お気楽さんぽ

お気楽さんぽ

2013年12月31日火曜日

あっという間に、年末に突入

この1年は、とても速く過ぎ去ってしまった。仕事や生活が適度に忙しく、折々にちょっとした事件や出来事が現れ、退屈するということがあまりなかった。親父の病院の付き添いもあったし、流星や彗星の話題も多かった。嵐山も台風もすごかったし、久しぶりの出張取材もあった。
ゴルフもそんなに行ってないし、映画もそれほど見てないのに、それなりに忙しい1年だった。
このブログに関しては、コメント欄はあまり盛況ではなかったけどね。友達のブログを覗きに行っても同じようで、みんな、コメント書くのが邪魔くさいって感じ?カウンターの数字は増えているので、読んでもらってはいるのだろう。あまり熱心に書かなかったこちらも悪い。反省。

今年の秋くらいからは、短歌の本を読むようになったり、クラシックのCDをよく聴くようになった。こんなことは、今までになかった。興味あるものが増えるのは、いいことなんだろう。テレビのドラマもけっこう面白く、録りだめしていた番組を追いかけられるように見た1年でもあった。

年末が押し迫ってきてから、友人知人のあいだで、健康に関わる重大な出来事が相次いだ。会える人には、会えるうちに、できるだけ会っておかなければ。そんな思いが強い。
神戸のお気に入りの本屋さん「海文堂」がなくなってしまったので、一度自転車で、地元京都のいい本屋さんを探しに出かけた。こうした「ぷらぷら」を来年は増やそう。今どきの京都の喫茶店もいろいろいい店を探してみたい。「地元に帰ろう」、じぇじぇじぇ。

どんな来年が待っているのか。とりあえず5月収穫を目指してプランターに蒔いた、えんどうや絹さやの芽がもう出てきた。ちょっと育ち過ぎじゃない?うまく越冬できるかな。薄紫のかわいい花を咲かしてくれるかな。

2013年12月2日月曜日

ぽかぽかと暖かい冬の初め


自転車で、嵐山の方に行ってみた。西京極の方から河川敷のサイクリング道を、嵐山の方に向かう。途中、お年寄りの夫婦(と思うが)が、川べりに腰をおろしていた。ぽかぽかと暖かな日で、空気も澄んでいる。風も穏やかで、寒くはない。冬の初めの一日としては、申し分のない休日。お二人の距離感がなかなかいい感じだったので、思わず一枚撮ってしまった。
写真はうまく撮れていないが、この日は、川の水もとてもきれいで、陽がさせばコバルトブルーに光って流れていた。ちょっと自転車で30分も走れば、こんな風景に出会えるのが京都のいい所だ。

ところが、お二人の目の前には、台風でなぎ倒された川辺の木々が累累と横たわっている。川の中の中洲の木々も倒れかけた姿のまま枯れている。子供たちが野球をする河川敷のグランドが何面もあったのに、みんな砂が流されて、砂利だらけだ。
ニュースになった渡月橋の辺りは台風の後片付けも終わり、閉まっていたお店も開いていたが、下流の方へ行くと、台風の爪痕は残されたままだ。

昨日、天気がよかったので、朽木の方にドライブに行った。ここまでくればもう紅葉も終わり、葉っぱもだいぶ落ちていた。
なんか川の幅が広がっているような気がしたので、酒屋でおばさんに聞いたら、あの台風の日、あちこちで山の土砂崩れが起こり、とても怖かったらしい。山に挟まれた里で、夜に降る異常な豪雨は、ほんとうに怖いだろう。狂ったような川の水が、両岸の草や木や土砂をみんな流していったという。

秋が終わり、冬が来て、春も過ぎる頃。草や木々の緑が萌え出してくるまでは、こうした爪痕は、爪痕のままその姿をさらけつづけるしかない。

2013年11月24日日曜日

久々の維新探検、茨木に全員集合


とつぜんの病気に見舞われたり、体調不良が起こったり、家庭の事情がなんやかやあったり、全員揃うのもなかなかままならない維新探検隊。この日ばかりは全員集合。めでたく維新探検番外編とあいなりました。探索するのは、昨年末からお預けになっていた「茨木」へ。

阪急茨木駅で集合し、まずは茨木城の面影を訪ねて散策。それにしても駅前の商店街は大きく活気があり素晴らしい。ちょっと横町にはいるとタイムスリップしたようなお店が並ぶ。ここだけをじっくり見ても面白いかも。

