街を歩こう。山を歩こう。嵯峨野を歩こう。旅を歩こう。維新を歩こう。映画を歩こう。

月に一・二度はフェアウェイも歩こう。お気楽な日々を、お気楽に記録していこう。

お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2017年6月25日日曜日

天まで続く道ばかりだ


北海道へ行ってきた。10日ほどのあいだに2,500kmほど走った。写真は知床へ行く途中にあるドライブ・スポット「天に続く道」のいちばん高い場所。観光バスも立ち寄っていた。

北海道の道はこうしたまっすぐな道が多い。話には聞いていたが、そんな道ばかりだ。しかも皆けっこう飛ばしている。地道で7080km。おかげでどこへ行くにも予定より早めに着けた。スピード違反の取り締まりなんて気配もなかった。ちょっと森にはいると『動物飛び出し』の標識に。おもわずアクセルを緩めたけれど。
鹿がひょいとガードレールを飛び越えて道に出てきたことも、パーキングエリアでキタキツネが寄ってきたこともあったので、動物事故はそれなりに発生しているのだろう。

クルマの台数も少なくて気持ちがいい。京都でいえば5月はじめくらいの気候。いろんな若葉が美しい「万緑」の景観。しかも、ほとんど広葉樹。ずっと、地平線や大きな空を見ながらドライブしていた。大都市・札幌へ高速道路を降りた時、あまりのクルマの多さと近さに戸惑ってしまった。



見えずとも ヒグマに見られし 夏の五湖





2017年4月25日火曜日

廃線の道、桜道


今年の花見はハイキングが多かった。元気なうちにしっかり歩いておこうという気概だ。ほぼリタイアしたので、お天気だけ気にして、平日に行ける。この旧福知山線の廃線ハイキングは前から歩いてみたかったところだ。

今はもう使われていない鉄道線路跡がハイキングコースになっている。横を流れているのは「武庫川」だ。多くの人は宝塚の次のJR「生瀬」からJR「武田尾」へ向かって歩く。僕らはクルマで「新三田」まで行き、JRで「武田尾」まで乗って、逆コースでハイキング開始。コース沿いの桜もきれいだが、山桜があちらこちらに咲いていて美しい。トンネルあり鉄橋あり。枕木の上を歩く楽しみもある。鉄路跡の穏やかなハイキングコースなので高年齢者も多い。

このコースのもう一つのお目当ては、水上勉「櫻守」のモデルになった笹部博士のサクラ演習林である「亦楽(えきらく)荘」だ。園の入り口がコース沿いにある。急な斜面を登っていくのでみんなが行く訳ではないが。
ぽってりとした花びらの「御室桜」に似た「笹部桜」を探したが、御室と同じでまだ少し早かった。二、三輪咲いていたがほとんど蕾だった。
桜が多いということは、紅葉シーズンが美しいということ。また、ぶらぶら歩いてみたいハイキングコースだ。



赤さびの鉄橋わたれ花の風 (鯛風)


吹きあげし花つもりたり上千本




2017年4月1日土曜日

さよなら、メガーヌ


2004年9月から乗っていたルノー・メガーヌをついに乗り換えることにしました。13年目。2000ccのエンジンの調子はいいし、デザインは大好き。でも、もうすぐ車検。ディラーの整備の人と話をしていると、これから結構修理にお金がかかるかもという話。
今まで故障は多くはないけれど、同じ所が壊れたり、部品が高くついたりと、国産車じゃない不便もあって。しかもハイオクで、リッター9kmほど。年金生活の素浪人なれば贅沢は許されないと、決断したのでありました。

「ごめんね、メガーヌ」でもあります。今までのクルマはスキーに行ったり、蟹を食べに行ったりと長距離ドライブが多かったけれど、管理職になってからは長期休暇もなかなかとれず、あまり長距離に連れて行ってあげられなかった。半分リタイアしたような最後の2年間は九州や四国や軽井沢に行ったけど、それくらい。ゴルフではいろいろ行ったけど近郊だから。1日600km運転しても全然疲れない、いいクルマでした。


最近のクルマの進化は早くて、衝突回避のスマートブレーキは常識に。その他あれもこれも、いろんなセーフティ機能を装備。年寄りの事故が多い昨今、クルマのサポート技術もなかなかのものです。しかもハイブリッド中心になってきて燃費競争も熾烈。オサイフにもやさしくなっておる。このへんで新しいクルマに乗り越えておかないと、技術についていけないという気持ちもありました。
新しいクルマでは、素浪人月影兵庫のように、あっちへふらふらこっちへふらふら、長距離にもお気軽に出かけようと思います。



今朝芽ぶく  死ぬふりうまし  ハイビスカス(鯛風)




