お気楽さんぽ

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2018年10月28日日曜日

台風に傷みつけられた京都



昨日、台風で不通だった叡電の貴船~鞍馬間が開通。この全線開通が間に合わず、今年の22日の鞍馬の火祭りは中止となった。鞍馬寺は山門なども壊れて立入禁止の状態らしい。
9月の台風21号は、京都でも50年ぶりくらいの強烈な風台風となった。台風のとき外を見るとプラスティックか木材か、ひらひら吹き飛ばされている。ちょっと外に出てみれば、吹き飛ばされそうになり、手すりにしがみついた。オソロシイ風だった。


家の近くでは、嵐山渡月橋の欄干がなぎ倒された。平野神社の拝殿が柱が倒れてペシャンコになっていた。植物園では大きな木があちこちで倒れていた。双が丘では、麓の道は歩けるが山に登る道は立入禁止。仁和寺の裏の山の八十八か所巡りも立入禁止。聞くところによると、京都の市街をぐるっと見ながら洛東洛北洛西をハイキングできる京都トレイルも、全面立入禁止らしい。どこも倒木がひどく、その撤去の手が足りないのだ。


今年は茨木高槻の地震もあり、雨の被害もあちこちにあり、そしてこの台風。大阪もそうとうひどかったみたい。呑みに行けば、「お前の家は大丈夫やった?」となんど言い交わしたことだろう。
何もないようでも、瓦がずれたりアンテナが曲がったり、雨漏りがしたり、オツカレサンな年ではあった。
台風26号もスーパー台風らしいが、あれは来週来るのだろうか?







短き日影を跨いでパターする




2016年9月19日月曜日

嵐電に「撮影所前」駅ができた


その新駅は突然あらわれた。今年の初めに工事が始まり、4月にはもう開設されていた。嵐電・北野線の「帷子ノ辻」駅と「常盤」駅の真ん中だ。
「帷子ノ辻」駅を発車して15秒くらいで着いてしまう、ギネス級的に駅間が短い新駅。でもこれが観光客にはなかなか便利。今まで「帷子ノ辻」駅から結構歩いていた映画村まで200mほどで行ける。JR嵯峨野線の「太秦」駅も5分という近さになった。

しかし「撮影所前」とは大胆な駅名。本来なら「東映撮影所前」なのだ。「松竹」は怒らなかったのかな。このあたり昔は日本のハリウッド。「大映」「東映」「松竹」その他、小さな撮影所もいろいろあった土地。
「大映」はなくなったが、「松竹」はまだ健在。といってもテレビの時代劇は激減し、元気のいいのは「忍者」が外国人に受けている東映映画村だけだ。

松竹の名画「蒲田行進曲」で、銀ちゃんが階段落ちをしている時に、産気づいた小夏が駆け込んだ病院。雪の降る夜、踏切のシーンを覚えている人も多いだろう。そのシーンを撮影した病院の前にこの新駅はできた。「川端病院」も今は、JR「太秦」駅前に移転してしまったけれど。

単線の駅というのも珍しいでしょ。上りと下り、停車した電車の反対のドアが開くだけだ。最近の嵐電は観光客が増えて財政的に余裕ができたのか実行力がスゴイ。「やってダメなら元に戻そう」的な発想で大胆な改革をどんどん進めている。



秋しぐれ 銀幕の中 恋人たち 



2015年11月30日月曜日

近所の植木園が消滅していく


鳴滝から嵯峨の方面へ。千代の古道と呼ばれる道もあり、このあたり昔から庭師の家が多くある。庭師の敷地は、いわば木々の畑。さまざまな木々が植えられ、その出番を待っている。大きな自然石もごろごろ置かれ、いろんな形の石灯籠も出番を待っている。なかには、そうとう苔むした石も見うけられる。
こうした風景が2キロほども続くだろうか。四季折々の表情が豊かな絶好の散歩コースであり、夕方ともなると多くの人が往来する道なのだ。地道がアスファルトになったくらいで、昔の面影を色濃く残すこの風景が、今年に入ってずいぶん変わってきた。


