お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2009年10月25日日曜日

ふたたび、明智越えへ


今年の五月、保津川下りへ急遽予定を変更してお預けとなっていた「明智越え」へ行ってきました。この三日ほど続いた青空がウソのような曇り空。空は明るいので決行です。JR亀岡で下車、保津の里(だから保津峡か)から、水尾の里、JR保津峡をめざす10kmのハイキングコースです。

歴史の古そうな山里を抜け、保津城跡の横を通る山道を登っていきます。この道は、亀岡から嵯峨へ抜ける道であり、明智光秀が本能寺に向かうときに通った道の一つとして知られています。また愛宕山信仰の道であり、光秀公も度々愛宕山へ参籠された道とか。


京都の人にはよく知られたハイキングコース。看板には子どもにも老人にもたやすく散策できると、書かれていましたが。なんの、なんの。シンドイ、シンドイ。始めの40分ほどは、一気に山頂まで登ってしまう山道で、20分も登ると汗だくでありました。しかし古からの謂れのある道。清和天皇を祀った円丘がある「峯の堂(むねんどう)」や本能寺攻めの時にはこんこんと水が湧いていた「土用の霊泉」など、さまざまなポイントが楽しい道でもあります。

コース後半は、広葉樹につつまれた、なだらかな下りの尾根道。汗がいっぺんにひいて肌寒いくらい。お弁当を食べ、快適に1時間ほど歩くと眼下に柚子の里・水尾が見えてきました。ハイキングのシーズンにはまだ早いのでしょうか。この3時間ほどの間、すれ違って挨拶を交わした人は三組四人だけでした。
本来ならここで終わりだったのですが、時間が早いので予定変更。六丁峠を越え、嵯峨・鳥居本をめざしました。朱色も美しい鳥居の下の「つたや」や「鮎茶屋」。山一つ越えると、いきなり京らしい風景が現れました。
32,600歩、22.80km。今回もちょっと歩きすぎたようです。

2009年10月18日日曜日

VAN育ち

この前久しぶりに、クロストシユキ氏の姿を新聞で見た。歳はとられても、ファッションの仕事をされているようで、あの頃のイメージが残っていた。
ワタシは団塊の世代ではないけれど、それでもVANの洗礼を受けて育ってきた。はじめの出会いは、昭和38年くらいのことだ。

東京の親戚に3つ歳上の中学生のお兄さんがいて、お古のボタンダウンやセーターを、あの赤ロゴの紙袋に入れてもらったのが最初だ。それからというもの、学生から社会人になっても、服の多くはVAN系が中心となった。といっても結構高価で、中学生にはなかなか手に入れられない。まずはアルミのクシや、コイン入れといった小物がワタシのVANでありました。
ちょうどヴァイタリスやMG5が発売された頃。あのころの男子はみんな同じ匂いだったのだろう。

たまに買うのはマドラスチェックのシャツ。コートやジャケットやジャンパーなど本格的なワードローブを手に入れるのはもっとずっと後、アルバイトをしだしてからのことでした。

中高生たちのファッションの教科書は「メンズクラブ」だった。このメンズクラブを数年、じっくり読み続けたことで、洋服のスタイルやアイテムの名前、生地の名前や由来、コーディネイトのポイントから、映画の見方まで、どうでもいいけれど、ちょっと大切なことを学んだような気がする。その先生の一人が、クロストシユキさんでありました。

ちょっと探してみたけれど、VANのブランドがついたものは、このコーデュロイのジャケットだけ。もちろん小さくて着れないけれど。愛すべき古着たちは消えていってしまった。あと残っているのは、「KENT」のスーツとジャケットだけだ。
アイビー。埃っぽい時代の、甘い香り。アナタノ手元ニ、VAN ハ残ッテイマスカ ?

