出来なくなってきた観客たち。お金をかけたC級映画は多いのだけれど、見ごたえのあるB級映画が激減しています。映画2本立てというシステムは、結構いい監督や脚本家を育てていたのでしょうね。あとはもうテレビ局がつくる映画に頼るしか、こうしたB級映画は見られないのでしょうか。

※始めの写真はダーティハリー第4弾のパンフ表紙。クリント・イーストウッドの監督作です。

2009年7月4日土曜日

オブジェのような、蓮の花

本当は、蓮の花はあまり好きではないのです。形は確かに美しいと思いますが。ピンクのグラデーションが毒々しくて好きになれません。お盆の造花とダイレクトに記憶が結びついてしまうからでしょうか。
小さいな白い蓮の花が数輪、池に浮いているのはきれいですが、どばっと池を埋め尽くすとちょっとねえ。家の近くにも、蓮の名所といわれるお寺が多いのですが、なかなか行く気になれません。
でも、この蓮は美しいと思わずカメラを向けてしまいました。葉の形と、花と緑のバランスがとてもキレイでした。上に立ち上っていくチカラを感じました。小さな水がめから、こんなに背の高いボリュームいっぱいの蓮が咲くのも、ちょっとびっくりです。

妙心寺の境内をぶらぶら散歩しているときに見つけました。妙心寺には多くの塔頭があり、ちょっとのぞいて歩くと、アプローチでいろいろ季節の演出が工夫されています。
ボタンやシャクナゲ自慢の塔頭もありました。苔と桔梗の色合いが美しい玄関も見ました。このお寺も別に蓮で有名なお寺ではないと思いますが、瓦の演出といい、ちょっとモダンに頑張ってはります。
ところで、こうした蓮の花を育てるというのはとても難しいのでしょうか。家で育ててるよという人あまり聞きませんね。庭にゆとりがないと無理でしょうが。

しとしとと雨が降り、ころころと水滴が葉の上で踊りだすと、蓮も美しい表情を見せてくれるのでしょうか。派手な色が薄く靄につつまれるような、梅雨の季節にこそ、蓮の花は見るべきものかもしれません。
ところが最近の梅雨はゲリラ豪雨となり、そんな風情もありません。大雨がつづく日本列島ですが、関西だけはまだ雨が少ないようです。

2009年6月28日日曜日

休日のお昼は「鳳舞」で

広東料理の「鳳舞」は鞍馬口の紫明通りに面した店。よく見ると大きな看板があるが、これが目立たなくて分かりにくい。グレーの二・三階建ての建物で、なぜか、正面に鯉の泳ぐ和風の庭がある。一歩中に入れば、中国風のインテリア。畳ベンチのボックス席をはじめ、奥の部屋もありけっこう広い。主婦のバイトのようなおばちゃんたちが4・5人いて、ペチャペチャおしゃべりしながらサーブしてくれる。他の人のブログを見ていると、このおばちゃんたちの態度が悪いと評判だが、この数十年そんな不快な目にあったことはないけどなぁ。
そういえば京都のバンド<くるり>のCFもここで撮影されていた。

クルマでいくことが多いが、本当は遅い目の昼にぶらっと行き、ビールでも飲みながら、ゆっくりまったり過ごすのがこの店らしくていい。

料理はどれも安くて量があって、とてもおいしい。細麺のかたい焼きそば(フライ麺)やレンコンがシャキシャキしている焼売がおすすめ。焼き豚もおいしく、ビールにぴったり。いちど維新探検の折、お昼にみなさんをご案内しましたが満足いただいたようでした。
この「鳳舞」はおいしい料理人を輩出している店として名高いらしい。京都の町中を歩いていると、ときどき「鳳○」という名の店を見つけることがあるが、ファミリーのお店なのだろう。もちろん、お店のメニューは違っていたが、焼きそばの味は同じだった。
二階は座敷になっていて、宴席などにいいみたいだ。中華はいろんな料理を少しずつみんなで食べた方がおいしい。いちど夜のお食事をみんなと一緒にと思うが、まだ実現していない。

