もうすぐ、今年の年末くらい? に映画が公開されそうなので、その前に言っておこう。「ボク、タンタンが好きです」。今日のブログの内容はただそれだけです。ベルギーのマンガの主人公です。
髪の寝癖の立ち方がいいです。ステンカラーコートを風になびかせて走っている姿が美しいです。少年のくせにジャーナリストというのがいい。
海の中も宇宙へも、エジプトに行くように出かけていくタフさが素敵です。スヌーピーもいいけれど、主役を喰ってしまわない(でしゃばらない)、ホワイト・フォックステリアのスノーウィがかわいいです。いかにもと云う感じの、個性あふれるとんまな悪役の脇役陣が充実しています。極めつけは、赤白ストライプの宇宙ロケットの勇姿にしびれてしまいます。
日頃、あまりキャラクターものを集めたりはしないのですが、赤塚不二夫マンガの「タイホするー!」のピストルぶっ放す「本官さん」は気にいって、腰ふるフラガールと一緒に車に置いています。本官さんはスピード違反しないよう、サイドミラー横に自戒をこめて飾ってます。そして、文具やカレンダーやマグカップなどでお世話になっているのがタンタン・グッズです。一時は、パソコンのデスクトップもタンタンでした。まぁ、子どもっぽいですが、いい歳しても、これくらいならいいでしょう。
きっと、映画のタンタン面白くないだろうなぁ。スピルバーグだからなぁ。ウォーレン・ビィーティが主演・監督した「ディック・トレーシー」くらいぶっ飛んでいたら、面白い映画になるのになぁ。あんな感じで、コミックのタンタンの世界を描いてほしいなぁ。と、思いますが、まだ見ぬ映画ゆえちょっとだけ期待しておきます。
2011年10月16日日曜日
2011年10月9日日曜日
神戸はやっぱり歩いて楽しい街
久しぶりに神戸に散歩に行った。なにが目的という訳でなく、初めての場所をぶらぶらしようということで。JRの「六甲道」で降りて、摩耶ケーブルの方へ。さすが神戸山の手。登っては下りの坂道、古い邸宅街。歩いていると「桜のトンネル」というのがあった。400mほどの坂道の桜並木。住宅街の細い坂道をバスが下っていく。
昔、「べっぴんの町」という映画があった。調べてみると1989年配給となっていた。柴田恭平が私立探偵のハードボイルド映画(ちょっと甘いけど)、神戸の町を舞台にしたセンスのいい映画だった。多分、和久井映見が高校生の役で出ていたが、デビュー作だったと思う。鶴瓶もいい味を出していた。こうした映画はやっぱり、神戸や横浜といった港の街でないと日本では絵にならないみたいだ。そうした映画のシーンによく出て来る、そんな感じがする「桜のトンネル」だった。ちょっと危ないけど、カーチェイスのシーンなど撮ればサンフランシスコも真っ青となるような坂道だ。
そしてぶらぶら行くと「王子動物園」が現れた。しょうがない。行きがかり上、入ってみることにした。動物園って何年ぶりだろう。京都の岡崎動物園の倍は広い。パンダもいてる。旭山動物園のおかげか、動物ごとに楽しく見られる工夫もいっぱい。とくに山猫とか雪豹とかのスタイルの美しさに目を見張る。遊園地も子供たちでいっぱい。飛行機がぐるぐる回る、ブランコが回る、木馬が回る。ボクたちが小さかった頃の乗り物がいっぱいだ。
昭和の香りがする動物園だ、と思っていたら、明治の「ハンター邸」がここに移築されていた。異人館の中でもひときわ大きい気がする。ミントグリーンの素敵な邸宅。入館料をとらないのもうれしい。
あっという間に日が暮れてきた。海文堂へ行って本を買って、中華街へ行って店の前で売っている中華ちまきやなんかを買って家へ帰ろう。