2009年10月12日月曜日

東山・粟田神社の夜渡り神事へ

この3日間の連休は、あちこちでお祭りをやっていましたね。今年は、粟田神社のお祭りと、太秦広隆寺の牛祭の二つに狙いを絞って見に行こうと、先週から決めていました。
粟田神社は、夜おこなわれる祭り行列が見たかったのと、昨年から180年ぶりに「粟田大燈呂」(ねぶた祭のような山車)が復活したらしいからです。

粟田神社は三条東山、青蓮院の裏の小高い丘の上にあります。夜六時、お祭りの法被を着たご近所の人たちもそわそわしたご様子。参道の階段を登っていくと、境内いっぱいに、学生や関係者等があつまり、神事のお払いも始まりました。そして、夜六時半にはたいまつを先頭に神事の行列は階段を下り、知恩院方面へ向かいます。

三条通りで、色鮮やかな「粟田大燈呂」と合流。この山車は京都造形大学の学生たちがつくり、祭りに参加しているとのこと。なぜか外人さんたちの法被姿も目立っていました。各町内から子供たちが引っ張る提灯の列も合流して、光りあふれる夜らしいお祭りでした。

そして次の日は、広隆寺の牛祭を期待していたのですが、今年は「なし」とのこと。残念。京都でも三大奇祭の一つと云われる祭りで、神様が牛に乗り行列する珍しいものなのですが、最近は不定期開催になってしまっているのです。
お祭りを維持していく町内会や氏子の人たちの努力は大変で、ご苦労お察し申し上げます。特に京都は歴史の古いお祭りが多いですから。でも、いろんなお祭りで年中賑わっているのが、この町の良さ。まだ見たこともないお祭りを、これからはどんどん探検していこうと思います。

2009年10月5日月曜日

川沿いガーデンに秋がきた

京都の町は小さな川がけっこう多くて、自転車でプラプラしていると、川沿いに走ってみたくなります。川沿いの小さな土地には花壇や畑が作られていて、近所の人が手入れしているようです。「私の土地にしておこう」という感じで、囲いなんかしている所もあります。
別段急ぐ用件もないお気軽さんぽの時、こうした川沿いガーデンが季節の移り変わりを教えてくれます。

最近多いのは、ヒマワリ。なんという種類なのでしょう、ちょっと小振りで、葉っぱも白っぽくひかるヒマワリがいきいきと咲いています。そして、白やピンクの芙蓉の花が咲き出しました。コスモスも元気に揺れています。

見上げると小さい柿がいっぱい。ほんのり色をつけだしています。桜の木や柿の木などの大きな木は、誰も手入れしていないのに毎年花や実をつけるようです。
色とりどりの景色の中を走っていると、後で帰るのがシンドクなるのに、先へ先へとペダルをこいでしまいます。

川沿いガーデンのような景色は、小さい頃から随分たっているのに、全然変わりませんね。そういえば露地の植木鉢の風景なども、昔のまま。暮らす世代は変わっても、人の営みはそのまま。移り変わる季節がちょこんと腰をおろしていける場所があちこちにあることも、やさしく暮らしていく先人の知恵なのでしょう。そういう場所を京都市は、見て見ぬふりをしておいてほしいと思います。

2009年9月30日水曜日

●●● 嵯峨野の裏道 #9 竜安寺辺り ●●●


どこやったかなぁ~ここは。メモもせず、気ままにシャッターを押すからどこかわからなくなる。多分、竜安寺をずっと南に下がってきた辺り。西に真っすぐ行けば仁和寺へ行けますという道を、ちょと入ったところの小径だったと思う。知らずに歩いていると、大きな家の玄関に続いる様子。お店でも何でもなく、普通の家。この道はもう、敷地に入ってしまっているのだろう。

こうした道に迷ってみるのも、お散歩のお楽しみ。きちんと手入れされた生け垣を維持するのは、どれくらいかかるのだろうなどと考えながら歩く。この辺り、昔からの豪邸が多く、何十年も変わらない露地、大きな家の間を歩くのが楽しい。ところが最近は、大きな敷地が持ちこたえれられなくなったのか、豪邸が潰されマンションに変わったり、分譲住宅が建てられていく。
個人が、古い建物を、古い佇まいのまま残していくのは難しい。

2009年9月27日日曜日

氷河時代の花咲く、深泥池


びしょ濡れの女性を乗せた幽霊タクシーでおなじみ。京都でも有名な心霊スポットの深泥池(みどろがいけ)。ですが、今日はそちらの話ではなく、池全体が「深泥池生物群集」として国の天然記念物に指定されているというお話。