北大路ビブレの近くにあった、向こうの人がやっていた中華料理店は最近やってないみたいだ。レタスチャーハンがおいしかった「ハマムラ」の御池店もなくなってしまった。あまり知られていないおいしい中華の店は、京都にもまだまだありそうだが、宴会ができるような古くからおなじみの店がなくなっていくのは寂しい。
住んでる町のあちこちに特長のあるお店がいろいろあって、昼ご飯食べるのも迷ってしまう。そんな贅沢が京都にはあるが、観光客に知られていないお店でという条件が付くのが厄介だ。まぁ、そういう新しいお店を見つけるのもお気楽さんぽのお楽しみではあるが。

2009年6月18日木曜日

辛之助、収穫しました


先日、ベランダのプランターで育てていた辛味大根の「辛之助(「しんのすけ」という名で種を売ってます)」を収穫しました。種まきから1カ月ちょっと。今回のはご覧のように、なかなかうまく成長しました。種の袋の写真どおり、テニスボールくらいの大きさです。春のときはピンポン球くらいの大きさだったので、大成功。ただ、辛さという点では春の方が辛かったかな。
写真に写ってるプランターで育てていますが、あと4本ほど収穫出来そう。やはり、新しい土で、肥料など混ぜて寝かし、種をまくという、手間をかけたのが良かったのでしょうか。

以前このブログで紹介した「オクラ」も、うちのKさんが育てています。はじめの苗を買ってきたのは、寒さにやられてしまい、育っているのは1本だけ。維新探検隊の仲間から、「種から播いたほうがいいで」といわれて播いた種から、たくさん発芽してきました。今度は育てよ。
ベランダのプランター野菜畑で、いまいちばん元気なのは「シシトウ」でしょうか。夏のような陽を浴び、ぐんぐん育っています。

最近はワタシのまわりでも、ベランダで野菜を育てている人が増えてきたようです。家に庭がないので、プランターになるのですが、 なかなか立派に育ってくれます。量は収穫出来ませんが、ちょっとサンドイッチに挟んだり、酒の肴にしたりと、手づくり気分を味わのもなかなか楽しいものです。夏の収穫まで、敵は梅雨でしょうか(プランターでは、雨で土がすぐ流されてしまいます)。シトシト長雨をどう乗り切るか。夏の花、ブーゲンビリアやハイビスカスにとっても梅雨は要注意です。

2009年6月14日日曜日

杣の天狗を、もう一杯


ここ5年ほど、ずっと気に入って呑んでるお酒がこの「杣(そま)の天狗」です。薄~い、にごり酒です。瓶の底に雪のように積もっているようなにごり酒ではなく、絹を掛けたように白く透けているお酒。ちょっと辛口ですが、口あたりがいいので何杯でも呑め、要注意です。およばれする時は、お土産で持っていきますが、なかなか好評です。蕎麦猪口に氷を入れ、これを注いでいただきます。冷蔵庫から出してそのまま呑んだほうがいいかもしれませんが、家ではこのスタイルです。ビールや焼酎、いろいろ飲みますが。今日は呑むぞ、というときはこのお酒です。


はじめは、朽木のお酒と聞いて、「杣の天狗」という名もなるほどと思いました。でもつくっている酒蔵は上原酒造といい、琵琶湖畔/高島の小さな、特徴的ないいお酒をたくさん造っていらっしゃるところです。いちど、酒蔵まで直接買いに行ったことがあります。車を止めてお店の中に入ると、奥にはもう酒樽が並んでいるようで、しっとり濡れた空気に包まれて、お酒の匂いが漂ってきます。

でもやっぱり、このお酒は私には朽木のイメージです。この村の山田錦から造られたお酒だからです。朽木は、京都から小浜へ抜けるいわゆる鯖街道の宿場町で、安曇川の上流にあります。河原でキャンプをしたり、冬はスキーをしたりといった家族連れが訪れる、山深い村です。スキー初心者の頃にはよくお世話になりました。そこの昔ながらの酒屋さんで(昨年休業となりましたが)何本か買って帰るというパターンです。ときには鯖寿司もいっしょに買います。休日の晩酌。幸せな時間。
それにしても鯖寿司を売る店の増えたこと。街道沿いにさまざまな店が出来、どこがおいしいのやら。値段もピンキリのようです。