昔、「べっぴんの町」という映画があった。調べてみると1989年配給となっていた。柴田恭平が私立探偵のハードボイルド映画(ちょっと甘いけど)、神戸の町を舞台にしたセンスのいい映画だった。多分、和久井映見が高校生の役で出ていたが、デビュー作だったと思う。鶴瓶もいい味を出していた。こうした映画はやっぱり、神戸や横浜といった港の街でないと日本では絵にならないみたいだ。そうした映画のシーンによく出て来る、そんな感じがする「桜のトンネル」だった。ちょっと危ないけど、カーチェイスのシーンなど撮ればサンフランシスコも真っ青となるような坂道だ。
そしてぶらぶら行くと「王子動物園」が現れた。しょうがない。行きがかり上、入ってみることにした。動物園って何年ぶりだろう。京都の岡崎動物園の倍は広い。パンダもいてる。旭山動物園のおかげか、動物ごとに楽しく見られる工夫もいっぱい。とくに山猫とか雪豹とかのスタイルの美しさに目を見張る。遊園地も子供たちでいっぱい。飛行機がぐるぐる回る、ブランコが回る、木馬が回る。ボクたちが小さかった頃の乗り物がいっぱいだ。
昭和の香りがする動物園だ、と思っていたら、明治の「ハンター邸」がここに移築されていた。異人館の中でもひときわ大きい気がする。ミントグリーンの素敵な邸宅。入館料をとらないのもうれしい。
あっという間に日が暮れてきた。海文堂へ行って本を買って、中華街へ行って店の前で売っている中華ちまきやなんかを買って家へ帰ろう。
2011年9月25日日曜日
波乃音酒造「余花朗」へ
この前の休日は、久しぶりに琵琶湖へ行った。湖西にすむ会社の後輩から、「おいしいお酒と鰻をたべさせる店があるので」ということで出かけた。年に一度くらい後輩の家に集って湖を見ながら呑む顔ぶれだが、今年はお店でということになった。
場所は堅田の浮御堂のすぐ近く。「波乃音酒造」という酒蔵が夏の間だけ、鰻を食べながら、そこのお酒をいろいろ楽しめるというコースを提供してくれているのだ。鰻は、鰻丼の小と最後に出汁で食べる鰻のお茶漬け。量的には少しだが、それまでにいろいろお酒を楽しめるので、けっこういい気分になり、お腹はいっぱいに。
お店は琵琶湖に面した古い建物で、名は「余花朗(よかろう)」。ここのおじいさんが高浜虚子のお弟子さんだったということで、その俳号をお店の名にしたとか。虚子もたびたび訪れたそうで、短冊や掛け軸、「ホトトギス」がずらっと揃っていた。
帰り道は、旧家「居初邸」のお庭や堅田漁港、出島灯台などを見ながらぶらりお散歩。やはり琵琶湖はいい。おだやかな湖面がひろがり、さらに大きな晴れ渡った空がどこまでも広がっている。あちらが湖北、あちらが伊吹山か。大きな景色を見て暮らす時間が多いほど、人ってゆったりした心のリズムを育てていけるのだろうと、盆地育ちのワタシは思った。
わが家の最寄りの駅から堅田の駅までJR 570円。クルマでも1時間ほど。最近は琵琶湖の周辺をハイキングすることが多かったが、もう少し浜辺を歩き、港町を訪ねてみる時間をつくるのもよさそうだ。
場所は堅田の浮御堂のすぐ近く。「波乃音酒造」という酒蔵が夏の間だけ、鰻を食べながら、そこのお酒をいろいろ楽しめるというコースを提供してくれているのだ。鰻は、鰻丼の小と最後に出汁で食べる鰻のお茶漬け。量的には少しだが、それまでにいろいろお酒を楽しめるので、けっこういい気分になり、お腹はいっぱいに。
お店は琵琶湖に面した古い建物で、名は「余花朗(よかろう)」。ここのおじいさんが高浜虚子のお弟子さんだったということで、その俳号をお店の名にしたとか。虚子もたびたび訪れたそうで、短冊や掛け軸、「ホトトギス」がずらっと揃っていた。
