お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2016年3月31日木曜日

花に嵐を



嵯峨野の周辺に住んでいていいのは、散歩コースに恵まれていることですか。おのずと5つくらいのコースに固まってしまうのですが。畑や田んぼもたくさんあります。風致地区として景観を守るために、開発されず、地道も多く残っています。さすが昔のように、馬糞が落ちていたりということはありませんが、整理された田舎の風情ではあります。風景画を描くような趣味でも持ちあわせていればいいのですが、これはもうすこし老人になってからにしておきます。

今、春が一気に来ています。もくれんの花はすでにはらはらと落ち、所々に土筆の顔も見られます。あと一週間もすれば桜は満開。田んぼには蓮華やたんぽぽが咲きほこることでしょう。 近くの農家の軒先では朝堀の竹の子を売っていて、小さな竹の子が4つほど入ったザルが千円也。とても柔らかい、やさしい味でした。

なんて、穏やかな春。こんなことではいけない。もっと刺激的な、記憶に焼け付くような熱い時間を過ごせればいいのですが、ラジカルな春はなかなかやって来ません。日々の環境を変えていく勇気を。バカを楽しむ、行動力を。「花に嵐を」。大きく育ってきた絹さやに水をやっている場合じゃないぞ、と思う今日この頃ではあります。



花の道  犬につられて あくびする




2016年2月29日月曜日

おかしな2月ももう終わり


この2月はおかしな天気が続いた。4月下旬並みの暑い日の二日後には、日本海方面では雪が降るという。そしてまた、暖かくなり、寒くなり。ベランダのプランターで芽を伸ばしている絹さやも、大きくなっていいのかまだ早いのか、迷いながらヒゲのような蔓を伸ばしている。桜の花の蕾も芽をだしたばかりのもの、ちょっとふくらみのあるもの、バラバラだ。

でも2月の暖かい日に散歩するのは悪くない。散歩道の空気は暖かくても、山の雑木林や畑の土にはまだ冬の冷気が漂っていて、風景がひきしまって見える。下を見ながら歩けば、硬い土に閉じこめられたさまざまな草たちが、春に向かってエネルギーを充電している様にも見える。もうすぐ春が、一気に咲く。

スキーをしていた頃は2月は楽しみ多い月だったが、この10年ほどは、とじこもり月間。寒い中をうろうろしたくないのだ。あんなに友達と連れだって行ってた「かに+温泉一泊旅行」もすっかりご無沙汰。これでは、いかん。来年の2月からは、ちょっと新たなイベントなど考えてみよう。

ところで今、外を見てみたら雪が降っている。ちょっと積もりかけている。一昨日は北野さんの梅を見に行くほど暖かかったのに。ほんとに今年の2月はおかしな天気が続く。






春握る コブシきらきら 旅の空



2016年2月18日木曜日

おじいちゃんにも、セックスを


仕事はヒマヒマなのに、プライベートが忙しい。ああ忙しい。そんな時に、「荒地の恋」にはまってしまった。ねじめ正一原作のドラマをWOWOWで見たのがきっかけだ。
「荒地(あれち)」とは、戦後すぐに同人誌として発行された詩誌で、その中心的な人たちは「荒地派」と呼ばれていたらしい。なにせ現代詩などとんと興味がなかったものだから「荒地」のことなど知らなかった。

ドラマは仮名なのでわからなかったが、原作を読んでみると、晩年CMに引っ張りだこだった田村隆一や加島祥造など知った名前の人たちが登場。その人たちが50・60歳。ピンクレディが活躍していた頃の話だ。それも檀一雄の「火宅の人」のようにけっこうどろどろの話じゃないか。
晩年、斬新な表現で話題の宝島社の広告に登場した田村隆一。彼はこの年に亡くなってしまった。

主人公の北村太郎の役を演じている、豊川悦司がやたらいい。とくべつ好きな俳優でもないけど、この前見た映画「娚の一生」でも「今度は愛妻家」もすごくいい。お相手は田村隆一の奥さん役の鈴木京香。これまたぴったりのキャスティング。田村隆一役の松重豊も存在感があった。加島祥造役は、なんと頭脳警察のパンタだ。あまり喋らず、老衰で死んでいく。
2年ほど前に横浜のKさんに散歩に連れてってもらった根岸の競馬場のタワーが毎回、墓標のようなイメージで映し出されるのも効いている。ドラマを見てすぐに原作を買いに行った。こんなことは、ほとんどない。文庫は平積みされていて、またびっくりだ。