2009年6月7日日曜日

「海文堂」は素敵な本屋さん

豚インフルエンザで大変だった神戸元町3番街のアケードに、海文堂という本屋があります。京都の人間が云うのもなんですが、この本屋さんが好きです。「神戸の港の歴史とともに」をスローガンにする、船関係の本が多い、神戸らしい本屋さんです。第一に包装紙が好きです。帆船や旅客船などの線画が描かれていて、どこの本屋のブックカバーよりも洒落ています。このカバーに包んでもらうのがうれしくて、重たいのに単行本を買ってしまいます。
二階に上がれば、さまざまな船の本が売られています。船舶の免許やメンテナンスの本、海運の歴史や自費出版みたいなものまでさまざま。幕末・維新の船にまつわる本のコーナーなどもありました。

本に混じって、客船のランタンや、ドアの名札や、船の制服の階級章などいろんな小物が売られています。これがまた、見ているだけでも面白い。ナゼカ、化石みたいなものまで売ってる。時間なんてアッという間に過ぎてしまいます。キーホルダーやマグカップ、昔の商船のステーショナリーなどなど、つい手が出てしまう。ヨットの趣味があるわけでもないのに、こうした海の小物に弱い。どうも「憧れのハワイ航路」的な、船旅に憧れているのかもしれません。
独特の匂いをもった本屋さんが好きのでしょう。京都の「丸善」も良かったけれどなくなってしまった(黄色い文字がモダンにデザインされた包装紙も好きでした)。丸善など昔からセレクトショップで、一流の品々がさりげなくディスプレイされ、見ているだけで勉強になりました。

最近の本屋さんは、本が多いのはそれはそれで便利なんですが、みんなメガストアみたいに大きくなって、本屋の面白さがなくなったと思います。ふらっと立ち寄ってちょっと面白そうな本を探してみようという気になかなかなりません。海文堂さんのように、頑張っている面白い本屋さん京都にありませんかね?最近はブックオフで、昔買おうと思って買えなかった本を探すほうが楽しいという時もあります。

2009年6月1日月曜日

1年ぶりのシネ探は、大徳寺から


土曜日は、維新探検隊からスピンアウトした、「シネ探」へ行ってきました。日本のハリウッド=京都太秦の撮影所の面影を訪ね、嵯峨野のロケ地を散策した前回からはや1年。地下鉄「北大路」駅に6人が集合。ここからぶらぶらと、大徳寺、今宮神社の方へというのが午前のコースです。千利休でおなじみの大徳寺では、「新撰組血風録」での油小路の闘いが撮影されたのはこの辺りと、シンちゃんの説明。ついでにということで塔頭の名刹「大仙院」へ。枯山水の庭や禅の話を聞き、お抹茶をいただくという贅沢な時間を過ごしました。
気はなが〜く、心はまあるく、腹立てず、人は大きく、己は小さく。

大徳寺の次は、今宮神社へ。というより、石畳の参道の茶店へ。鬼平のタイトルバックのシーンを思い浮かべながら、名物「あぶりもち」をいただきました。午後は、ここから上賀茂神社、下鴨神社へ。その前に腹ごしらえということで、しっかり太麺の冷めんがちょっと有名なサカイへ。ビールもすすみます。
午後のコースの一番手、上賀茂神社へ。まずお参りし、境内の「ならの小川」へ。この写真の辺りも、時代劇ではよく使われいるそうな。つづいて、小川流れる社家の佇まいを楽しみながら近くの太田神社へ。かきつばたの池を見に行ったのですが、もう花は終わっていました。残念。タクシーで下鴨神社へ。糺すの森をぶらぶらしながら、さまざまな時代劇が撮影されたイメージを思い巡らせる一行でありました。

最後は、旧松竹京都撮影所があったはずの宮崎町を訪ね、鴨川公園にある「目玉の松ちゃん」の像を見て、本日の予定終了。はじめこそパラパラしていた曇り空もいつのまにか青空に。映画の香りを楽しみながら約2万歩歩いた、大人の遠足となりました。打ち上げは、即、新京極の「スタンド」へ。まぁ、よく食べること、よく呑むこと。この調子で、次回東山三十六峰編もよろしく。

2009年5月25日月曜日

文字が書ける、葉書の葉


嵯峨野の広沢池を東へ、山越という地に「印空寺」というお寺があります。この庭に樹齢300年といわれるタラヨウ(多羅葉)の木があります。そのタラヨウの葉はゴムの葉のように堅く、葉の裏に楊枝のようなとんがったもので傷を付けると、その部分が6Bの鉛筆で書いたように黒く変色し、文字が残ります。へぇ〜。そして、お寺の立て札によると、これが葉書のはじまりだとか。へぇ〜。写真のように、観光の人が実験していった葉が落ちていました。面白い葉っぱだと思って、一度会社へ持っていったことがありますが、皆の反応は今一つでした。へぇ〜。