帰り道は、旧家「居初邸」のお庭や堅田漁港、出島灯台などを見ながらぶらりお散歩。やはり琵琶湖はいい。おだやかな湖面がひろがり、さらに大きな晴れ渡った空がどこまでも広がっている。あちらが湖北、あちらが伊吹山か。大きな景色を見て暮らす時間が多いほど、人ってゆったりした心のリズムを育てていけるのだろうと、盆地育ちのワタシは思った。
わが家の最寄りの駅から堅田の駅までJR 570円。クルマでも1時間ほど。最近は琵琶湖の周辺をハイキングすることが多かったが、もう少し浜辺を歩き、港町を訪ねてみる時間をつくるのもよさそうだ。
2011年9月19日月曜日
カタカタと8mmが回る音
うちの父が、映画のカメラ仕事をしていたので、小さい頃からカメラが側にあった。父がいじっていた8mmカメラはARCO(アルコ)というやつで、広角や望遠など3つのレンズをくるくる回して変えるものだった。映す前に、ギリギリとぜんまいを手動で巻き上げる、なかなかの年代物。ずっしりと重たく、かっこ良かったが、小学1〜2年の手には扱いにくかった。それでも、撮影はさせてくれて、ファインダーを覗きながらカメラをパーンするスピードなどを教えてくれた。
当時の8mmフィルムは、撮影するときは16ミリフィルムで片側を撮影したら裏返して撮影。現像にだすと、16ミリフィルムを2つに分けていた。カラーフィルムの場合は緑と赤のツートンのプラスティックケースに入れられて帰ってきた。直径10cmくらいの小さなリールで、約3分間の上映であった。(モノクロは緑と黒のケースだった。富士フィルムが「私にも写せます」のシングルエイトを出して、8mmカセットができたと思う。)
家での上映会となると、小さい子どもたちはそわそわ。電気を消した真っ暗な部屋は、いつもと違う高揚感いっぱいの夜ではあった。何かのはずみでフィルムが引っかかると、投射する電球の熱ですぐにフィルムが焼き切れてしまう。とたんに部屋はイヤな臭いとともに、昼間のようなまぶしい光に満たされてしまうのであった。
そうしたフィルムを切って、器具に挟んでヤスリをかけ、薬品を塗ってフィルムをつなぎ、カタカタと巻き取り編集する作業が父は好きだったみたいだ。たしかに、微かに薬品の匂いがする編集の作業は、没頭できる時間であったに違いない。
この頃は映画館に行っても、よくフィルムが焼き切れていた。みんな没頭して熱中して見入っているものだから、いいシーンでフィルムがじわっと茶色になり、ブツブツ泡が広がるように焼き切れてしまうと、悲鳴ともブーイングとも、あ~あといったあきらめとも思える声がミックスされ、みんなが劇場の最上階の映写室を睨みつけるのであった。さすが、「金返せ」とはだれも言わないが、「だいなしやなぁ」といった空気がいっぱいだった。映写技師の人たちも大変だ。
この頃の映画のフィルムはセルロイドみたいなものだから、熱に弱く、すぐ焼き切れてしまう。撮影所や映画館の火事が多く、昔のフィルムが残っていないのもむべなるかななのだ。
当時の8mmフィルムは、撮影するときは16ミリフィルムで片側を撮影したら裏返して撮影。現像にだすと、16ミリフィルムを2つに分けていた。カラーフィルムの場合は緑と赤のツートンのプラスティックケースに入れられて帰ってきた。直径10cmくらいの小さなリールで、約3分間の上映であった。(モノクロは緑と黒のケースだった。富士フィルムが「私にも写せます」のシングルエイトを出して、8mmカセットができたと思う。)