続けて川端康成記念館や、富士正晴記念館へ。とくに富士正晴の世界が楽しく紹介された記念館は特別イベントもあり、楽しく見ることができた。
お昼はざるそばと天むす。このあとは、西国街道の郡山宿の本陣を訪ねる。
かつては御成門脇に咲く五色の椿が有名で、「椿の本陣」と呼ばれたところ。大名行列の宿泊の様子を、現在の当主が語ってくれる。

帰りは西国街道をぶらぶら歩いて、茨木駅前へ。お疲れ様、「こがんこ」で盛り上がった打ち上げとなりました。それにしてもまぁ、皆さんよく食べはること。お元気で何よりです。

2013年11月12日火曜日

雲海に浮かぶ竹田城へ


竹田城へはだいぶ前から行きたかった。近くを通ったりするけど、なかなか行く機会がない。雲海を見ようと思ったら、11月とか3月とか夜と朝の気温差が大きい季節で、朝7時には着いてないと見られないという情報がインプットされているからだ。

峰山高原のホテルを4時に起床。真っ暗なホテルの駐車場で10分ほど、満天の星を眺めた。なんと車のフロントガラスは霜が凍り付いていた。5時前出発、一路、竹田城へ。ホテルから30分。播但連絡道へ入る前に、真っ暗の空に山並みが見えてくる。そろそろ夜が明けてくるのか。高速を走っていると、あたりの山々の下に雲海が闇の中に浮かび上がっている。竹田城だけでなく、このあたり、円山川が流れる峡谷の地はどこも低く雲海がたなびいているようだ。


和田山ICで降り、イオン和田山店へ。竹田城は早朝からすごい人気で朝8時までは自家用車が規制されており、休日は前夜から並ぶ60台のみ。それ以外の人は、無料のバスに乗り換えていかなければならない。100円駐車場も見あたらない。イオン店につくと朝6時過ぎなのに200人以上の人が並んでいる。30分に1本のバス。何台目に乗れるのだろう。ということで、歩きを選択。登り口の山の下まで1時間、そこから40分登って竹田城へ。

一番最初に目に入った登山ルートは「観音山ルート」。いきなり幅30センチほどの丸太の階段が一直線にまっすぐ延びる急峻な道。ジグザグもできなく、20分も登ればはぁはぁ呼吸が荒くなる。何でも、竹田城を北から守る砦跡らしい。早朝いきなりの登山のご褒美は、お隣の山から雲海に浮かぶ山城の姿が見られること。

8時前に竹田城に着いたあとも、1時間くらいは雲海に浮かぶ姿を見ることができた。日本のマチュピチュは、お年寄りも若い人も、外国の観光客も多い。いやあ~、いいもん見られたなぁ。苦労して行くだけの価値ある風景でした。今、お城の正面の(JR駅からの)登山ルートは補修中で入れないがそこからが正式な入り口。人気が下火になったら、今度はそちらから行ってみたい。

2013年11月4日月曜日

たまには高原の風もいいもんだ


 楽天、優勝おめでとう。楽天の選手あまり知らないが、試合は面白かった。第6・7戦は、引き込まれるように見てしまった。マー君だけでなく、出てくる投手がみんないい顔していて、すごい。タイガースもがんばってほしいわ。

このまえ1泊で、兵庫県の砥峰(とのみね)高原から、朝来市の竹田城へドライブ旅行してきた。初日はまず、中国自動車から播但連絡道を通って、砥峰高原・峰山高原へ。このシーズン、ススキが一面にひろがっていて有名な高原。テレビの「平清盛」のロケ地としても人気。
クルマを止めて、2時間ほど高原をぶらつく。ススキはすでに終わりかけ。だいぶ枯れていた。それでも逆光に輝くススキの穂が揺れて、美しい。春、高山植物が咲く頃も、山の方の散策路もいいかもしれない。

林道を通って、峰山高原へ。この林道が、ススキの並木道みたいになっていて、とてもきれい。途中の「黒岩の滝」へ寄る。30分ほど沢へと下がって行って、帰りのしんどかったこと。この滝の下の滝壺付近や、これから行くホテルの森で、映画「ノルウェイの森」の冬のシーンなどが撮影された。