今時、植木屋さんという商売は需要がないということなのか。緑濃かった植木園の森がごそっとなくなり、建て売りの住宅地になったり平地に整地されている所が一度に3~4ヵ所も現れた。庭師の人たちが庭師を続けるために泣く泣く土地を半分手放したみたいな風景だ。風情のあった庭師の道のところどころに、ごく普通の小さな建て売り住宅の町ができていく。
僕が小さい頃は、近所の庭師のおじちゃんがローマオリンピックの会場で日本庭園を造りに行くというので、町内会で壮行会を開いたこともあった。その頃はどの建て売りにも小さな庭があって、年に一回は植木屋さんが手入れにきていた。まして鳴滝・御室は邸宅がずらり。さぞかし需要も多かったことだろう。


しかしそうした邸宅街も相続税を払えず売られる敷地が多いらしい。あとには庭のない一戸建てが多く建てられる。マンションに住む人も多くなってきた。ガーデニングは流行っても、植木屋さんの出番はもう普通の家ではないのだろう。考えてみれば、昔の方がずっと豊かな暮らしをしていたのだ。一戸建てにもアパートにも、小さくても庭があった。町のなかには、子どもの遊び場も多かった。
季節の風がちゃんと暮らしの間を通り抜けていく、贅沢な空間のありがたさに気づかなかったけれど。



飛び来ても 休む岩なし 冬の蜂


土あらわ 庭師の夢の 寒き道




2015年2月14日土曜日

電車の中で、梅が咲く


 最近なにかとイベントの多い、嵯峨野のチンチン電車「嵐電」です。この前乗った電車は、「梅電車」でした。「北野天神号」という名でした。もうすぐ北野天満宮の梅花祭が始まるので、そのタイアップ広告電車です。それにしても、各アミ棚には造花の梅が飾られ、中吊りの広告の代わりに梅の写真がかけられ、観光客感激のしつらえになっています。香りのないのは残念ですが、広告効果は満点です。

このアミ棚の梅は八分咲きといった風情ですが、実際の梅は六分咲きか七分咲きの頃がいいですね。全部咲いてしまっているのは色っぽくありません。咲きかけの蕾のほうが、いい香りしますしね。


梅の花は、カラカラになっても枝についているので、やはり、若い頃が旬。早めの梅見物がよろしいようです。家の近くの梅名所には、この北野天満宮をはじめ、大覚寺、梅宮大社などがあります。


梅が咲けば、もうすぐ春。冬のあいだ暗い場所で育てていたクロッカスも、根をいっぱいだし、今は窓辺でぐんぐん大きくなっています。テラスのほうでは、プランターの中で、チューリップや絹さやが芽を伸ばしてきています。こんなに春が近くなってきてるのに、今週末はまたも寒気団到来。今朝はまた、雪がうっすら積もりました。やれやれ。



ポケットに 隠れてた春 顔を出し



2014年7月27日日曜日

やっと、堂本印象を見に行く


この前紹介した「きぬかけの径」の、立命館衣笠キャンパスの前にこの美術館はある。ヨーロッパの絵本に出てくるような真白い、お菓子のような美術館。立命の新キャンパスが生まれたのと同じ頃、1966年にこの美術館は開館した。御室仁和寺や、竜安寺から金閣寺方面へと歩いて行くと突然、緑の丘のふもとにこんな建物が現れる。
いつもは素通りしてばかり。やっと入って、見ることができた。

そもそも「堂本印象」という人の名は、ボクの場合、この美術館から覚えた。その名前といい、この建物といい、てっきりミロのような抽象画の芸術家と思い込んでいた。が、この美術館に行って初めてこの人の初期の作品から見ることができた。日本画家としてのスタート期、寺院などの障壁画の世界、そして洋画の世界から晩年の抽象画の世界へと辿れる。
といっても、パーマネントコレクションのように、堂本印象の多くの作品が見られる訳ではない。普段は季節のテーマに合わせて、京都の作家の作品などを展示している。印象の人気作を多く見られるのは、年末の「名品展」の時だけらしい。

しかし見所は、この美術館そのものだ。もともとは堂本印象が個人で建てた美術館。今は京都府立となっているが、ドアの把っ手も、窓のステンドグラスも、庭のベンチも、館内の椅子も、エントランスの柱もみんな堂本印象のデザインで、印象の童話の世界に入ったような空間だ。今のところ、映画にも、CMにも出てこないから、それほど有名なスポットではないらしい。

