お気楽さんぽ

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2014年7月6日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #14 きぬかけの径 ●●

今回の道は、裏道ではなく、堂々とした表の街道ですが。昔風に言えば、一条通の西のほう。今風に言えば、「きぬかけの径」として観光マップに載っています。東は(北は)金閣寺から、立命館大学、竜安寺の横を通り、仁和寺、福王寺へと続きます。この福王寺の交差点からは高尾ルートと、広沢の池や大覚寺・嵐山方面へのルートに分かれます。
観光ルートのメインルートの一つですが、日本人は自家用車かバス利用が多いようです。それにくらべ、外人たちはよく歩いてはります。仁和寺~竜安寺~金閣寺は歩く観光にぴったりの道なのです。
金閣寺の裏の山を衣笠山といいます。その昔、貴族たちがこの山に絹をかけて、金閣寺から冬景色の楽しんだという話もあります。そうしたお話からの「きぬかけの径」なのでしょう。
写真は竜安寺の西のほう。このあたりには古くから「山猫」という茶店があり、時々映画で見かけます。近くには映画人が多く眠る墓地もあります。
この道をクルマで通るのが好きです。多少遠回りでも、よく通ってます。四季の変化がすごく楽しめるのと、かわいい外人の女の子に手を振れるからです(ウソです)。最近は散歩コースにもなっています。金閣寺から仁和寺まで歩いても30分くらいでしょうか。「京都マラソン」のコースにもなっています。ずっと上りがつづく、過酷なコースではあります。


息を吸う 枇杷の葉ひかる 雨あがり



2014年3月16日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #13 大沢の池の小径 ●●

この小径は、日本最古の庭池といわれる、大覚寺の大沢の池をぐるっと回る、池の小径。お堂のあるあたりは鬼平など時代劇の撮影でもおなじみ。和歌に詠まれた「名古曽の滝」跡は、この写真の奥の方に。これで滝ってゆうの?というくらいの小さな石組み、もう水も流れていません。この辺りの芝生ゾーンでは、野生の猫たちがわがもの顔でのし歩いています。
池にはぐるっと桜の木が植えられていて、それは美しいのですが、その時期だけは300円か500円の有料となります。桜の堅いつぼみも、やや大きくふくらんできたでしょうか。ぶらぶらと池の周りを歩く、という観光客は少なく、もっぱら近所の人のお散歩コース。私の家からも往復1時間半くらいのちょうどいいコースです。嵯峨野は広く、大覚寺まで来る人はリピーターの観光客なんでしょう。ちょっと前までは、ここまで走って帰って30分というコースでした。最近は走る気力もありません。
この池から流れる水が、有栖川となり、鹿王院や車折神社のあたりを流れ、桂川の方へ合流していきます。


重なりし 池めぐる影 猫の恋


2012年8月26日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #12 愛宕古道 ●●

「嵯峨野の裏道」を書くのは、2年ぶりくらいです。サボってました。そして今回の道は、裏道ではなく、堂々とした表の観光街道です。休日のお昼には観光客がいっぱい。嵐山から化野念仏寺に向かう、愛宕古道(あたごふるみち)です。釈迦堂(清涼寺)から、落柿舎、二尊院、祇王寺、化野念仏寺、鳥居本を抜け、清滝から愛宕山の愛宕神社へむかう古道です。
昨日この道を歩いたのは、この古道に沿って1.5kmほど行灯が灯される「街道灯し」があったからです。地蔵盆にあわせた、この2日間だけの行事とか。嵯峨美の学生や、近くの小学生たちが描いた行灯やオブジェが楽しめます。鮎で有名な「平野家」さんのあたりは人が多かったけど、全体に人が少なく感じられたのは、この行事が知られていないから?それとも、ちょっと時間が早かった?
昼間は人とお土産屋さんでいっぱいの嵯峨野観光のメインルートも、夕方は閑散。こうした行事がなくても、夕方にこの古道をそぞろ歩くのもいいみたいです。帰り道、近くの小学校では盆踊りが始まろうとしていました。

2010年8月29日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #11 仁和寺の裏 ●●


御室桜で有名な仁和寺の裏に、瓦を重ねた土塀の美しい道がある。春には聾学校の桜並木からの花びらが、降りそそぎ、道も真っ白に。そして夏は、熱い陽ざしを避け、がんがんに冷房を効かせた車で仮眠する、タクシーの運転手さん達の隠れ道だ。この道を西へ進めば、御室八十八ケ所めぐりへもすぐ。道を後ろに戻れば、しょうざん方面へ抜ける峠道へつながる。