リラクシアというホテル、昔の簡保の宿だったらしいが、広大な敷地に、料理もおいしく、しかも安い。ここはおすすめです。夜は、ホテルから一歩外に出ると真っ暗。懐中電灯がないと、駐車場も歩けない。星空観察にやってくる人もいるほど、らしい。満天の星空を見たのは何年ぶりだろう。
明日は朝早く起きて、日本のマチュピチュ(らしい)竹田城へ。

2013年10月20日日曜日

懐かしのソノシートがでてきた


 先日、レコードの棚を整理していたら、小学生の頃買っていたソノシートと、中学生の頃買っていたシングルレコードが出てきた。ソノシートの頃は、まだ、世間的にもステレオがなく、プレーヤーで音楽やを聴いていた時代だ。
ソノシートは「戦争音楽」や「テレビの戦争ドラマの主題歌」だった。もう少し後になってビートルズや、クレイジーキャッツや、007のものが加わった。多分、百貨店の特売かなにかで買ってもらった記憶がかすかにある。もう、その頃のプレーヤーもなくなってしまった。きっとすごいチープな音色で、今聴いたら、とても懐かしいだろう。

シングルレコードは、「モンキーズ」とか「ベンチャーズ」とか。中学当時、友達の家にステレオがきて、「これがステレオだ」というステレオに付属のレコードを聴いたことがあるから、ようやくお金持ちの家の応接間に登場してきた頃だ。僕は多分、ソノシートを聴いていたプレーヤーで、レコードを聴いていたのだろう。その当時は「これがシネラマだ」という映画を見に行った記憶もある。なんでも、初めて登場!が多かった幸せな時代だったんだ。

僕にビートルズを初めて聴かせてくれた、2歳上の近所の兄さんは、不良じゃないのに、親からも近所からも不良の音楽を聴いているという目で見られていた。僕も、なにかコソッと聴きに行くという感じだった。
その人はオリコンに就職し、定年までずっと音楽と関連した仕事に就いたようだ。

2013年10月12日土曜日

 芦屋川沿いをぶらり


また、神戸の方を歩きたくなったのでお出かけした。新快速から普通へ、JR芦屋駅で乗り換えのつもりだったが、途中下車。芦屋の町をぶらりした。まずは北へ、山の手へ。旧山邑邸というフランク R ライト設計の建物を見に行った。建物もいいが、神戸港を見晴らす絶景。そこからすぐ西へ行けば、茶陶器の教室もある滴翠(てきすい)美術館もあった。

そのあたりから、芦屋川沿いを下りながら、芦屋浜方面までぶらぶら。もっといろんな高級ブティックがあるのかと思っていたが、大きな邸宅がずっと並ぶばかり。さすが芦屋。邸宅地を商業地にはしない、という空気を漲らせていた。
芦屋浜の辺からバス⇒ 電車で三ノ宮へ。栄町通りをぶらぶらし、ビールなど飲みながらお散歩。この辺りは古着屋さんやアンテークな店が多く、若い人たちの流行りの通りのようだ。

そして最後は、お目当ての「海文堂」さんへ。大好きな本屋さんだったけど、この9月30日で閉店されるのだった。面白そうな本を3冊ほど買った。2階の海の小物を売っている売り場は、もうほとんど品切れ。海文堂さんのオリジナルらしい船の絵はがきを2葉買って、サヨナラした。
ターミナルの大きな本屋さんもそれなりに便利だけど、「ウチはこんな本に強くてよく揃ってるでしょ」とか「地方の出版社の本も揃ってますよ」とか、「主人の趣味でこんな本も置いてるんです」とかいう個性を売りにしていた本屋さんが、街からどんどん消えていく。古本屋さんのいいのがいろいろ出てきたのは嬉しいが、本のセレクトショップみたいなお店がなくなっていく。

2013年10月5日土曜日

50年前から、鏡面文字の看板


嵐電の西院駅前にこの教室はある。中学生の頃にはあったと思う。電車の車窓からすぐ前に見えるこの鏡面文字の看板は、その頃はペンキも剥げていた。けったいな看板、というのが第一印象。なんでも教えるんや、が第二印象。
はじめは、なんて書いてあるか、熱心に見てたはずだ。この看板は、僕が広告の仕事をするずっと前から、広告とはなんぞや?という「問」を発信してくれていたのだ。

昔の看板には、「アコギ」なんてなかっただろうから、きっと教室の先生も息子の代になっているのだろう。こういう世襲もあるんだ。想像だけど。
嵐電で遠足に行く今の小学生たちも、自然とこの看板と向きあうことになる。きっと目の中に「???」が浮かぶことだろう。こういう、ほどよい刺激のある町はいいね。歩いていて、楽しい。