2017年2月20日月曜日

いきなりそれはないだろう。


今年のブログは2月も終わる頃になって初めて書いている。穏やかないいお正月を迎えたつもりだったが、5日頃から3週間くらいの間に次々と近しい人たちの訃報が届いたのだ。

はじめは奥様からの寒中見舞いで知った友人の死だった。昨年の12月30日に亡くなっていた。年末年始のこともあり家族だけでお葬式をしたらしい。中学高校といっしょに通った仲間で、麻雀もスキーもいっしょに始めたような友人だった。みんなリタイアしはじめて、久しぶりに呑み会やろうといっていた矢先だった。

正月があけ会社に行くと会社の社長の訃報を聞く。元旦のことだったらしい。こちらもお正月なので、家族葬で送られたらしい。つい先日ホテルで「お別れ会」があったばかりだ。社長は高齢で(まだ77歳だが)病院での検査入院を繰り返していたが、元気に出社もしていた。

23日には元会社の後輩で、自分でデザインスタジオを経営していた友人が亡くなった。日頃から人一倍健康に気をつけていたのに。年に1・2回はゴルフに行く友人だった。やりかけの仕事と、まだ若い奥さんが残されてしまった。
その3日後くらいに、「初」のおばあちゃんが亡くなった。昔からずっと最近まで通った飲み屋のお母さんで、いろいろかわいがってもらった。京都に遊びに来た時、偶然にばったり会ったことが三度もあった。老人ホームに入ったことは聞いていたがまだまだ元気そうだった。


こういうことが続いて起こると、ご自宅に行ったりお葬式に行ったりと、スケジュールに追いかけられるだけで人生の空しさをゆっくり感じることもない。
65歳でリタイアしていきなり第1ラウンドでボコボコに打たれて膝を付いてしまった。けっこう歳をとってきたということか。この話は、もう終わりにしよう。


2016年12月31日土曜日

見つかったSPレコード


まだ幼稚園の頃、家に蓄音機があった。モノラルの大きなスピーカーと一体化した蓄音機で、木綿針よりも太い針で鳴らす。レコードは、LPの大きさなのに、1面1曲。回転数も書かれてない。多分SPと呼ばれる78回転のレコードなのだろう。真っ黒でカーボナイトのような感触。厚さも4mmはありそうで、ずっしり重い。

映画のカメラマンだった父はレコードを、映画フィルムの缶に入れていた。フィルム一巻の直径と、レコードはほぼ同じ。10枚ほどのレコードがひと缶のなかにすっぽりと収まるのだ。35年ほど前、家を建て替えた時にそのレコードは紛失したと父もボクも思い込んでいた。ところがこの前、押し入れの奥深くまで整理していると分厚い袋の中からそのレコードがふた缶見つかった。

いちばん古いのは1947年にヒットしたというアル・ジョルソンの「Anniversary Song」だろうか。「お楽しみはこれからだ!」のセリフで有名な、世界初の長編トーキー映画「ジャズ・シンガー」の主演俳優だ。その伝記映画「ジョルスン物語」の挿入歌がこの「Anniversary Song」らしい。プレーヤーのあった時にはレコードが見つからず、レコードが見つかった今はプレーヤーがない。でもなんと、アル・ジョンソンの「Anniversary Song」はYou Tubeで聞くことができた。

父のレコードは映画にまつわるレコードが多い。なかでもビング・クロスビーものが多く、クリスマスの楽曲が多いようだ。小さかったボクは映画を見に行った「黄色いリボン」のレコードが好きで、何回も聞いていたような記憶がある。

ということで2016年も大晦日。今年もおつきあいありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。



ジングルベル 音凍らせて 四十余年


黴の匂い 錆の匂い 冬の音  (鯛風)



2016年11月21日月曜日

もう一つの「ジンジャーエール」



万平ホテルの続き。メインバーのバーテンダーさんとの話は、レーズンバターから始まった。最近これをオーダーする人は珍しい、らしい。「都市のホテルのバーではメニューからなくなってきてるらしいですよ」とか。それにしても万平ホテルのバーのそれは、1本まるごと切ってくれるのでグラスに山盛りになっていた。


ここの名物は「ジンジャーエールなんですか?」と聞くと、「あぁそれは、カフェテラスの方の名物です」といわれた。「甘いですよ」とも。「甘いジンジャーエールが多いですね、甘いのはあまり好きじゃない」というと。「そうでしょ。辛いジンジャーエールってなかなかないんです」と話しながら、オーダーしたジントニックを作ってくれた。そしておもむろに「私のジンジャーエールのレシピ差し上げましょうか」と言ってくれた。
「このジンジャーエールをいつもバーで出しているわけではないんですが」という特別裏メニューらしい。「鷹の爪を入れるところがミソです」。このコピー一枚が今回の旅行のいちばんのお土産かもしれない。