最近は何でもけっこう郵便で送れる、と聞いたことがあります。今この葉っぱに文字を書いて切手を貼れば、郵便屋さんは届けてくれるのでしょうか?知っている人、教えてください。切手がはがれないように、ビニールの袋かなにかに入れないとダメなんでしょうね。

まぁ、こういう小さい発見を楽しむのが、お気楽さんぽのいいところでしょうか。いろんなお寺の庭には、ちょっとした話のネタになるような木や花がひっそりと育てられているのですね。そうした話をコレクションしていくというのも、一つの楽しみになるかもしれません。で、お寺で拾った葉は小さかったのですが、散歩を続けているとこの大きな木が植わってる家の庭がありました。珍しい木と思っていましたが、普通に家の庭の木として植えているのですね。

2009年5月18日月曜日

鰻は嵯峨野の川魚屋さんで

実は、10年ほど前まで「鰻」が食べられませんでした。小学生の頃に旧京都駅の食堂で、鰻重を食べて気分が悪くなって以来、ずっとダメでした。それが15年ほど前から穴子が食べられるようになり、穴子が好きになり、鰻が食べられるようになり、鰻が好きになりました。穴子が好きになったのは、大阪の北新地のお店でお昼に、蒸した穴子を細かく切った巻きずしをいただいてからです。代理店の方におごっていただきました。その巻きずしは、煮た椎茸のみじん切りなどもまぶされていて、ここにしかない味。はて、なんて名前の店だったか、新地のどこだったのか。その方も、とうに退職され、わからなくなってしまいました。

そういえば会社の近くには「竹葉亭」という鰻の老舗がありました。その頃は鰻が食べられず、ひとり幕の内弁当などを食べておりました。鰻が好きになった時には、風格のあったお店はなくなり、マンションが建っていました。「竹葉亭」は今はホテルに出店しているのみなのでしょうか。
昨年、琵琶湖畔に住む友人のOZ君の家に遊びにいったさい、注文しておいてくれた鰻も非常においしくいただきました。その日の朝、琵琶湖でとれた鰻を予約しておくとか。また、お願いします。これからは、せいぜい京都で、鰻のおいしいお店を訪ねたいと思うのですが。鰻のお店は、とびきり高い店もあって、エイ、ヤッという気合いも必要なようです。

で、日々の食卓でいただく鰻となれば、今、このお店です。懐かしい、川魚の専門店。いろいろな川魚を煮たり、焼いたり、佃煮にしたり。ここの鰻が、お手ごろで美味しく、なかなか贅沢な気分にさせてくれます。だし巻きがおいしいのも特筆もの。錦市場まで行って買うこともありません。JRの嵯峨駅前。観光客も、最近有名になったコロッケ屋さんに目を奪われて、ちょっと地味目なお店には気がつかないようです。

2009年5月10日日曜日

思いたって、保津川下り

明智光秀が愛宕山にお参りしたり、本能寺への別動隊を動かしたとき利用したと云われる「明智越」をハイキングすべく、亀岡までJRで行きました。保津峡まで3時間半あまりの予定だったのですが、ルート入口は保津川下りの乗り場。船頭さんは多いのに、観光客の姿があまり見られません。もしやと思って覗いてみると、今日はお客が少ないとのこと。40分ほどで乗船できるらしい。ならばと、急遽、予定変更。山で食べるはずのお弁当を食べていると、20分ほどで乗船のアナウンス。スムースに船が動き出しました。実は、初めてです。前から何回も乗りたいとは思っていたのですが、混んでいるみたいで、平日でないとだめかとあきらめていたのでした。

一つの船に乗客は24人。船の前後に竿を繰る2人と、漕ぎ手1人。10分ほど田んぼの横の流れを進むと、山間が狭くなり、波しぶきの中を進むことになりました。期待過剰か、思っていたよりスリルも波しぶきも少ない川下り。船頭さんによると今日はまだ水が多いので平均よりスリルも上、でも昨日の方が水位が30cmほど高かったからもっとスリルがあったとのこと。修学旅行生は大喜びしていたそうです。
水が増えると流れが速くなり、スリルも増え、乗船時間も短くなるらしい。梅雨時など雨の多い時は、別世界になるらしい(その時行ってみたい!)。乗船時からずっとしゃべり続けの、後ろの席の大阪のおっさん。もっとスピードださなオモロウないわとほざいていたが、急カーブで船から落ちかけてやっと静かになりました。