最近見違えるようにキレイな看板になったのは、ギターやなんやかんや、教わるひとが増えたのだろう。高齢者社会のアクティブ・シニア層のおかげだ。家の近くの、カラオケ・サロンも流行っているようだ。お昼から、お茶でも飲みながらカラオケは、これからのシニアのライフスタイルになっていきそうだ。

2013年8月31日土曜日

家の近くで火事があった


家の前が幹線道路なので、パトカーや救急車、消防車がよく通ります。嵐山まで一直線の道なので、お寺が火事となったら、京都中の消防車がこの道に集結してくるようです。
しかも電車の踏切があるので、救急車両も一旦停止。電車が通るときには、お行儀よくサイレンを止めて待ちます。

もう、この感覚にマヒしていたのでしょう。何台もの消防車が家の近くに止まっても気づきませんでした。
よっこらしょと起きた家人が、窓を開けると「焦げ臭くない?」。確かに焦げ臭いし、目の前には消防車が止まってる。表に出て、幹線道路にでたら、もう煙がもうもうとして200mほどは霧のようで、道路の見通しもよくありません。
10軒ほどの西のラーメン屋から、煙が出ていました。火は見えず、煙だけ。お店だけで住人はいないので、けが人もいないようです。後で、回ってきた回覧板によると火の不始末だったとか。

こんな近所で(家にいるときに)、火事があったのは久しぶりでした。不謹慎な。昔、会社の連中と話していた時、小学生の頃に見た火事を(火事の炎の凄まじさを)きれいだと思ったことを素直に言ったら、無茶苦茶、非難されたのを思い出しました。
それにしてもこれくらいの小火でも、大事にいたらぬよう、10台もの消防車が来ていました。

2013年8月4日日曜日

岩のような木


雷でやられたか、台風でへし折られたか。8mくらい上からポキっとなくなって何年経つのだろう。御室仁和寺の西門の横に立つこの木は、この辺りの土地の主のように思える。威風堂々と立っている。

この木より太い木は、仁和寺境内に何本もあるだろう。でもこの木には、それらの木に負けない存在感がある。苔に表面を侵された木は、その木肌を堅くし朽ちず、岩となってだんまりをきめたみたいだ。ユーモラスな佇まいさえある。頑固じいさんが、魔法にかけられ岩になってしまったようだ。
死んだふりして、どっこい、下の方の根っこ近くには、若い木が何本か生え育ってきている。
この生えてきた若い木が西門の主となるまでには途方も無い時間が必要だ。

この前、友人と話をしていたら、やはり散歩したりするときに気になる木が何本かあるみたいだ。そちら方面にお出かけした時は、「こんにちは」と様子を見に行きたくなる木。耳を当てて水を吸い上げる音を聞いたり、木肌にさわったり、抱きしめたり。静かな時間の流れとやらを教えてもらえる、日立のCMのように、「気になる樹」たちなのだ。

ところが、ところが。この前見に行ったら、木は倒され、コンクリートで埋められていた。なんで?がっかりだ。なにか安全上の問題でもあったのか?そんなに簡単に切らなくてもいいじゃないか。釈然としない空気が、仁和寺西門のあたりに漂っているのでした。もう、この姿は見られない。

2013年7月28日日曜日

土曜の朝にホットケーキ


土曜の朝は、久しぶりにホットケーキを作って食べた。
作るのは2回目だけど、これがなかなかうまくいく。メープルシロップの甘さが好きなんだろうなぁ。
ホットケーキは昔の味がする。家で作ってもらったこともよくあったが、百貨店の大食堂で食べたという思いが強い。
懐かしい昭和の家族の物語、「3丁目の夕日」味。カルピスも、ミルクティーも、オムライスもあの頃の味だ。ここから卒業するのはなかなか難しい。

最近のメニューではホットケーキと呼ばず、パンケーキというらしい。とくにハワイはワイキキのパンケーキが人気で、エッグスンシングスという有名な店の前は人が並んでいて、すぐには食べられない。ハワイまできて並びたくないなぁ。このお店は、東京や大阪にも進出して、どこもすごい人らしい。最近の流行って、ほんとうに偏り方が激しい。