金閣寺や竜安寺から、きぬかけの径(一条通り)をぶらぶらと歩いてくる観光客も多いが、さすがこの横道に入っていこうと思う人はいないようだ。御室のこのあたりは大きな家が多く、生け垣なども手入れされており、さんぽしていても気持ちがいい。ときどき、京都が舞台のサスペンスドラマなどで使われることもある。



2010年4月3日土曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #10 双ケ岡 ●●●


吉田兼好が居を構え、つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかったのはこの双ケ岡のふもと。南は花園の方から北の仁和寺まで、一の丘、二の丘、三の丘と、三つの丘がおまんじゅうを並べたように連なっています。いちばん大きい三の丘の頂上には古墳の跡もあり、眼下にはほんのり桜色の仁和寺が見下ろせます。三つの丘を登り下りしても20分ほど。山の上のひらけた林では、昔はよく時代劇の撮影をしていましたが、さて最近はどうでしょう。
そして写真の小径は、丘の東麓に整備された道。途中には公園があり、太極拳をするグループ、お弁当をひろげる家族連れ、バドミントンする大学生や、お花見をするホームレスの人たちなど、いろんな人たちに愛されています。兼好が「徒然草」を書いたといわれるお寺もこのすぐ左手に。道を仁和寺とは反対の南に歩けば、西行桜や蓮の花で有名な「法金剛院」もすぐ近く。最寄り駅は、JR嵯峨野線の「花園」駅か、嵐電(らんでん)の「御室」駅です。

2009年9月30日水曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #9 竜安寺辺り ●●●


どこやったかなぁ~ここは。メモもせず、気ままにシャッターを押すからどこかわからなくなる。多分、竜安寺をずっと南に下がってきた辺り。西に真っすぐ行けば仁和寺へ行けますという道を、ちょと入ったところの小径だったと思う。知らずに歩いていると、大きな家の玄関に続いる様子。お店でも何でもなく、普通の家。この道はもう、敷地に入ってしまっているのだろう。

こうした道に迷ってみるのも、お散歩のお楽しみ。きちんと手入れされた生け垣を維持するのは、どれくらいかかるのだろうなどと考えながら歩く。この辺り、昔からの豪邸が多く、何十年も変わらない露地、大きな家の間を歩くのが楽しい。ところが最近は、大きな敷地が持ちこたえれられなくなったのか、豪邸が潰されマンションに変わったり、分譲住宅が建てられていく。
個人が、古い建物を、古い佇まいのまま残していくのは難しい。

2009年7月12日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #8  大映通り ●●●


京福電鉄・嵐電の「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」と「太秦(うずまさ)」の間、三条通りの一本南を走る道を大映通りと呼ぶ。ちょうどまん中に十字路が有り、南へ行けば大映へ。北へ行けば東映へ。また、帷子の辻には松竹があった。文字通り日本のハリウッドであった。
写真のように街路灯が、撮影カメラにデザインされていてかわいい。いつからこうなったか知らないが、多分、この商店街の町おこしが十年くらい前から「太秦キネマ」を合い言葉に盛んになり、その頃からなのだろう。

この辺は、ワタシの小学校の近くでも有り、友だちも多く住んでいた。月に2度くらい、夜店が並び、たいそう賑わっていたのも遠い昔。浴衣を着てお出かけしていた。貧しいような、豊かなような時代。縁日の日は、けっこう夜遅くまで子どもの声が響いていた。
学生の頃、商店街には2軒のパチンコ屋があった。岡っ引きのような兄ちゃんや、スリのお姉さんのような人が時代劇衣装そのまま、ドーランそのままで、パチンコをしていた。わがままなスターさんや監督さんのおかげで、理不尽な時間ツブシでもしていたのだろう。