原作を読んでさらに発見したのは、登場する詩人の多くが早川書房のミステリーを翻訳していたこと。詩人はお金にならないから翻訳で稼ぐらしいが、荒地派の中心人物の義理のお兄さんが早川書房の創業者とかで、田村隆一などは一時勤めてもいたらしい。ハヤカワミステリーのあれもこれも、この人たちが訳していたのか。
※WOWOWの予告編の動画を貼付けていたがいつの間にか削除されていた


筆にじむ 忸怩たる夜 春遠し


長き夜 手探りでみた 蕗の薹     鯛風



2016年1月10日日曜日

あけまして、あたたかい春


今年のお正月ですは、暖かいですね。昨年の元旦の京都はドカ雪でしたが、今年は16℃になった日も。沖縄では25℃の真夏日になった日もあったとか。2月はじめも暖冬予報。なにか「おかしい」という感じです。日本海では海水が温かく、ブリも海苔も獲れないらしい。暖かいのはありがたいのですが、「異変」は困ります。

北の国の方では暖冬で頭の中がヒートアップしたのか、いきなり水爆実験のニュースが飛び込んできました。サウジアラビアとイランの国交断絶のニュースといい、一気にきな臭い一年の幕開けです。みんなボケてきたのか、家の中ではハイビスカスも咲いています。

ところであまりに暖かいので、どこかにクルマで行ってランチをと思い、比叡平の方に行きました。「Osanpo Cafe」というカフェがある本に紹介されていたからです。カメラマンのスタジオもかねたようなカフェでした。今年の「お気楽さんぽ」はここからはじめようと思い、写真も撮ってきました。
ピリッとしない気分のままスタートしたお気楽なブログですが、今年も一年、よろしくおつきあいくださいませ。




雪恋し 16℃の 注連の内 


初ごよみ はや初夏日 初笑い  鯛風



2015年11月30日月曜日

近所の植木園が消滅していく


鳴滝から嵯峨の方面へ。千代の古道と呼ばれる道もあり、このあたり昔から庭師の家が多くある。庭師の敷地は、いわば木々の畑。さまざまな木々が植えられ、その出番を待っている。大きな自然石もごろごろ置かれ、いろんな形の石灯籠も出番を待っている。なかには、そうとう苔むした石も見うけられる。
こうした風景が2キロほども続くだろうか。四季折々の表情が豊かな絶好の散歩コースであり、夕方ともなると多くの人が往来する道なのだ。地道がアスファルトになったくらいで、昔の面影を色濃く残すこの風景が、今年に入ってずいぶん変わってきた。


今時、植木屋さんという商売は需要がないということなのか。緑濃かった植木園の森がごそっとなくなり、建て売りの住宅地になったり平地に整地されている所が一度に3~4ヵ所も現れた。庭師の人たちが庭師を続けるために泣く泣く土地を半分手放したみたいな風景だ。風情のあった庭師の道のところどころに、ごく普通の小さな建て売り住宅の町ができていく。
僕が小さい頃は、近所の庭師のおじちゃんがローマオリンピックの会場で日本庭園を造りに行くというので、町内会で壮行会を開いたこともあった。その頃はどの建て売りにも小さな庭があって、年に一回は植木屋さんが手入れにきていた。まして鳴滝・御室は邸宅がずらり。さぞかし需要も多かったことだろう。


しかしそうした邸宅街も相続税を払えず売られる敷地が多いらしい。あとには庭のない一戸建てが多く建てられる。マンションに住む人も多くなってきた。ガーデニングは流行っても、植木屋さんの出番はもう普通の家ではないのだろう。考えてみれば、昔の方がずっと豊かな暮らしをしていたのだ。一戸建てにもアパートにも、小さくても庭があった。町のなかには、子どもの遊び場も多かった。
季節の風がちゃんと暮らしの間を通り抜けていく、贅沢な空間のありがたさに気づかなかったけれど。



飛び来ても 休む岩なし 冬の蜂


土あらわ 庭師の夢の 寒き道




2015年11月8日日曜日

維新の面々とお江戸探索へ



わいわいがやがや集まって維新を探検する面々と今回はお江戸探索に出かけた。勝海舟と西郷隆盛の無血開城への会見の場跡。ふたりで江戸の町を見下ろしたという愛宕山。井伊直弼が暗殺された桜田門。大村益次郎像がでんと建つ靖国神社。彰義隊が戦った上野黒門跡。西郷像に、谷中霊園の徳川慶喜公の墓と見所満載の1泊2日であった。