その「ジンジャーエール」を帰ってから早速作ってみた。
水200ccに対して、生姜100g、三温糖70g、蜂蜜10g、グローブ4ヶ、鷹の爪1~2本、シナモンスティック1本、レモン1/2、塩ひとつまみ。
●生姜を皮の付いたまま擦る  
●レモン以外の材料を鍋にかける  
●弱火で20分火にかける。たまにかき混ぜる。沸騰させないこと(スパイスの香りが飛ぶから)。  
●漉す  ●氷水で冷ます  
●レモンをしぼる
●原液1に対し、炭酸水は4    
※賞味期限1週間 
多く作ったら冷凍庫で保存する


最初なので400ccを作りました。漉す時は、茶こしの上に緑茶のティーバッグをのせて使用。なかなかスーパードライな「ジンジャーエール」の出来上がりです。夕食の時「ジンバック」にして飲んでみましたが、ジンの味より強烈なので、炭酸を多めに入れて薄めました。風邪に効きそうな「ジンバック」でした(写真は冷蔵庫の氷で、美味しそうでないですが)。



夜の湖 凛と立つ鹿 バーの絵に (鯛風)


ぐつぐつと 好奇心煮る 長き夜




2016年10月23日日曜日

あこがれの万平ホテルへ


 旧軽井沢の旧い別荘地には垣根がありません。浅間山の焼石を50cmほど積み上げ、敷地の境界線を示しているだけ。そしてこの地は苔の生育に適しているのか、どの庭もしっとりとした苔に覆われています。そうした別荘地の間を、縫うように個性的な小径がつながっています。そうした小径の一つ「万平通り」の突き当たりに「万平ホテル」が建っています。前から泊まりたいと思っていたホテルです。

「軽井沢・万平ホテル」のメイン・ダイニングには二つの大きなステンドグラスがありました。
一つは浅間山を背景にした大名行列を描いたもの。中山道を行く大名行列は、時代劇「一路」のようです。このホテルの前身が軽井沢宿の旅籠であったことを教えてくれます。そうそう正面玄関の上にも亀のステンドグラスが。昔の旅籠「亀屋」のシンボルです。


そうしてもう一枚のステンドグラスには、浅間山山麓でゴルフやテニスや競馬やドライブを愉しむ人たちが描かれています。日本のリゾート避暑地として早くから愛されてきた軽井沢。その社交の中心の場、ホテルライフの幕開けの時代が描かれているのでしょう。

泊まりたかった「アルプス館(現存している一番古いホテル棟)」は人気で予約不可。廊下続きの「アタゴ館」に。部屋は古く、すごく清潔とはいえません。それでもこの部屋から10室ほど向こうには、J.レノンが亡くなるまでの数年間、夏を過ごした128号室もあります。彼がどうしても譲ってほしいと言っていたピアノも記念室に置かれていました。クラシックホテルにはいろんな時代の空気が重なりながら流れています。


ホテルに泊まるということは、Barに行って呑むということ。食事前に1時間、カウンターに座りました。このBarのなりたちとかの話も聞けましたが、なんと言っても収穫は「万平ホテルのジンジャーエール」のレシピをゲットしたことでした。この話は一度レシピ通りに作ってからまたブログにアップしたいと思います。




ガラス絵の 浅間の仲間と 長き夜   (鯛風)


朝霧に 文士の影見た かくれ径





2016年9月19日月曜日

嵐電に「撮影所前」駅ができた


その新駅は突然あらわれた。今年の初めに工事が始まり、4月にはもう開設されていた。嵐電・北野線の「帷子ノ辻」駅と「常盤」駅の真ん中だ。
「帷子ノ辻」駅を発車して15秒くらいで着いてしまう、ギネス級的に駅間が短い新駅。でもこれが観光客にはなかなか便利。今まで「帷子ノ辻」駅から結構歩いていた映画村まで200mほどで行ける。JR嵯峨野線の「太秦」駅も5分という近さになった。

しかし「撮影所前」とは大胆な駅名。本来なら「東映撮影所前」なのだ。「松竹」は怒らなかったのかな。このあたり昔は日本のハリウッド。「大映」「東映」「松竹」その他、小さな撮影所もいろいろあった土地。
「大映」はなくなったが、「松竹」はまだ健在。といってもテレビの時代劇は激減し、元気のいいのは「忍者」が外国人に受けている東映映画村だけだ。