2009年5月3日日曜日

●●●  嵯峨野の裏道 #7  千代の古道  ●●●


平安時代の貴族たちが、都から嵯峨野へと遊行した道、と伝えられている「千代の古道」。常盤・鳴滝辺りから音戸山という小さな丘を通って大覚寺をめざした道とも、梅宮大社辺りから大覚寺へ向かう道とも云われています。一つの道の名ということではないのかもしれません。今でも、あちこちにこのような「千代の古道」の道しるべが建てられています。
「嵯峨の山 みゆき絶えにし 芹川の 千代のふる道 跡はありけり」 在原行平 (後撰集和歌集)
など多くの歌人に詠まれた道のようです。
この写真の辺りは、昔はまだ土の道が残っていて、野菊やタンポポといった野の花が似合う道でした。東映の時代劇華やかなりし頃は、撮影所の近くに東映の馬場があって、そこのお馬さんたちがこうした道をポックリポックリ、ウンチしながらお散歩されるのでありました。田んぼからお仕事帰りのウシさんたちもポタリポタリ、家へ汲み取りにいったお百姓さんのリヤカーも通ったりしていて、昔はなかなか匂いの濃い生活をしていたのだなと思います。
千代の古道も多くは、バスの通る道になってしまいました。この写真の近くには、昔の御池通りのケヤキ並木のケヤキたちが、余生をゆっくり過ごしている一画もあって、そこは雑木林のような風格を漂わせています。

2009年3月28日土曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #6 映画人の鳴滝村  ●●●


大映、東映、松竹や独立プロが林立していた映画の都、太秦。その北に位置する「鳴滝」に、多くの映画人が住んでいた。70年代のコマーシャルの世界に原宿セントラルアパートがあったように、漫画家たちにときわ荘があったように、戦前戦中の時代劇映画の中心に、若い映画人が集う梁山泊のような場所があった。ウィキペディアによると<脚本家の八尋不二、三村伸太郎、藤井滋司、監督の滝沢英輔、稲垣浩、山中貞雄、鈴木桃作、助監督の萩原遼の8人が「鳴滝組」を結成した>とある。そして、「梶原金八」というペンネームで数多くの映画の脚本を共同執筆していた。
嵐電「鳴滝駅」周辺から、音戸山辺りに多く住んでいたようだ。音戸山といっても地図では一条通りの北にあるが、地元ではもっと手前の丘を音戸山と呼んでいる。この写真の道をまっすぐ行くと山田五十鈴や稲垣浩、杉狂児の家が。左の道を音戸山の方へ行けば、市川雷蔵の家や山中貞夫の家が、そして山の上には鳴滝組が集まっていた家があったらしい。手前の駅近くには、八尋不二らが住んでいた。もう古い話なので、そのまま家が残っているとしても数少ないだろう。
この踏み切りの右手、電車に乗って次の「福王子」の方へ行けば、ちょっと有名な桜のトンネルがある。夜桜のシーズンには車内の照明を消して、徐行してくれる。

2009年3月7日土曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #5 映画村の中の道  ●●●


広隆寺の東を抜け、太秦映画村を突っ切る道。まだこんな地道が残っていたりします。ここは地元の人しか通らない、車も通れない道。道沿いの幼稚園の子どもたちの声と、幼稚園で飼っている鳥たちの鳴き声が聞こえるくらいの静かな道。昔は東映の時代劇のオープンセットのまん中を通っていたけれど、今は映画村のまん中を突っ切る道。映画村の見物人が多いときは人混みに紛れて映画村に入れたりしますが、「ちゃんと見張ってるぞ」「ズルは許さないぞ」とアルバイトの兄ちゃんが座っています。一目で地元の人でないとわかるこの人たちは、「どこに行かれるのですか?」と兄ちゃんに聞かれるな、きっと。
今は電柱が立っているけれど、昔はこんな写真の塀沿いで、お手軽に時代劇を撮影したりしていたのです。道を進んでいくと、右も左も映画村。入れなくても、撮影用の樹脂で出来た仏様や岩石などがごろごろしていて、映画づくりの裏側を覗くことが出来ます。
さらに北へ上がると、JR山陰線の線路と交わります。まだ国鉄だった頃は、小学生たちが踏み切りに置き石をしたりして、学校でこっぴどく怒られていた時代もありました。今はJR嵯峨野線と呼ばれ、線路も高架になってしまいました。