いつものことだが、この旅は番外編が面白い。今回は行く先々で、「正岡子規」の風に吹かれた。
上野公園の野球場は「正岡子規記念球場」という名が付いていた。子規が野球に熱中しプレイしていた球場だ。谷中には子規が大好物というお団子やさんがあった。この芋坂の団子屋は鴎外や漱石なども通ったという老舗。僕たちも焼き団子の串と餡の団子の串をセットでいただいた。そしていよいよお目当ての「子規庵」へ。子規が晩年を過ごした終の棲家だ。俳句を詠む人には聖地なのだろう。グループの方が大勢見学され、帰りには俳句ボックスに投稿されていた。

NHKドラマの「坂の上の雲」を見ていたから、この住まいの子規の暮らしもリアルな感じでよみがえる。へちまがいくつも成る棚も、風に揺れる鶏頭の花もそこにある。元気いっぱいの子規から、病に伏す子規まで。彼のまわりはいつも、弟子たちや友人の熱いまなざしにつつまれていたようだ。

松山に行ったとき休館で入れなかった「子規記念博物館」の仇を江戸で討ち取った。へちまの絵が描かれた手ぬぐいをお土産に買った。






ぶらさがる 命いとしや 子規へちま


団子喰う 皿にへちまの 影揺れて



2015年10月6日火曜日

眺めのいい場所、探しに行こう!


「眺めのいい店」という本がある。京都・滋賀版。眺めのいいレストランや、カフェや、喫茶店を集めたムック本だ。遠い所はついでの時に、近場はわざわざ行ってみる価値あり。ちょっといつもと違う所にドライブしたい、という時、便利な本だ。自分の日常の枠を、お手軽に破っていける。

この前も、「北山」あたりから普段通らない道をぶらぶらしながら、今まで行ったことのない日独会館にある「カフェミュラー」というお店へ行った。鴨川の近くで街からも近いのに、ちょっと入りにくいだけでガラガラ。ドイツ料理のランチとビールがおいしかった。京都では、急増する韓国人や中国人などの観光客が行かないこうした穴場の発掘が急務なのだ。

最近、近場をもっと楽しもうという気分が旺盛だ。完全リタイアすれば、この街でずっと暮らしていくのだから、すこしでも気分のいい時間に出会える場所を、いっぱい「お気にいり」にしておきたい。これには季節的な要因や、イベントとの関わりも大切だから、そろそろ「京都新聞」購読にした方がいいのかもしれない、などと思ったりしている。
喫茶店や食堂やレストランや居酒屋やBarや公園やベンチや石段や木漏れ日の小径や川沿いの道や美術館や図書館や小さなミュージアムなどなど。


だいたい、クルマを運転するのも好きだし。自転車にのるのも好きだし。ぶらぶら歩くのはもっと好きだし。それぞれを駆使して、半径100km、半径10km、半径5kmは詳しくなりたいものだ。そのために新聞記事などもだいぶ切り抜いているが、整理していないのでまだ情報源になっていない。この整理が、当面の宿題ではある。この秋は、今まで知らなかった紅葉を探しに行ってみよう。  
  (写真は亀岡の「プルーンの木」、電車やバスでは行けないお店)



臥待月 日々の慰安の 酒に酔う (「祭りのあと」から) 




2015年9月13日日曜日

新しい007を文庫本で


新しい(といっても古いが)『007』を、文庫本で読んだ。『白紙委任状』というタイトル。著者は『ボーン・コレクター』などの、ジェフリー・ディーヴァーだ。イアン・フレミング以外の作家の007はこれまでにもいろいろあるらしいが、あまり読む気にはなれなかった。でも、『ボーン・コレクター』の作家なら面白いかもと思ったがちょっとスカサレタ感じだ。

登場するボンドは30代のできる青年。イアン・フレミングのボンド・デビュー!と、同じくらいの年齢か。なにしろ初めて読んだのはもう50年以上前の時代。その間に映画もいろいろあったし、30代のボンドをイメージするのはちょっとつらかった。Mはもちろん、マニーペニーも年輩に設定されている。原作もこうだったかな。ショーン・コネリーの渋いボンドイメージが強すぎて、イメージがこんがらがる。
活躍するロケーションは世界を股にかけていい感じ。ボンドガールもいろいろ登場(ガールではないが)。でも数が多くて散漫な印象。ビックリするような秘密兵器が出てこないのはいい。Phoneを使ったヒミツのアプリが大活躍。この辺は「24」のジャック・バウワーの持っているiPhoneと変わらない。
うれしいのはボンドカーに、スバルのWRX(STI)が登場してきた。ボンドもお気に入りのようだ。いままでのボンドカートとは格が違うが。