小鮎の滝や大高瀬、朝日の瀬などいろいろな名前のついた瀬や岩を眺めながら1時間ほどの行程。トロッコ列車やJR嵯峨野線と並行して下っていきます。トロッコ列車に出会ったのは1回。下りのトロッコ列車には手を振らんでいいよと、船頭さんつれない。11時に家を出発して、なんと2時には嵐山に着いてしまいました。料金は1人=3900円。ちょっと高いです。でもまぁ24人乗って、3人の人件費。平日は少ないだろうし、冬はお休み。仕方のない料金なのかもしれません。今日は、いたるところで自生の藤が満開。山の若葉と青空と、藤の紫がキレイな川下りでした。桜も良し、紅葉も良し。それよりも、台風の後とかにもう一度乗ってみたいと思います。「明智越」も再チャレンジです。

2009年5月6日水曜日

ハワイSP●カゲタさんのヒーリングツアー(2)


ノースショアへ行く途中にある、<ワヒアワ バースストーン>へと向かっている。バースストーンとは名前通り、昔、ハワイ王族のお産場所だったそうだ。ここの石の上で生まれた子どもは神からの洗礼を受け、特別なマナを授かるらしい。今でも安産などをお願いする人が訪れる場所という。
パイナップル畑のような、粘土質の赤茶けた大地。雨が降ったら、じゅくじゅくツルツルになるらしい。渋滞から開放された案内人のカゲタさんは、こんどは空の黒い雲を観察しだした。昼飯は後にして、雨が降る前に行きましょうということになった。ストーンサークルを思わせる、不思議な石の配列。今も現役のパワースポットのためか、あちこちの石にレイがかけられている。

その中の一つに、この写真の飾りのようなものが捧げられていた。カゲタさんの説明によると、木の葉や鳥の羽根、髪の毛などを編み込んで作ったもので、古代ハワイアンがつくったレイの原形に近いのだとか。ウ~ム、原始的な強い力が込められているのだろう。残念ながら、他の場所ではこのようなモノは見かけなかった。

この後、ノースショアへ向かい、お決まりのワゴンのガーリックシュリンプでお昼。カゲタさんいわく、「ここがいちばん旨いンです」。食事の後は、海ガメが甲羅干しをしているというラニケアビーチへ。本当にカメさんが寝ていました。カメさんがいて、カゲタさんも満足そう。そうこうしている間に15:00をまわり、いよいよ最後の <ワヒアワ ヒーリングストーンズ>へ。住宅街の中にある。日本のお地蔵さんのように、大理石の祠に祀られている。カゲタさんは、ござを敷いて、その上でお祈りしてくださいとおっしゃる。ちょっと特別な雰囲気。
とにかく、普通の観光ルートではいかない場所をドライブするこの一日がかりのツアーはおすすめ。朝から夕方まで楽しめ、また行きたくなるような内容。カゲタさんその人に、癒される効果も期待できる。

2009年5月4日月曜日

ハワイSP●カゲタさんのヒーリングツアー(1)


カサカサとビニール袋をさげて、カゲタさんが前を歩いていく。カゲタさんは、このツアーの案内人兼ドライバーで、袋の中には人数分の「レイ」が入っている。このツアーは、オアフ島のいくつかのヒーリングスポットを6時間ほどかけて巡っていく。それらのスポットで、いろいろな石などに触り、感じるものがあったらこのレイをかけてくださいといわれた。6人と人数は少ないけれど、気ままな観光客はどこでレイをくださいというかわからないので、ずっとビニール袋を持って案内してくれる。カゲタさんは高校の古文の先生がアロハを着たような人で、とても実直そう。そしてもちろん、ハワイの古代の遺跡に詳しそうだ。