京都最古の自然が残っていること。おつゆに入れるジュンサイがとれること。氷河期からの生き残りとされる生物もいて、非常に学術的に貴重な池であることなどは、京都では学校で習います。
自転車でこの辺りまできたら、池の手入れをする人や、勉強会の人々がいて、しばらく眺めていました。

なんか、落ち葉が落ちて池にひろがっていると思っていたら、所々に黄色い小さい花が咲いていることに気がつきました。帰ってネットで調べると、落ち葉のように見えたのはジュンサイの浮葉であること。花は「ミカワタヌキモ」で、氷河時代から生き残っている、絶滅寸前種に選定されている食虫植物だそうです。
さらに奥に見える、草原のような「浮島」は、植物の泥炭の上にさまざまな植物が繁っているもので、まさに浮いている島らしい。冬になると少し沈み冠水し、夏には浮き上がると池の案内板にも書いてありました。


この日も職員らしき人がこの希少な池を守るべく、仕掛け網の調査などしていました。聞いてみると、一つの網にブルーギルやブラックバスの小魚が8匹ほど掛かっていたと見せてくれました。外来種の影響で、この池の自然が脅かされているようです。休日返上の調査、ご苦労様です。
水生植物の宝庫で、日本有数のトンボの生息地。アマチュアカメラマンも熱心に通っているようです。なにか四季折々、足を運んでも面白そうな深泥池でありました。

2009年9月22日火曜日

伊吹山から関ヶ原へ


先週の日曜日、思い立って伊吹山へ行ってきました。初めてです。名神の関ヶ原 I C で降り、関ヶ原の戦いで石田三成が陣をはった笹尾山のトンネルを抜けると、すぐにドライブウェイ。一気に山頂駐車場まで行けます。駐車場から山頂までは、直線15分コースなどコースもいろいろ。今回は西道迂回コースで、40分かけてゆっくり山頂へお気楽さんぽしました。

夏の花は終わり、これからは秋の花の始まりなのでしょうか。色とりどり、という訳にはいきませんでした。ちょっと肌寒く感じました。上の写真は、「サラシナショウマ」という高山植物の群落。山頂までのあちこちに咲いていました。「リンドウ」はまだ蕾のほうが多いようでした。駐車場からの遊歩道は歩きやすく、信仰の山だけにお年寄りも多く、ペットのワンちゃんまで見かけます。

さすが伊吹からの眺めは壮大。びわ湖は湖北や竹生島から、南は彦根の先まで一望できます。東北の郡上方面にかけては、どこまでも山並みが連なっています。山頂はお土産屋さん兼食堂の山小屋がズラリ。伊吹山頂の標識で皆さん記念写真。すぐお隣には、日本武尊の像がスクッと立っておられます。山頂のお花畑は春に来れば、さぞかし花がキレイなことでしょう。

さて、この日のおまけは関ヶ原の資料センター。伊吹山の帰りに関ヶ原の町営らしい資料館にちょっと立ち寄ってみました。入り口には、関ヶ原町を空撮した電光パネル。このパネルのランプを点灯させながら、合戦の模様(東軍西軍の武将の動き)を説明してくれるのですが、これがわかりやすい。その他、武将の甲冑や旗印など、予算はないが頑張っているという資料館。この前の「天地人」の関ヶ原のシーンも、ここで予習していたおかげ各軍の動きなどがよく理解できました。

2009年9月19日土曜日

陽が沈んだ後の、夕焼け


夕焼けとともに、夜が始まる。こんなゴージャスな時間は、働いているサラリーマンにはなかなか実感できません。サマータイムでも実施されれば別でしょうが、多くの場合まだオフィスの中。夕焼けすら見られないはずなのですが、私の会社は大阪の土佐堀川に面していて、ときどき美味な夕焼けにお目にかかれます。大阪湾の上に広がる夕焼けが、ビルのシルエット越しに会社の窓や、橋の上から見られます。