なんとなく地味だが、お話しはよくできている。映画になってもいいシーンがいろいろ用意されている。物語は気持ち、ちょっと長いかな!ところでボクは現役の、ダニエル・クレイグが気に入っている。ショーン・コネリー以外ならこの人がいい。冷酷そうな所もいい。あまり、ニヤリとはしないけれど。
この『白紙委任状』では、ボンドの両親が二重スパイだったのではないかという話が伏線で進行する。もしかしたら、この小説が映画化されたら、『インディ・ジョーンズ』のようにお父さん役でショーン・コネリーが登場するかもしれない。



見よ彼方 陰謀渦巻く 秋の海


稲妻の 闇の奥から ニャオと鳴く



2015年8月25日火曜日

大洲に行ったら「臥龍山荘」へ


法事で九州へ行った帰りに、フェリーで四国・愛媛に渡り大洲へ寄ってきた。大洲の「臥龍山荘(がりゅうさんそう)」や、内子の町並みを訪ねてみたかったからだ。
大洲には大洲城があり、小早川隆景や藤堂高虎といった武将が城主となった。その昔は宇和島や土佐、港の八幡浜を結ぶ交通の要衝の地だったのだ。江戸や明治の町並みが保存され、「おはなはん通り」はテレビドラマが撮影されていたとか。その街のはずれ、肱川(ひじかわ)の川淵を覗くように建てられたのが「臥龍山荘」だ。

(ろうそく)の貿易で財をなした河内寅次郎という明治の豪商が、10余年をかけてつくった山荘。建築マニアだった寅次郎は、桂離宮や修学院離宮、大徳寺などさまざまな名建築のアイデアをとりいれ、贅を尽くして構想。全国各地から吟味した銘木をふんだんに使い、京都を中心に集めた名工の手でこの山荘を造り上げた。細部には千家十職の細かな技も生きているらしい。
おもな建物は「臥龍院」「知止庵」「不老庵」の三つ。母屋の書院と、二つの茶室を、美しくデザインされた庭がつつみこんでいる。真夏だけに、庭師さんもたっぷりの水をつかって植木の手入れ。飛び石を歩けば、ひんやりして気持ちいい。

なかでも「不老庵」は川淵の崖の松をそのまま柱の一つにしてしまった大胆な茶室。庵は船に見立てられ、天井は竹網代に。その茶室を清水寺の舞台のように、崖から木を組んで支えている。茶室から下を覗くと肱川の川面が光っている。

山荘だから規模は小さく、お寺の裏庭の茶室まわりほど。でも、お金があったらこんな茶室や日本庭園をつくってみたい、そんなことを妄想する人にはとても面白い山荘。小さくてもアイデアがぎっしり。数寄屋建築のジオラマのような山荘。それが100年経って風格を纏い、いよいよ美しさに凄みを増してきたという印象。



夢の淵 あくびひとつを 夏みやげ



2015年8月1日土曜日

阿蘇をめぐって



家の引き出しに、阿蘇のロープウェイ乗り場で買ったメダルが今も残っている。小学生の頃は銀ピカだったメダルが、真っ黒メダルになってしまった。その時の阿蘇の印象は強烈で、ぜひもう一度行ってみたかった。今回、オヤジの納骨の後、阿蘇へ向かったのもそんな記憶を辿りたかったからだ。台風12号が長崎上陸かといわれていた午後3時頃、九州道を阿蘇へ向けて走っていた。

さすが台風の影響。晴れたと思うまもなく雲がわき、霧に包まれ、また光りがさしてくる。パキッと男らしい真夏の阿蘇を期待していたが、ミステリアスな雰囲気の阿蘇に出会ってしまった。今回は阿蘇に1泊したので、いろんな道を走り、南阿蘇の方の白川水源などにも足を伸ばした。しかしついに、高岳や中岳のその全容をみることは出来なかった。山頂付近は雲が降りてきて、まわりは霧状態。ときどき雲が流されると、草千里が現れる。もちろん山頂へは入山規制が続いていて、クルマも、ロープウェイもダメ。雲の切れ目からときどき白く光る噴煙が見える程度。でもかすかに見える噴火口の防空壕のようなコンクリートの塊は昔のままだった。

大きな外輪山に囲まれた阿蘇の風景は、阿蘇だけのもの。高原の感覚もあれば、青々とした長い林間道路もある。ハワイのような雨に浸食されたダイナミックな山肌がいくつも見られ、大きな裾野には畑がひろがっている。信州と違っていろんなお店やペンション、看板がないだけ景色が美しく感じられる。いったい何本くらいの林間道路が静脈のようにこの山々を取り巻いているのだろう。雄大な阿蘇の風景は、クセになりそうだ。

※写真は「ラピュタの道」付近。雲海が出る季節、この道をあがってくると空に続く道に見えるらしい。今は大雨台風で崖崩れ通行止めに。



草千里  緑千色  夏の風


中岳の 噴煙かくす 雲の峰