はじめに訪れたのは<パーフア ヘイアウ>。カハラを抜け、ココヘッドの奥の住宅街に入っていく。ヘイアウとは、聖なる寺院の跡とか、祈りの場所のこと。ここは、五穀豊穰を祈っていた場所らしい。なんと日は高く昇っているのに月下美人が咲き乱れていた。ヘイアウには戦いのいけにえを捧げた怨念のこもったものもあるが、このツアーはそれ らを避け、ヒーリング効果のある穏やかなものを巡るらしい。ここの次は、マカプウ岬の下の<マカプウ ヘイアウ>へ。有名なラビットアイランドのすぐ目の前だが、ほとんどの観光客はここにこんなヘイアウがあることを知らない。


この後オアフ島の南を 半周するカタチで、カイルアからパールハーバー方面へ。パールハーバーを見下ろす山の上に、よく本などに紹介されている<ケアイヴァ ヘイアウ>があるのだ。ここで、サークルストーンのような石にレイをかけてあげた。目を閉じて、両手をひろげると、さぁっと風が降りてきた。歓迎されてい るらしい。

ここからは、一気にノースショア方面へと高速道路をドライブ。ハワイの皇族たちゆかりの<ワヒアワ バースストン>へと向かう。カゲタさんはけっこう話好きで、ハワイの電気代が毎月変わることや、シュリンプのうまい屋台の話などしてくれていた。ところが 途中から高速が大渋滞。どこかの出口で事故があったらしい。こちらは、ハワイの渋滞もそれなりに楽しいが、カゲタさんは予定が消化出来るか焦りまくり、 「スミマセン」を連発していた。でもロスタイムは30分ほど。ここで13:00くらいだった。この続きは、また次回に。

2009年5月3日日曜日

●●●  嵯峨野の裏道 #7  千代の古道  ●●●


平安時代の貴族たちが、都から嵯峨野へと遊行した道、と伝えられている「千代の古道」。常盤・鳴滝辺りから音戸山という小さな丘を通って大覚寺をめざした道とも、梅宮大社辺りから大覚寺へ向かう道とも云われています。一つの道の名ということではないのかもしれません。今でも、あちこちにこのような「千代の古道」の道しるべが建てられています。
「嵯峨の山 みゆき絶えにし 芹川の 千代のふる道 跡はありけり」 在原行平 (後撰集和歌集)
など多くの歌人に詠まれた道のようです。
この写真の辺りは、昔はまだ土の道が残っていて、野菊やタンポポといった野の花が似合う道でした。東映の時代劇華やかなりし頃は、撮影所の近くに東映の馬場があって、そこのお馬さんたちがこうした道をポックリポックリ、ウンチしながらお散歩されるのでありました。田んぼからお仕事帰りのウシさんたちもポタリポタリ、家へ汲み取りにいったお百姓さんのリヤカーも通ったりしていて、昔はなかなか匂いの濃い生活をしていたのだなと思います。
千代の古道も多くは、バスの通る道になってしまいました。この写真の近くには、昔の御池通りのケヤキ並木のケヤキたちが、余生をゆっくり過ごしている一画もあって、そこは雑木林のような風格を漂わせています。

2009年4月29日水曜日

松尾大社の神輿渡御


先日、松尾大社の山吹が美しく咲いていると新聞に記事が出ていた。日曜日に出かけようと思ったが、朝から大荒れ。植木が倒れる、洗濯物が倒れる、ひどい突風。札幌は雪、川奈でおこなわれていたフジサンケイレディスが風で中止になるくらい日本全国で大荒れだった。でもまぁ、小降りになってきたので出かけることにした。
嵐山から松尾大社へぶらぶらあるいていくと、お神輿が休憩している。お祭りがあることは知っていたが、天気の具合で進行が遅れているみたい。お茶接待所でもらったチラシによると、一千年以上の歴史ある祭りで、神輿が船で桂川を渡るらしい。これは面白そうとついていった。

松尾大社は松尾山の巨岩信仰を起源とするが、渡来した秦(はた)氏が、現在の地に社殿を建立したとか。平安遷都の際、賀茂神社とともに皇城鎮護の社とされた歴史ある神社で、酒造の神様としても有名。この祭りは、松尾七社(大宮社、月読社、宗像社など)のお祭りで、松尾大社にそれぞれの神輿が集合。神事が執りおこなわれた後、松尾・桂の里を通って、桂離宮の東北に川岸にむかう。ここから、桂川を神輿が船で渡る渡御神事がおこなわれる。
こんなお祭りがあるとは、知らなかった。いやぁ、京都は深い。朝日新聞やめて、京都新聞にすべきか。それにしても神輿を担ぐ若い衆は寒そう。冷たい雨だけでも大変なのに、川に入って神輿を船に。さすが京都洛西の総氏神、10万戸の氏子のお祭りでした。