2009年2月22日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #4   庭師の道  ●●●


嵐電(らんでん)の鳴滝から、広沢池方面へ歩く道に植木屋さんの敷地が連なっている。敷地の中には売られていくのを待っているさまざまな木々が植えられ、庭石、石灯籠などが道に沿って並べられている。昔から、京都でも名のある庭師たちの敷地がこの辺りに多いのだろう。1キロ以上もこうした庭木の中を歩ける道がつづいている。
多くの土地は、新しい家が建ったり、コンビニが出来たりと変化が激しいが、この道の周辺は20年たっても40年たってもあまり変わらない。「あまり」というのは、多少はアパートなどが建てられていて、庭にお金をかける人が少なくなったことを思わせる。私の家でも昔は植木屋さんに庭の木の手入れに来てもらっていたが、家を建て替えてからはそんな庭の木もなくなった。最近の都市部では、庭のある建て売りそのものがなくなっているのだ。
季節、季節、花々の色や香りが、散歩する人たちを楽しませてくれ道だが、残念なことが一つ。カーナビの進化のせいで、渋滞の幹線道路を避けて通る車が増えたことだ。

2009年2月8日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #3  大悲閣(千光寺)へ


嵐電(らんでん)「嵐山駅」の方から渡月橋を南に渡り、川に沿って川上へと歩いてゆく細い道がある。この先にはモンキーパーク岩田山への登り口などがあるが、よほど時間のある観光客しか歩いていない。ほとんどは散歩する地元の人たちだ。
左手には山が迫り、右手には千鳥ケ淵など深い川に挟まれた小道だ。川に沿って、少々のアップダウンを繰り返しながら、ボートに興じる人たちや保津川を下ってきた船などを眼下に眺めながら歩いていく。
渡月橋から見るパっと視界が開けた嵐山ではなく、川を上るにつれ両側から山が迫り川幅も狭くなり、嵐峡という感じになってくる。突きあたりといってもいい嵐山温泉「嵐峡館」まで40分くらいか。まだ、時間と脚力に余裕があれば、その上の大悲閣(千光寺)へと足を伸ばしてみたい。「嵐峡館」の横を通り、山の中腹にあるお堂へと上がっていく。
登りはちょっときついけれど、20分も登れば見晴らしのいい景色が待っている。「花の山二町のぼれば大悲閣」という、芭蕉の句でも知られているらしい。目の下には保津川、目を上げれば京都の町が広がっている。この大悲閣までは登れる時と、門を閉ざしている時がある。要注意を。写真は亀山公園から見た大悲閣、下に嵐峡館。

2009年2月1日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #2   有栖川辺り ●●●


嵐電の「帷子の辻」駅から「嵐山」にかけて、三条通りは多くの製材所が並んでいる。平安京をつくる頃から、桂川を利用して運ばれてきた木材が、この辺りから都へと供給されていたのだ。
この写真の道は、三条通りから一本南の東西の通りになる。嵐山へつながる三条通りが商売の玄関側なら、こちらは製材所の作業場側。桂川に流れ込む小川に沿って、木材置き場を結ぶ細い道が続いている。
昔は土日関係なく、製材所の木材を切る音が響いていたが今はどうなのだろう。少なくとも休みの日は製材所もお休みのようだ。木の家が少なくなり、足場などに木を使うこともなくなり、製材所の数は激減している。そして製材所の敷地は、マンションやスーパーに貸し出されているようだ。
「らしい」風景が少しづつ失われ、特長のない建物が建っていく。あたりに漂っていた木くずのニオイも懐かしい。この辺りは嵐電の「有栖川(ありすがわ)」駅に近いところ。ちなみに、この写真の小川と合流する有栖川を北へ辿っていけば、大覚寺の方へつながっていく。

2009年1月25日日曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #1   広沢の池あたり ●●●


広沢池から大覚寺大沢池へと歩く道。この写真は秋だが、落語の「愛宕山」で、蓮華たんぽぽが花盛りのなか、『その道中の陽気なこと』と春一色の景色の中を歩くのは多分この辺りのこと。道をたどると、目の前の大覚寺を抜け、清滝から、後ろにそびえる愛宕山へとつづく。この辺り30分も歩くと嵯峨野の風情いっぱいなのだが、観光客の姿はあまりない。こうした嵯峨野を歩くほうが、お土産屋さんが並ぶ道を歩くよりはるかにいい旅が出来ると思うのだが内緒にしておこう。春一色の写真を撮ったら、またアップします。

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このブログのテーマの一つとして「嵯峨野の裏道」を紹介していこうと思います。時間のある、天気のいい日。京都に来たならこんな道を散歩してみたら、という裏道紹介です。嵯峨野だけに限定するとタネがつきそうなので、嵯峨野以外の裏道もおまけとして紹介していきます。アルバムも充実させていこうと思います。