時間のある時ふらっと来て、煙草を吸う人は、庭のベンチでゆっくり時間を過ごす。そうした「大人の修学旅行」にぴったりの場所だ。


炎天に くらむがごとし 抽象画

2014年6月7日土曜日

昭和オーラの変なお店見っけ


ぶらぶらしていると、商店街から外れた道に、こんな店があった。周りは住宅街。なに屋さんかな?元は、たばこ屋さん、駄菓子やさん?今もやっているのか、もう閉めたのか。
昔のたばこ屋さんは、ちょっとしたコンビニで、はがきや切手も売っていたし、ノートや週刊誌も置いていた。そんなお店だったのかもしれない。切手の収集がはやっていた小学生の頃は、近くに郵便局ができるまで、たばこ屋さんで記念切手を買っていた。「平凡パンチ」や「F6セブン」や「週刊プレイボーイ」が創刊された頃、ボクたちの年齢では本屋で買うのが恥ずかしく、たばこ屋さんで週刊誌を買ったこともあった。


それにしても、このぺたぺたと貼られたブロマイドの凄さ。昭和のオーラを存分に放ち、なんという存在感。
存在感がありすぎて、周りの住宅の人は困っているかもしれない。もう少しきれいにしてくださいよと、町内会で問題になっていたりして。勝手な想像だけど。

駄菓子屋さんだけでなく、焼き芋を売ってる炭屋兼氷屋さんとか、学校の体操着を売ってる文房具店とか、今にして思えば変な店が多かった。そうした店には子どもたちも集まってくる。町の平和度は、昔の方がはるかに高かったんだね。
それにしてもスゴい。この昭和オーラの変な店、「のどかさ」を通り越して、ラジカルに進化してきたみたいだ。お隣りなら困るけれど、町のどこかにあるのはうれしい。この勝手さが、問題なんだろうけど。



しゃぼん玉 はてな?の店の 屋根こえて


2014年1月18日土曜日

電車がストの日は線路で遊んだ

小学校の時から、嵐電に乗って通学していた。歩けば、片道30分くらい。近所では、電車で通学する子が多かった。
昔は電車がストで運行しない日がよくあった。長いときは3日もストだった。電車の線路が通学路になり、遊び場になった。いつもと違う友だちと、遊びながら帰ったりした。ずっとずっと先の駅まで線路を歩けるのは、ストの日くらいだった。どこまでもレールの上を歩いていく。線路の上の空も広がっていく。映画「スタンバイミー」のあの気分だ。
あの頃、スト告知のポスターはちょっとうれしかった。最近は労使関係の話し合いがスムーズなためか、ストという強硬手段はなくなってきたが。


まぁ、あの頃はストの日でなくても、線路でよく遊んでいた。五寸釘をレールに置いて電車に踏みつぶしてもらったら手裏剣ができた。ダーツのような遊びをしていたのだ。
電車が通る時間は10分おき。次の駅まで、線路を走って行ったりしていた。町内の路地のような道も線路を横切っていた。踏切のない小道がいっぱいあって、大人たちも裏庭のように線路を横断していた。

最近はさすがに柵ができ、線路に入れないようになってきた。まして、線路に入る子供たちの姿などは見かけなくなった。絶対にダメと学校で注意されているのだろう。油がしみ込んだ木の枕木も、コンクリートのものに変わってしまった。


北へ2機 初空裂きし ジェット雲  

2013年10月5日土曜日

50年前から、鏡面文字の看板


嵐電の西院駅前にこの教室はある。中学生の頃にはあったと思う。電車の車窓からすぐ前に見えるこの鏡面文字の看板は、その頃はペンキも剥げていた。けったいな看板、というのが第一印象。なんでも教えるんや、が第二印象。
はじめは、なんて書いてあるか、熱心に見てたはずだ。この看板は、僕が広告の仕事をするずっと前から、広告とはなんぞや?という「問」を発信してくれていたのだ。

昔の看板には、「アコギ」なんてなかっただろうから、きっと教室の先生も息子の代になっているのだろう。こういう世襲もあるんだ。想像だけど。
嵐電で遠足に行く今の小学生たちも、自然とこの看板と向きあうことになる。きっと目の中に「???」が浮かぶことだろう。こういう、ほどよい刺激のある町はいいね。歩いていて、楽しい。