家での上映会となると、小さい子どもたちはそわそわ。電気を消した真っ暗な部屋は、いつもと違う高揚感いっぱいの夜ではあった。何かのはずみでフィルムが引っかかると、投射する電球の熱ですぐにフィルムが焼き切れてしまう。とたんに部屋はイヤな臭いとともに、昼間のようなまぶしい光に満たされてしまうのであった。
そうしたフィルムを切って、器具に挟んでヤスリをかけ、薬品を塗ってフィルムをつなぎ、カタカタと巻き取り編集する作業が父は好きだったみたいだ。たしかに、微かに薬品の匂いがする編集の作業は、没頭できる時間であったに違いない。
この頃は映画館に行っても、よくフィルムが焼き切れていた。みんな没頭して熱中して見入っているものだから、いいシーンでフィルムがじわっと茶色になり、ブツブツ泡が広がるように焼き切れてしまうと、悲鳴ともブーイングとも、あ~あといったあきらめとも思える声がミックスされ、みんなが劇場の最上階の映写室を睨みつけるのであった。さすが、「金返せ」とはだれも言わないが、「だいなしやなぁ」といった空気がいっぱいだった。映写技師の人たちも大変だ。
この頃の映画のフィルムはセルロイドみたいなものだから、熱に弱く、すぐ焼き切れてしまう。撮影所や映画館の火事が多く、昔のフィルムが残っていないのもむべなるかななのだ。
2011年9月14日水曜日
まだまだアツいぜ、夏も友も
しかし暑い日がよくまぁ続くことです。バルコニーの朝顔も、なぜか気が狂ったように咲きまくっています。あまりに暑すぎて、南国のブーゲンビリアやハイビスカスは、夏バテ状態です。日本の夏は過酷なのでしょう。
こう暑いと、お散歩に出かける気もしません。朝早く起きて出かける元気もありません。どこか川辺にバーベキューに行こう!と、いう季節にはやくなりますように。
ところで昨晩は、久しぶりに大学の時のクラブの友達と会いました。4~5年ぶりくらいでしょうか。仲間の一人が定年になるということであちこちの会社にあいさつ回りしているとのこと。京都に来るので、では集合とあいなり5人くらいが集まりました。電話2本くらいでまとまった人数がすぐ集まる団結力、すごいのです。
短い時間でしたが、それぞれの近況報告。次回の遊ぶ計画までしっかり決めて解散しました。
それにしても、完全リタイアした人。嘱託のような感じで勤めを続けている人。子会社に行く人。田舎暮らしを始めた人。故郷に帰った人。いろいろお付き合いしている人の幅が63歳~58歳くらいなのですが、いろいろな第2の人生があちらこちらで始まっているようです。
ぶらぶら歩いた祇園白川界隈。夜はこれから始まるという方も多いようでした。京都は景気いいの?
こう暑いと、お散歩に出かける気もしません。朝早く起きて出かける元気もありません。どこか川辺にバーベキューに行こう!と、いう季節にはやくなりますように。
ところで昨晩は、久しぶりに大学の時のクラブの友達と会いました。4~5年ぶりくらいでしょうか。仲間の一人が定年になるということであちこちの会社にあいさつ回りしているとのこと。京都に来るので、では集合とあいなり5人くらいが集まりました。電話2本くらいでまとまった人数がすぐ集まる団結力、すごいのです。
短い時間でしたが、それぞれの近況報告。次回の遊ぶ計画までしっかり決めて解散しました。
それにしても、完全リタイアした人。嘱託のような感じで勤めを続けている人。子会社に行く人。田舎暮らしを始めた人。故郷に帰った人。いろいろお付き合いしている人の幅が63歳~58歳くらいなのですが、いろいろな第2の人生があちらこちらで始まっているようです。
ぶらぶら歩いた祇園白川界隈。夜はこれから始まるという方も多いようでした。京都は景気いいの?