エッグスンシングスのパンケーキは、山と盛り上げられたホイップクリームが売りで、すごいボリューム。でも、ボクはホイップクリームが苦手で、ショートケーキもダメ。だから並んでまで食べたいとは思わないが、フルーツが山盛りってのはちょっと魅かれる。
これからは、メープルシロップにラムを混ぜてみるとか、サイドの一品を工夫するとかして、土曜の宵のメニューに進化させていってみよう。

2013年7月21日日曜日

マドラスチェックの季節だわ


暑いなぁ。あちちやなぁ、この夏は。昔なら、夏のVANは、このマドラスチェックが定番やったね。
高校から大学1年くらいの時、マドラスチェックのボタンダウンをよく着てましたわ。簡易に染めているので、ものすごく色が落ちた。他のものとは洗えず、別に洗濯してたもんね。でも、この、色落ち具合と、色の混ざり具合と、安物のコットンらしい、くたくたになる生地がなんともいえない味わいを醸すのです。
でもやっぱり、この色落ちへの消費者の文句が多かったのでしょう。インドで染めたマドラスはだんだんと少なくなり、ついに見かけなくなりました。マドラスチェック風の色の落ちないそれ風のシャツはありますが。


ところで、IVYの流行は面白い。つい3年ほど前も流行ってました。”TAKE IVY”がまた、バイブルのように売られていました。何回も生き返ってくる。ゾンビのような、なかなかしぶとい本です。とか思ってたら、呆気なくそのブームも終息。いやいや流行の回転の早いこと。

写真のシャツは15年ほど前に、偶然見かけて買いました。マドラスチェックってまだ、あったんだ。色違い2枚買って、まだ着てます。このシャツの色が落ちていく感覚が好きなのかもしれません。最近はユニクロの麻のシャツをよく着てます。これも、ほどよく色が落ちていくからです。
くたくたになったシャツやパンツを、ピシッと着こなす。これが理想です。そのためには背筋をピンとする、これができないのです。

2013年7月11日木曜日

ヨコハマお気楽さんぽ


 久しぶりの更新。ここんとこなんか忙しくて。その一つ、東京出張。早朝からの打ち合わせなので、前日に出発。横浜に泊まりました。
前々からKitamuraさんに、遊びにおいでと誘われていたので、10年ぶりくらいの横浜散策。

写真は中華街の中にある煙草屋のキャラクター。なかなかいかした紳士です。で、中華街でお昼を食べて、いざ根岸競馬場跡へ。
以前からKさんのホームページで写真やを見たりブログを読んでいて、ぜひ行ってみたかった場所。
未だ米軍に接収されたままの土地だが、返還された住宅地の公園から垣間見ることができる。米軍のゆったりした住宅地とともにタイムスリップしたような風景。左の方が、米軍の住宅地。ゲートでカメラを向けると、コラッ写すなと飛び出してきました。
今回は行かなかったが、根岸森林公園もよさそう。

その後、港の見える丘公園の方に歩き、お茶。港の方におりて、ここも行きたかったニューグランドホテルへ。今は新館ができているけど、旧館はタイル一枚から贅沢です。中庭もありラッフルズのよう。
アタマのなかではエディ潘の『横浜ホンキートンクブルース』が流れています。

ああ、よく歩いた。ここからもう少し頑張って歩いて、野木へ。野木小路の路地テラスの呑み屋であれこれ話すうちに、夜も更けていくのでした。

神戸よりも人が少なくて、時間がゆっくり流れている感じ。ちょっと歩くと風景がどんどん変わる。やっぱり港町はいい、と思ってしまった。
あちこち案内してくれたKitamuraさんありがとう。横浜は、また歩いて、呑みに行きたくなる街ね。

2013年6月4日火曜日

旧朝日会館、壁画は東郷青児


 この前の大阪朝日新聞ビルで思い出した、京都の朝日会館の壁画の話です。

その壁画ビル、小学生の頃、いや高校生くらいまであったかな。今の朝日会館に建て変わる前は、東郷青児の絵が壁画となっていたのです。下の写真、寺町通りから、公衆トイレのある道を河原町通りの方に歩いて来る、この写真がわかりやすい。(しかも東郷青児の壁画は2代目、はじめは違う絵だったらしい)

当時を偲んで、今の朝日会館ビルのエントランス部分にはタイルでミニ壁画が造られています。この絵がビル壁面いっぱいに描かれていたのです。
記憶がチョー薄~いのは、壁画の色も薄~いブルーグレイの背景色で、ピンクの色などもだいぶ色褪せていたような印象だったからです。