最近見違えるようにキレイな看板になったのは、ギターやなんやかんや、教わるひとが増えたのだろう。高齢者社会のアクティブ・シニア層のおかげだ。家の近くの、カラオケ・サロンも流行っているようだ。お昼から、お茶でも飲みながらカラオケは、これからのシニアのライフスタイルになっていきそうだ。

2013年8月31日土曜日

家の近くで火事があった


家の前が幹線道路なので、パトカーや救急車、消防車がよく通ります。嵐山まで一直線の道なので、お寺が火事となったら、京都中の消防車がこの道に集結してくるようです。
しかも電車の踏切があるので、救急車両も一旦停止。電車が通るときには、お行儀よくサイレンを止めて待ちます。

もう、この感覚にマヒしていたのでしょう。何台もの消防車が家の近くに止まっても気づきませんでした。
よっこらしょと起きた家人が、窓を開けると「焦げ臭くない?」。確かに焦げ臭いし、目の前には消防車が止まってる。表に出て、幹線道路にでたら、もう煙がもうもうとして200mほどは霧のようで、道路の見通しもよくありません。
10軒ほどの西のラーメン屋から、煙が出ていました。火は見えず、煙だけ。お店だけで住人はいないので、けが人もいないようです。後で、回ってきた回覧板によると火の不始末だったとか。

こんな近所で(家にいるときに)、火事があったのは久しぶりでした。不謹慎な。昔、会社の連中と話していた時、小学生の頃に見た火事を(火事の炎の凄まじさを)きれいだと思ったことを素直に言ったら、無茶苦茶、非難されたのを思い出しました。
それにしてもこれくらいの小火でも、大事にいたらぬよう、10台もの消防車が来ていました。

2013年2月8日金曜日

北野神社で「福は内」「福は内」


2月3日節分。どこか面白そうな節分はないかと、「京都手帳」などを見ると、おなじみの北野神社でも茂山千五郎社中の狂言と、上七軒の舞妓さん芸子さんによる踊りがあるらしい。

まずは、前に紹介した「誠養軒」で餃子と焼きそばを食べて、いざ北野さんへ。本殿の東側の神楽殿で行われるよう。1時開演のところ、15分前に着いたが、正面も横もすでに見物客でいっぱいだ。

狂言は北野神社のオリジナルのものとか。菅原道真の舎人をしていた十川能福(そごうのうふく)という人を祀った「福部社(ふくべしゃ)」というのがあり、お詣りすると、招福や金運のご利益があるらしい。その福部社のご祭神である福の神が主人公。
北野神社にお詣りにきた善男善女を深泥池の鬼が襲うが、福の神が出てきて、鬼を払うという「北野追儺(ついな)狂言」。茂山逸平さんもいたが、今日は裏方にまわってかいがいしくお手伝いをされていた。

その後、上七軒のきれいどころ五人による艶やかな踊りが奉納された。きれいな舞妓さん一人と、色っぽい芸妓さんを見っけ。
最後に舞台から、出場者全員や神主さんたちによる豆まきが行われた。福豆も3袋ゲット。
北野の梅ももうだいぶふくらんでいて、こちらのお楽しみもすぐのようです。

2012年11月12日月曜日

使えない! 介護保険の商品券



うちのオヤジは91歳です。家内のお母さんは92歳です。こうした高齢者で、介護の支援とかを受けていないお年寄りに「奨励金??」がいただけるアンケートが夏ごろにあり、10月に京都府の介護保険返戻商品券というカタチで送られてきました。
ここからがお役所仕事のいい加減なところで、実に腹がたつ次第であります。

その「プレミアム商品券」をいただけるのはいいのですが、お年寄りに金券をあげるなら、ついでに地域振興もしてしまおうという浅はかな発想を持ったために、全く使えない「商品券」となっています。

その商品券の失敗(1)
地域振興はいいのですが、その商品券が使えるのはうちの場合は嵯峨野とか嵐山の商店街でしか使えません。健脚のボクラでも歩いて30分はかかるところへ、90以上の年寄りにどうしていて来いというのでしょう。バスや電車に乗るというのも家の者にとってはけっこう心配なのです。
ちなみに義理の母の場合も、歩いて20分以上かかる商店街が指定地域になっていました。

その商品券の失敗(2)
お役所はその商店街や街のお店の種類まで神経を使ってません。うちの対象の嵯峨野や嵐山のお店のほとんどは観光客相手のお土産さんや食堂・レストランなどです。まぁ、日常生活で使えるのはお酒やお茶といったモノくらいでしょうか。せめて、もう少し日常のお買い物ができる店を入れてくれよ。