2011年8月28日日曜日
龍馬の葬送の道を歩く
久しぶりの、維新探検隊。今日は龍馬たちが葬られた道をたどって、霊明神社へ向かう。南座前に集合して東山方面へ。霊山歴史館の南側、竹林にはさまれた石畳の階段を上る。龍馬、中岡慎太郎、藤吉の三人の遺体は、仲間たちに担がれてこのきつい傾斜の階段を、霊明神社まで運ばれたのだ。
今でこそ龍馬たちの墓はお隣の護国神社にあるが、もともとはこの霊明神社で葬儀が行われ、埋葬された。龍馬は即死だったが、翌々日まで意識のあった中岡慎太郎の遺言によるらしい。
後になって、明治新政府の設立した護国神社へ志士たちの墓地を譲り渡したのだ。新政府のごり押しか。今でも両者の関係はよくないらしい。霊山歴史館の説明にも、霊明神社の名は一切出てこない。護国神社では龍馬たち志士のお墓参りに、金300円を徴収していた。
さて、今日のお目当ては年に一度の夏の宴会。『鳥初鴨川』の川床で、鳥鍋をいただく予定。それまで、祇園の石塀小路やお茶屋の路地、宮川町をぶらぶら歩く。あまりに暑いので、団栗(どんぐり)湯でひと風呂。銭湯代と貸しタオルで440円。火照ったからだに川風が気持ちいい。
『鳥初鴨川』の鳥鍋は、鶏ガラをじっくり煮込んだ白い出汁が名物。創業90年になるお店だ。鳥、とくに鳥鍋が苦手な僕も、おいしくいただけた。鍋を食べる前の、このスープがすごくうまい。ここの鳥鍋なら食べられる、また食べにきたいと思わせる。空模様が怪しかったので、川床ではなく座敷にての宴会であったが、満足満足。
今でこそ龍馬たちの墓はお隣の護国神社にあるが、もともとはこの霊明神社で葬儀が行われ、埋葬された。龍馬は即死だったが、翌々日まで意識のあった中岡慎太郎の遺言によるらしい。
後になって、明治新政府の設立した護国神社へ志士たちの墓地を譲り渡したのだ。新政府のごり押しか。今でも両者の関係はよくないらしい。霊山歴史館の説明にも、霊明神社の名は一切出てこない。護国神社では龍馬たち志士のお墓参りに、金300円を徴収していた。
さて、今日のお目当ては年に一度の夏の宴会。『鳥初鴨川』の川床で、鳥鍋をいただく予定。それまで、祇園の石塀小路やお茶屋の路地、宮川町をぶらぶら歩く。あまりに暑いので、団栗(どんぐり)湯でひと風呂。銭湯代と貸しタオルで440円。火照ったからだに川風が気持ちいい。
『鳥初鴨川』の鳥鍋は、鶏ガラをじっくり煮込んだ白い出汁が名物。創業90年になるお店だ。鳥、とくに鳥鍋が苦手な僕も、おいしくいただけた。鍋を食べる前の、このスープがすごくうまい。ここの鳥鍋なら食べられる、また食べにきたいと思わせる。空模様が怪しかったので、川床ではなく座敷にての宴会であったが、満足満足。
2011年8月20日土曜日
サボテンの花が咲いていた
![]() |
| 送信者 実験アルバム |
このサボテンがいくつかあって、一つのサボテンに一つの花が、それも一日だけ咲くらしい。
もうずいぶん前に友だちの新築祝いに贈ったサボテンはもっと大きく丸いサボテンで、先端に小さな花がいくつも咲いていた。花をつけるいろんなサボテンがあるんだな。
やっぱり夏に咲く花が多いということだろうか。これからちょっと勉強してみよう。
そういえば昔、ハナキリンっていう名前だったか?トゲトゲの木に小さい赤い花をつける木が大きく育ったことがあった。あれもサボテンのなかまなのだろうか。どうもぼくは、ブーゲンビリアといい、棘のある木に咲く南の植物が好きみたいだ。
嫁さんはキッチンの窓辺で、小さな小さなサボテンをいっぱい育てているが、あれはどうするつもりだろう。どこまで大きくなるのだろう。
2011年8月17日水曜日
2011年8月13日土曜日
iPadはブログが苦手みたいだ