夕焼けは、陽が沈んでからが美しい。ということに、去年ハワイに行ったときに気がつきました。この写真の状態から、まだまだ赤く、ビロードが波打つように空が変色していくのでした。まだ、20分は楽しめたでしょうか。
強い太陽の残照と、夜のとばりがせめぎあい、より深い濃い空になっていきました。すぐ夜にならず、夕暮れの時間が永いのも、熱帯の島ならではの事なのでしょうか? 特別な時間をプレゼントされたようでうれしくなります。京都ではピンクに染まることはあっても、深紅の夕焼けはなかなか見られません。

美しい夕焼けが、美しい夜に変わる時間。このシルバーウィークは、そんな時間も楽しんでみようと思います。もう、秋。ベランダではだいぶ前から虫の鳴き声も聞こえてきます。十五夜も、もうすぐ。今年は、10月3日の土曜日らしいです。夕焼け時からまん丸お月さまが出てくるのを楽しみながら、ゆっくりお酒でも。なんて日本的な正しい過ごし方。

2009年9月13日日曜日

陽が沈む前の、夕焼け


海のような広い場所へ行かないと、なかなかきれいな夕焼けにはお目にかかれません。学生の頃は、多くの夕焼けを見ていたはずなのに、遊ぶことの方に夢中で、空をあまり見ていませんでした。夕焼けなどには興味もありませんでした。30年前、40年前には空気ももっと澄んでいたのでしょうか。

映画「点の記(劒岳)」は、圧倒的に美しい雲の上の夕焼けを見せてくれましたが、実際に山での夕焼けは見たことがありません(多分)。山登りをしないから、多くは海の夕焼けの話になります。ただ、飛行機に乗っているときはいつも雲の上なので、夕焼けも美しいのですが、まぶしくて‥‥。

海、船、夕焼けとくれば、拓郎の「落陽」や、加山雄三、グループサウンズの世界に入ってしまいそうです。「いやいや演歌でしょ」という人も、多いとは思いますが。美しい夕焼け探しの旅に出る。なんて、年寄りくさいことも、もうじきしてしまいそうです。
そういえば昔「夕焼け評論家」なるエッセイストもいましたが、黒沢明の映画で徳川家康を演じた後はどこへいかれたのでしょう。いんちきな肩書きに憧れたものです。

ワタシの夕焼け一番は、洞爺湖でみた夕焼けです。高校生から大学生の間の休みのこと。空も湖も、まっ黄色に染まった夕焼けでした。あんなに黄色い夕焼けはあれ以来、見たことがありません。洞爺湖ではよく見られるのでしょうか、たまたまだったのでしょうか。

2009年8月30日日曜日

ミントンのアンティーク柄


もう10年くらい昔になりますが、英国ロイヤルドルトン・ブランドの紅茶の仕事をしていました。その仕事を通して、紅茶の知識、英国陶磁器の知識、その頃の大英帝国の歴史に触れる時間を持つことが出来ました。そしてなによりも、紅茶パッケージのプレゼンテーションと取材をかねて、ロンドン → ストークオントレントへいくことが出来ました。

ストークオントレントという町は、日本の瀬戸みたいな焼き物の町です。ロンドンから急行で3時間ほどだったでしょうか。あのラグビーの町を通り、リバプールの方へ行く途中にあります。

ヒツジさんのいる、本当に牧歌的な丘をいくつも越えて到着です。駅前には、ジョサイヤ・ウェッジウッドの銅像があり、町のあちこちにロイヤルドルトンをはじめ、ミントン、ウェッジウッド、スポート、ロイヤルクラウンダービーなど有名なブランドの窯とその煙突が並んでいます。
いかにも古い歴史ある町という佇まい。そして、それぞれの会社がそれぞれの私設のミュージアムを持っているようです。
このアンティークな柄のカップは、工場見学に行った折りに、ミントンのミュージアムのお隣にあるアウトレットで買ったのもの。日本では見ないミントンでしょ。ミントンのカップは本当に素敵な柄が多く、水彩で描かれたデザインブックは手元に置いておきたくなります。

ロンドンでよかったのは、パークサイドホテルで本格的なアフタヌーンティをいただいたことと(もちろん仕事です)、ハロッズを見れたこと。百貨店というより、ミュージアムのよう。地下の食料売り場では、食材で巨大なオブジェをつくっていました。その時買ってきたウール張りのピクニックシートは、いまだ現役で年に数回活躍しています。