その商品券の失敗(3)
有効期限は来年1月15日まで。3ヶ月の間に使ってしまえ。早く使わないと期限が切れるよという、年寄りの消費行動を無視した期限であります。

一人35000円ほど送られてきたのですが、そのうち5000円を地域振興で使っていいから、あと3万円はどこでも使えるJTBの商品券にするとかせいよ。それがダメなら市バスの回数券3万分に。それなら金券ショップで売ることもできるし。

うちの場合はオヤジから買ってやることにしました。そうしましたが、どこで何に使うかこれから思案しなければ。義理の母はみんなで何か食べに行こかといってます。
それにしてもお役所仕事の貧困さには、腹がたつ。もう少し考えろよ。「賢い方法でやりました」という顔が見えてくるから、余計腹がたつ。ほんと想像力がないなぁ。

2012年10月21日日曜日

町から地道がなくなっていく



アメリカの絵本で、一面麦畑かコーン畑だったところに家が建ち始め、鉄道が通り、街になり、大きな道路ができ、高速道路ができ、都市になっていくというのがありました。

ボクが住んでいる町もそんな感じです。今住んでいるところにやってきたのは幼稚園に入る前。町内は20軒ほどでした。今でいう新興住宅地。それが今は250軒の町内会になっています。その反面、昔からの住人は歳をとり、引っ越していったり、亡くなったり、家を売られたりして、昔からの住人は残り僅かです。写真のような地道も、京都の街中では、もう天然記念物なのでしょう。

近頃の町が失ってしまったもの= たんぽぽが咲くたんぼのあぜ道。花火が見えた空。つつじや金木犀が薫る庭。となりのテレビの音が聞こえてくるお付き合い。子どもたちの駄菓子屋。夕涼みの床几。道で遊ぶ子どもたちの声。子どもを叱る声。機織りの音。お百姓さんが働く姿。ろばのパン屋さん。リヤカーのお豆腐屋さん。肥取りのおじさん。八百屋さん。お寿司屋さん。うどんやさん。でこぼこ地道。水たまり。水が流れる溝。ポン菓子やさん。修繕屋さん。まだまだあるなぁ。

なんて贅沢な暮らしだったのでしょう。こうして書いていくと、家と家をつなぐ町の道にこそ、暮らしがあったんだと気づかされます。道が「場」ではなく、たんなる通り道になってしまった時から、暮らしの匂いはどんどん薄くなってきているのですね。
さて、新しい町の設計ではなく、今生きてる古い町の中で「昔の道の機能」をどう取り戻していくか。これはなかなか大変な課題だわ。ご近所で昔から(50年以上前から)よく知っていたご夫婦が突然引っ越され、ちょっと感傷的になったのでした。

2011年11月19日土曜日

京都の紅葉はまだまだどすえ

先週は嵐山で「紅葉まつり」があった。渡月橋の上流一帯。雅な平安仕様に飾られた船を何艘も浮かべ、雅楽や能、舞などが演じられ奉納される。出かけた時間がまだ早く、祭りはこれからというところだった。「嵐山吉兆」のすこし奥、船着き場あたりは見物の人でいっぱいだ。

川を舞台にした、なかなか趣のあるイベント。秋の嵐山に来たことがない人は、来年の「紅葉まつり」にはぜひどうぞ。歩いていける釈迦堂の嵯峨大念仏の狂言も、この日は船の上で演じられる。
散歩にいい季節。昨年はコンビニでお弁当とビールを買って、見物しながらお昼を食べたが、今年はさっさと次のお散歩コースに向かった。

紅葉まつりといっても、嵐山の紅葉はまだまだ。写真のように薄らと色づきはじめたところ。嵯峨野のお寺の紅葉もまだまだ燃えるような色にはなっていない。1週間たった今も、まだまだ。家の近くの銀杏さえ、まだ緑の葉のものが多い。高雄や大原は知らないが、京都市内の紅葉シーズンはあと2週間という感じだ。

この土日はあいにく雨。金閣寺にいらっしゃったブータン国王夫妻をはじめ秋の京都を楽しみに来られた観光客にはちょっと残念な空模様だ。今日は一日テレビを見て過ごそうか。とりあえず午前中に散髪に行ってすっきりしてきた。