ついに、iPad2を買いました。わが家のiMacは奥さんと二人で使っているので、もう一台何か必要と、ノート型のMac Book Air にするか iPad にするかで3ヶ月ほど悩んでいました。でも、新しいOS(LION)が安定するのを待っているのも待ちくたびれるので、iPad2購入を決断したのでした。
おもにテレビ見ながら、インターネットの「ながら読み」。これはiMacよりスイスイ早く、なんて快適! あとは、ブログさえちゃんと出来ればいいわと思っていたのです。
ところがiPadって、ブログに写真がアップロードできないのです。テキストだけのアップならすぐ出来るのに、写真を入れようと思えば出来ない。まさかそんなこと考えもしませんでした。
で、Googleで検索をかけたら、同じ質問が溢れていました。ずいぶん前からこの問題は話題になっていたようです。いくつか裏道があるようなのですが、これがけっこう専門的で???です。
どうも写真の一枚一枚に埋め込みコードを作ればいいらしく、そのためにはクラウドに画像を保存して、引っ張ってくるというプロセスがいるみたいなのです(素人の感想なので確かじゃありませんが)。
で、GoogleのPicasaをアルバムとして遊んでいたので、もしやと思いやってみれば、出来ました! "Flick Stackr"に投稿して、そこから写真を引っ張るという手が一般的なようですが。で、iPhoneで撮った写真をPicasa に送り、iPad2からPicasaにアクセスして貼りつけた写真がこのブログです。
いつものタテ型の写真に文字を流しこむという、ボクのブログのデザインは出来ないみたい?このように四角い写真を貼り付けるしか手がないみたいです。でもまぁ、ブログできるしいいか。これくらいの量のテキストを打つのは問題ないし。秋のiOS5で修正されるかもしれないし。あとは、ブチブチ切れるADSLのWiFiを何とかするだけだわ。
でも、100円とか200円で買える面白いアプリがいろいろあって、なかなか楽しめるiPad2ではあります。寝ながら触れるパソコンで、横着・ものぐさな私にはぴったり。落書きやスクラップをベタベタする感覚のマイノートとして、なかなか使って楽しい今日この頃です。
おもにテレビ見ながら、インターネットの「ながら読み」。これはiMacよりスイスイ早く、なんて快適! あとは、ブログさえちゃんと出来ればいいわと思っていたのです。
ところがiPadって、ブログに写真がアップロードできないのです。テキストだけのアップならすぐ出来るのに、写真を入れようと思えば出来ない。まさかそんなこと考えもしませんでした。
で、Googleで検索をかけたら、同じ質問が溢れていました。ずいぶん前からこの問題は話題になっていたようです。いくつか裏道があるようなのですが、これがけっこう専門的で???です。
どうも写真の一枚一枚に埋め込みコードを作ればいいらしく、そのためにはクラウドに画像を保存して、引っ張ってくるというプロセスがいるみたいなのです(素人の感想なので確かじゃありませんが)。
で、GoogleのPicasaをアルバムとして遊んでいたので、もしやと思いやってみれば、出来ました! "Flick Stackr"に投稿して、そこから写真を引っ張るという手が一般的なようですが。で、iPhoneで撮った写真をPicasa に送り、iPad2からPicasaにアクセスして貼りつけた写真がこのブログです。
いつものタテ型の写真に文字を流しこむという、ボクのブログのデザインは出来ないみたい?このように四角い写真を貼り付けるしか手がないみたいです。でもまぁ、ブログできるしいいか。これくらいの量のテキストを打つのは問題ないし。秋のiOS5で修正されるかもしれないし。あとは、ブチブチ切れるADSLのWiFiを何とかするだけだわ。