松竹の名画「蒲田行進曲」で、銀ちゃんが階段落ちをしている時に、産気づいた小夏が駆け込んだ病院。雪の降る夜、踏切のシーンを覚えている人も多いだろう。そのシーンを撮影した病院の前にこの新駅はできた。「川端病院」も今は、JR「太秦」駅前に移転してしまったけれど。

単線の駅というのも珍しいでしょ。上りと下り、停車した電車の反対のドアが開くだけだ。最近の嵐電は観光客が増えて財政的に余裕ができたのか実行力がスゴイ。「やってダメなら元に戻そう」的な発想で大胆な改革をどんどん進めている。



秋しぐれ 銀幕の中 恋人たち 



2016年8月29日月曜日

とがった鉛筆は好きじゃない


芯の先が、少し丸いくらいがいい。細かくいうと丸くなりかけた頃が好き。天の邪鬼なのだ。「鉛筆占い」なるものがあったなら、優柔不断・だらしない・協調性がないなどと言われるのだろう。その通りなのだが。

カリカリと小さな文字を書いていく作業になじめない。ノートの罫線やマス目を無視して、斜めに書いたり、大きく書いたり小さく書いたりしていたい。軟らかい鉛筆で大きな字で、余白もいっぱいに残して書いていく。人は「ミミズがはったような字」という。でもそれで、テストが減点されたことはない。


とがった鉛筆が好きな人はきっと「2H」とか「3H」の硬い鉛筆が好きなのだろう。小っちゃいきれいな字が並んだノートが目に浮かぶ。優等生のイメージ。字がきたないボクは、軟らかい鉛筆で滑らすように書いていく。そもそも小学低学年の文字練習用の、芯の太い「かきかた鉛筆」が好きだった。「B」だったと思う。

高校生の頃は「F」を愛していたが、その後「2B」が好きになった。
「2B」は新聞記者が記事を書く鉛筆と聞いたせいだ。コピーライターも「2B」を使うと聞いたが、まわりのコピーライターはどちらかというと万年筆にこだわってる人が多かった。
コピーライターの文字は独特で、原稿用紙のマス目にきちっとおさまるような丸い文字を書く。字の汚いボクはこの方がありがたかった。が、デザイナーからは汚い文字といわれつづけた。文字が汚くても中身で勝負!これで押し通してきた。

写真のペンシルは「スタッドラー」。芯を削る芯削りが頭に付いている。これでアバウトに削って書いていた。ずいぶん長い間お世話になっていた。この「スタッドラー」はそもそも設計士の人たちが、長く芯を出し神経質に芯を尖らせて図面を描くペンシルだけど、その重さが気に入っていたのだ。ワープロなるものが登場する前の、パソコンなんてまだずっと先の時代の話だけど。



きまぐれに 鉛筆削る 文月の夜


カリカリと 迷い月夜の 削りカス (鯛風)   



2016年8月7日日曜日

露地歩きは好きだけど


あ~、すっかりご無沙汰してしまった。もう夏、真っ盛り。
この3カ月なんやかやと忙しくて、ようやく日々のリズムに戻れそう。

夏のお散歩は朝がいい。水が打ってある石畳などあれば、さらにいい。
鉢の朝顔の花も、濡れている。すでに表通りの日差しは強い。こんな時、露地を抜けて歩けば心も涼しくなる。
こうした露地が京都の町中には多くある。この町の魅力の一つでもあるのだろう。きっと、「京の露地本」というのも出ているに違いない。なにせ最近は若い世代が露地で、お店やカフェや工房を営業するケースも増えてきた。でもボクはこの風潮には断固反対を唱えたい。

使われなくなった「町屋の活性化」も大切かもしれない。そうしないと露地の風景は消えていくのかもしれない。でも露地はお店をするような場所じゃない。先斗町の露地のように、商業の場の露地ならいいけれど。
露地はいわば私道であり、庭である。住人でないものがそこを通る時は、スイマセンお邪魔しますと、ちょっと遠慮して通る場所。誰も彼もが地図片手におしゃべりしながら歩く場所じゃない。おしゃべりしていいのは露地のお地蔵さんを守る住人たちだけだ。しかし世の中は、露地も観光のスポットあつかいで、困ったものである。

昔からある露地のお好み屋さんとかを見つけるとうれしくなるけれど、新しいお店はねぇ、やっぱりダメだ。
というわけで、御所の近くの露地にちょっとおいしそうなお蕎麦屋さんを見つけたのだが、まだ行ってない。お蕎麦もお酒もおいしそうな蕎麦屋なんだけど、なんだかなぁ。
「露地の住人みんながこの露地の活性化を応援しています!ステッカー」でも露地の入り口に貼ってあれば、こんなお店も入りやすいんだけど。



溶け出した アスファルト濡らし 雨走る  


日光写真に焼き付けた 露地の夏  (鯛風)