お気楽さんぽ

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2009年3月28日土曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #6 映画人の鳴滝村  ●●●


大映、東映、松竹や独立プロが林立していた映画の都、太秦。その北に位置する「鳴滝」に、多くの映画人が住んでいた。70年代のコマーシャルの世界に原宿セントラルアパートがあったように、漫画家たちにときわ荘があったように、戦前戦中の時代劇映画の中心に、若い映画人が集う梁山泊のような場所があった。ウィキペディアによると<脚本家の八尋不二、三村伸太郎、藤井滋司、監督の滝沢英輔、稲垣浩、山中貞雄、鈴木桃作、助監督の萩原遼の8人が「鳴滝組」を結成した>とある。そして、「梶原金八」というペンネームで数多くの映画の脚本を共同執筆していた。
嵐電「鳴滝駅」周辺から、音戸山辺りに多く住んでいたようだ。音戸山といっても地図では一条通りの北にあるが、地元ではもっと手前の丘を音戸山と呼んでいる。この写真の道をまっすぐ行くと山田五十鈴や稲垣浩、杉狂児の家が。左の道を音戸山の方へ行けば、市川雷蔵の家や山中貞夫の家が、そして山の上には鳴滝組が集まっていた家があったらしい。手前の駅近くには、八尋不二らが住んでいた。もう古い話なので、そのまま家が残っているとしても数少ないだろう。
この踏み切りの右手、電車に乗って次の「福王子」の方へ行けば、ちょっと有名な桜のトンネルがある。夜桜のシーズンには車内の照明を消して、徐行してくれる。

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