でも、100円とか200円で買える面白いアプリがいろいろあって、なかなか楽しめるiPad2ではあります。寝ながら触れるパソコンで、横着・ものぐさな私にはぴったり。落書きやスクラップをベタベタする感覚のマイノートとして、なかなか使って楽しい今日この頃です。
2011年8月7日日曜日
夢まぼろしのキャンプストア
入道雲もくもくの、カァっ~と暑い、真夏の砂浜。焼きそばだ、かき氷だと、みんながお世話になった海の家。いろいろあるなかで、松の木の下などでひときわ大きく、白いペンキでおしゃれにデザインされた海の家。それが、「キャンプストア」だ。おなじ海の家でも、メニューがおしゃれで、店員がおそろいのシャツなど着ている。それが、「キャンプストア」だ。
夜になれば、加山雄三やマイク真木がライブをやっていそうな店。それが「キャンプストア」だ。
そうした「キャンプストア」の多くは、関西や関東の大学の「広告研究会」が運営していたのだ。学生たちが、「森永製菓」や「明治製菓」などと交渉し、マーケティング調査ということでお金や食材を提供してもらう。実際に現場調査し、メニューを決め、イベントを企画し、ポスターやチラシを制作し、生きたマーケティングを実践する場所と位置づけられていたらしい。
大学の「広告研究会」にとって、一年の前半の一大イベント。やたらと儲かったらしい。ここで得た収益で、論文集を出したりギャラリーで制作展をしたり、パーティを仕掛けたりするらしい。女子学生の部員も多く、夏の2ヶ月ほどの海水浴場での合宿生活は、すさまじく楽しかったらしい。
らしい、らしい、と書いているのは、僕らの時代にはなかったからだ。学生運動が激しくなり、資本主義の走狗となる広告を研究する部は、組織の中で先鋭化していくか、潰れていくかどっちかで、「キャンプストア」なんて3年ほど前から断固廃止になってしまったのであった。「キャンプストア」を餌にされて入ったクラブなのに。楽しい夏を取りあげられたボクたちは無力感いっぱいの新入生だった。
悔しくて悔しくて。ボクラの時代の広告研究会は、「キャンプストア」にかわる思い出をつくるべく、合宿旅行やパーティに徹底的に邁進した。クソぉ~! 学生運動のない今、「広告研究会」のキャンプストアは夏の海に帰ってきたのだろうか。
夜になれば、加山雄三やマイク真木がライブをやっていそうな店。それが「キャンプストア」だ。
そうした「キャンプストア」の多くは、関西や関東の大学の「広告研究会」が運営していたのだ。学生たちが、「森永製菓」や「明治製菓」などと交渉し、マーケティング調査ということでお金や食材を提供してもらう。実際に現場調査し、メニューを決め、イベントを企画し、ポスターやチラシを制作し、生きたマーケティングを実践する場所と位置づけられていたらしい。
大学の「広告研究会」にとって、一年の前半の一大イベント。やたらと儲かったらしい。ここで得た収益で、論文集を出したりギャラリーで制作展をしたり、パーティを仕掛けたりするらしい。女子学生の部員も多く、夏の2ヶ月ほどの海水浴場での合宿生活は、すさまじく楽しかったらしい。
らしい、らしい、と書いているのは、僕らの時代にはなかったからだ。学生運動が激しくなり、資本主義の走狗となる広告を研究する部は、組織の中で先鋭化していくか、潰れていくかどっちかで、「キャンプストア」なんて3年ほど前から断固廃止になってしまったのであった。「キャンプストア」を餌にされて入ったクラブなのに。楽しい夏を取りあげられたボクたちは無力感いっぱいの新入生だった。
悔しくて悔しくて。ボクラの時代の広告研究会は、「キャンプストア」にかわる思い出をつくるべく、合宿旅行やパーティに徹底的に邁進した。クソぉ~! 学生運動のない今、「広告研究会」のキャンプストアは夏の海に帰ってきたのだろうか。
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