2011年10月23日日曜日

秋祭りがあちこちで


今朝は朝から家の前の道路を、楠木正成公が御所へ向かった。今日は、時代祭。昨日雨だったので今日に順延された。そして、わが常磐野学区からは楠公上洛の行列が時代祭に加わることになった。
こんなことは記憶にない。あの時代祭のお供の人たちがアルバイトであることは知っていたし、外人さんが喜んでたくさんの人が参加するのも微笑ましく思っていたのだが。
主人公たちのメイン行列は、京都市の各学区の持ち回りだったのか?今まで、そんな話を聞かなかったのは、常磐野にも時代祭の話がくるほど学区が大きくなったということか。それとも新しい時代祭システムなのだろうか。

最近は地域のお祭りが活発なようだ。ほんの数年前までは、氏子のお祭りの参加者を募集してもなかなか人が集まらず、町会の役員を中心にむりやり参加させられていたのに。この頃の若者たちは、地域のお祭りやイベントに積極的に参加するみたいだ。祭りはもとより、運動会などのイベントの動員もスムーズに行っているみたい。
古い町と新しい町がいりまじる、京のややこしい町内にも、積極的な若者の住人が増えてきたのはとてもいいことだ。

地元の小さな祭りにも、路地には屋台が出店されていて、「晴れ」の日感覚いっぱい。法被を纏ったちびっ子たちや、中学生のお姉さんお兄さんたちも太鼓をたたいたり、獅子舞を舞ったり大忙し。1時間ほど散歩する間に、あちこちの町内で3つほどの祭りに出会った。

ところで、楠公の行列は、花園まで30分ほど行列。そこから、バスなどで御所へ向かい、時代祭に参集するらしい。秋晴れの、祭り日和だ。

2011年6月5日日曜日

なんか頑張ってる嵐電なんだ

最近の嵐電はなんだか積極的だ。特別、観光客が増えたわけでもないが、イメージアップ&地元の鉄道としての頑張りように力が入っているのだ。左の写真は「京紫」という色(らしい)で、きれいになった嵐電。これが新しい嵐電のイメージカラーらしく、順次この色の車両が増えていくそうな。はじめは、ゲゲッと思った色だが、少しくすんでくると、まぁいいかと思えてしまうから不思議だ。中のシートも、この色の起毛シートだ。

そして下の写真は、交通安全週間の期間限定か。パトカー色にお化粧したパト電だ。朝なんか出勤の時、幼稚園の子供たちと一緒になるのだが、パト電が来たら、歓声をあげて大喜びだ。
そしてこうした電車に混じって、季節の「梅電車」や「桜電車」、「お化け電車」また、小学生たちの絵を広告スペースに掲載したギャラリー電車などが走っている。

観光のメインの駅は「嵐山駅」だが、プラットホームの「足湯」は何年か前から人気だ。そして最近の夏の定番はプラットホーム・ビアガーデンだ。「帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅」も40年ぶりに、車椅子にやさしい駅にリフォームされた。料金も、旅行者にわかりやすい200円均一になった。この春には、PITAPAも導入された。着々と「もっさい嵐電」から「できる嵐電」へと進化している。
いったい何があったんだろう。

2010年9月23日木曜日

朝早い嵐山をぷらぷら

お久しぶりです。夏バテで、ブログさぼってました。体調は大丈夫ですが、気分的にサボってました。それにしても暑かったわ。9月に入っても猛暑日が続くくらいだから。動けば汗が出てくるわけで、お散歩も、夕方も無理無理。で、土日のどちらかは、朝6:30頃に起きて、7:00くらいから散歩に行ってました。なんぼでも寝られるワタシには、ひじょうに珍しい行動パターンです。


この前の休みは、嵐山に早朝散歩に行ってきました。ワタシには早朝なのです。ひょいと嵐電に飛び乗り、帰りにぶらぶら1時間半ほど歩くコース。朝早い、観光客のいない嵐山がこんなに気持ちいいとは新発見でした。朝の風は清々しく川面を渡り、斜めからの朝の光に川面はキラキラとしています。観光客の熱気も埃もなく、犬たちも自分のテリトリーをゆっくり歩いています。