このお祭りには、”おかえり”と呼ばれる「還幸祭」というのが5月17日にあるそうだ。それぞれのお旅所におかれていたお神輿が、西寺跡に集合し、列を整えて神社へと帰っていくらしい。その折、葵と桂で飾るので「葵祭」と呼ばれるとか。上賀茂の「葵祭」が有名だが、この祭りや伏見稲荷の祭りも「葵祭」の伝統があるそうだ。

2009年4月25日土曜日

おくらの花なのだ


きれいな花でしょ。ハイビスカスのような洋風の花のようでもあるし、品のある美しい色使いは日本古来の花のようでもある。実はこれは「おくら」の花で、昨年、家のベランダでウチのKさんが育てていたものです。おくらの花がこんなに美しいものとは、昨年まで知りませんでした。
おくらは、きれいな花を観賞したあとも、実が大きくなっていくのを見ながら楽しめる。ベランダで野菜を育てると、けっこう長く楽しめます。大きくなってきたら、焼いて、アツアツにカツヲをかけていただきます。おくらの実はけっこう収穫でき、9月頃まで少しずつ食卓を彩ってくれました。これがまた、冷酒とあったりして。

それにしても、きれいな花だと思うのです。実になるのを待つより、切りとって飾ってみるのも悪くない。初夏の玄関を彩る花になるでしょう。Kさんによれば、苗を5月頃買ってきて植えるのが良いとか。それ以上早いと、寒さに弱いので、やられてしまうとか。といっていたのに、先週、苗を売っていたので思わず買って植えていました。今年は暖かいのでOKでしょうか?さて、今年はどれくらい実をつけてくれるのでしょう。

わが家のプランター菜園は、深さ30cm×幅20cm×長さ60cmくらいのプランターが3つあるだけ。コレが野菜専用プランターです。今その一つで、レギュラーのからし大根の「辛太」くんを来週にタネを蒔くべく、石灰などを混ぜて養生させています。こちらはワタシの担当です。夏になれば、シシトウやミニトマトが参加してきます。ゴーヤくんだけは凄く出来すぎて、来る日も来る日もゴーヤ料理になるので、やめにしてもらっています。野菜だけではなく、オリーブの木もこの頃少しの実をつけるのですが、遊びに来る鳥にほとんどやられてしまいます。

2009年4月20日月曜日

日だまりの筍


筍の旬は、今ごろでしょうか。今年はもう遅いのでしょうか。嵯峨野を散歩していたら、あちこちの竹林で手入れをしているお百姓さんを見かけました。うっそうとしたお寺の竹林などと違って、筍を育てている竹林は、陽があたるように竹が間引かれ、竹の落ち葉がふかふかのベッドのように積もって、寝ころべば気持ち良さそうです。そうした落ち葉のベッドの上に顔を出している筍を数本見つけました。食べるにはもう育ちすぎているようですが、とてもカタチが良く、筍のそばには目印となる若木が挿されていました。なにか儀式に使う選ばれた筍、またはこの竹を大きく育てていこうと選ばれたものかしら。小さいくせにエヘンと威張っている風に見えました。

嵯峨野のお百姓さんの家の前にはときどきコインロッカーのような販売スタンドが有り、100円でキャベツやネギなどいろいろなものを売っています。さすが筍はないだろうと覗いてみると、10cmくらいの小さな筍が3本ほどビニール袋に入れられて売られていました。もう夕方だったので、朝ぼり筍を今買ってもなぁと、やめましたが、皮をむくとどれくらいになるのでしょう。さらに歩いていくと、ゆがいた筍が900円や700円という値がつけられ売られていました。

それにしても、春の景色の移り変わりのはやいこと。つい1週間前まで満開だった桜の木が、もう青々と若葉の衣に着替え始めています。田んぼにも蓮華の花が美しく咲いています。あまりに美しいので近寄ってみたら、右京区民のための蓮華を摘む会というのがあり、その会のために手入れされている畑があちこちにありました。普通の田んぼの蓮華より2倍ほどの高さに成長し、ゆらゆら風に揺れていました。