川舟遊びのボートの上では、白鷺がのんびり川面を見つめています。白鷺は船遊びが好きなようです。このあと、広沢の池の方にまわった時も、白鷺が屋形船の屋根にいました。そういえば、ちょっと前、高台寺の枝振りのいい松のてっぺんで、辺りを睥睨しているような白鷺を思い出しました。日本画を見ているようないいシーンでした。


この日は夕方から鴨川へお出かけ。恒例の維新探検隊の川床宴会でした。武市半平太が上洛した際に泊まっていた「丹虎」という料亭跡で、今は「金茶寮」という料亭。武市の泊まっていた部屋の、南天の床柱にもみじの板を張った床の間は、そのまま残されていました。朝は大堰川、夕は鴨川。体内に残る夏の暑気が、川風に冷まされていくようです。


2010年8月23日月曜日

昔地図を描くべきだと思った

少しずつ、失っていく。思い出の場所が無くなっていくのは致し方ないとしても、記憶まで。幼稚園まで通ったあぜ道も。台風の時、氾濫したドブ川も。雪ゾリで遊んだ坂道も(昔はそれくらい雪が積もったのに)。自転車を覚えた校庭も。いやいや、場所だけじゃない。お花見をした近所の人たちのことも、引っ越していった友だちのことも、顔とか名前の記憶も薄れていく。


これは、いかん。初めての体験ばかりだったあの時代は、笑顔の記憶に満ちている。素敵で懐かしい、あの時間を引き留めておくためにも、昔の家のまわりの地図を描いておこう。記憶が薄れていくものなら、その前に記録しておこう。

と思って、まだやっていない。今ならまだ、家の垣根の佇まいや、町内の道や、家々の隙間に、古い町の面影が残っている。その頃の時代の匂いも思いだせそうなのに。


早く手を付けないと、と思いながら、老後のお楽しみにとっておこうとも思っている。まぁ後でゆっくり出来るだろうと。でもきっとこういうことは、どんどん忘れていくディティールの部分こそが面白いのだろう。懐古趣味と笑われても、楽しい思い出に浸れるなら、宝物のような時間は大切にしていこう。

ところで、Google Earthでも、今の写真ではなく、古い写真の世界をトリップ出来るサービスがあるみたいだ。どういうサービスに成長していくのだろう。年齢を重ねるほど、土地土地への思い出や記憶のレイヤーも重ねられていく。若い人たちより二倍も三倍も楽しめるサービスになるのかも知れない。


2010年2月21日日曜日

こんな嵐電で、通勤してます

毎朝、乗っている嵐電(らんでん)をご紹介します。この電車は、小学校に通うときから乗っていました。「四条大宮」駅から「嵐山」駅への線を嵐山線、途中の「帷子の辻」駅から「白梅町」への線を北野線といいます。
小さい頃は、「白梅町」までではなく「北野」(天満宮の手前まで)が終点でした。市電の北野線が廃止になったのと同じ頃、現在の「白梅町」まで、線路が短くなったと記憶しています。

京都の市電がなくなってしまったので、京都で唯一、車道を走る路面電車です。車の信号で電車も停車します。路面電車に慣れていない観光客はビックリしています。事故が起きそうで、起きない。あまりにもスリリングすぎて皆が気を付けているからでしょう。アブナイのは年寄りで、電車が来ても平気で道を渡っています。

ワタシが好きな電車は、上の写真のレトロな色の電車です。旧い車輌に、塗装や内装をし直して走っています。なかなかおしゃれです。昔は、小学校の校舎のような油びきの木の床でした。その旧さも良かったのですが。

この10年ほどの間に、車輌をラッピン
グして広告媒体にするなど、嵐電も変わってきました。広告ではないですが、源氏物語の絵巻がラッピングされた電車は、中吊りポスターの代わりに絵巻の絵がかかっています。この、水木しげるの妖怪電車は夏の間はお化け屋敷の電車として走ります。乗った子供たちはわぁわぁ泣いているようです。車内灯を消して、妖怪が乗っているのですから、さぞ怖いことでしょう。

昨日の朝日新聞夕刊の「ぷらっと沿線紀行」でこの嵐電が紹介されました。写真は最近走り出した、梅電車でした。網棚などが梅の造花で飾られ、車内は沿線の梅の名所の写真ギャラリーになっています。北野天満宮は今、五分咲きのようです。