こんな大きなビル一面に描かれた壁画ビルって見たことあります? 当時の小さかった私には、そんなことが驚くに値するかどうかわからないのでありました。最近ではビル一面のラッピング広告という同じように見えるものがありますが、あれはダメです。街の文化がありません。

違う写真もありました。旧朝日会館の北には教会。跡地は今、京都ロイヤルホテルになってます。映っている教会は、ホテルの南へと移っていきました。なんて素敵な風景。京都の町中は高いビルがなく、大きな空が見えていいのですが、この当時の空の大きさといったらパリのようです(行ったことないけど)。

2013年5月22日水曜日

あれは、航空灯台だったのか


今春「フェスティバル・タワー」がオープンしたばかりだが、向かいの朝日新聞ビルの取り壊しがさっそく始まった。工事フェンスからは、屋上の一部だけが見えている。

この朝日新聞ビルが建ったのは、80年前の1931年。周辺に10階という高い建物はなく、大大阪を象徴する高層ビルだったのだろう。やさしいアール(曲線)につつまれたデザインは、客船をイメージしたものとか。たしかに、バルコニーのついた船の客室のようなイメージだった。
屋上から見れば、堂島川と土佐堀川の2つの川は、あたかも波を分けて進むイメージ。大阪湾へと航海する豪華客船だ。(もうすぐオープンするダイビル本館も同じコンセプト、客船をイメージした曲線が特徴なんだそうだ)。

そして今、工事フェンスからちらりと見えているのは、船の艦橋をイメージして建てられた、空の灯台だったとか。
空飛ぶ飛行機やヘリに、位置と高さを知らせる、航空灯台。夕闇せまる頃から、赤・緑・白の三色にイルミネーションされ、3000ワットの光の矢が夜空に放たれていたらしい。思い浮かべれば、なんてモダンなシティ・イメージなんだろう。きっとわくわくするポスターもあったのだろう。

その航空灯台は、消防署の火の見櫓でもあったらしい。当時は、神戸や泉州や枚方あたりまで、ぐるっと見晴らせたのだ。そしてなんと、この灯台の足下の屋上には、スケートリンクまであったらしい。10階には、高級レストランの「アラスカ」。なんて贅沢な、ビルなんだ。
そういえば、もう今はない京都の朝日新聞ビルは、東郷青児の壁画。レストラン「アラスカ」もあったなぁと思い出してしまった。

2013年5月13日月曜日

「鍋倉渓」は石の天の川



筍掘りに行った時、月ヶ瀬の知り合いが、近くに面白いところがあるからちょっと行って見ようと誘ってくれました。山の中腹に、大きな石がゴロゴロしてるんやと。
月ヶ瀬からクルマで20~30分。「鍋倉渓」という所でした。奈良県山添村の神野山(618m)の中腹に、大きな石が川のように流れていました。

まるで、土石流のフリーズドライ。石が星なら、石の天の川のようです。
実際、この石の天の川には、白鳥座のデネブ、こと座のベガ、わし座のアルタイルという、七夕の頃の天の川に見られる夏の大三角形が、巨石で配置されているらしい。古代の巨石信仰と七夕信仰が伝わる、不思議ゾーンでした。

この岩の川は600mの長さがあるとか。たどって頂上へと歩きました。
神野山の頂上は、奈良、生駒、京都、室生、伊賀方面360度見渡せる絶景。ちゃんと展望台も作られていました。そして頂上にも、白鳥座のデネブにあたる「王塚」が祀られていました。

この鍋倉渓は、伊賀の天狗と神野山の天狗が喧嘩して、石を投げ合って出来た風景とも、古代人が築いた巨石構造物ともいわれているらしいですが、火成岩の一種で出来た地質は学術的にも価値の高いものとか。
もっともっと知られてもいい奇怪な景色。ちょっと行きにくい所ですが、天理からバスというのが一般的なアクセスらしい。不思議気分にひたれる、まだ知られていないパワースポットではありました。

2013年5月5日日曜日

「レイン棒」と名付けました


 今年のGWもまた、月ヶ瀬に住む知り合いの家に行き、筍掘りをしてきました。
木津川沿いの国道163号は、新緑のさまざまな緑に彩られて美しいドライブルート。クルマの窓を開けて走りたい気分ですが、ちょっと寒い。笠木の川辺では、オートキャンプ場にあふれんばかりのテントが張られてました。

もうすぐ月ヶ瀬という空に、今まで見たことのない「虹」が架かっていました。ほぼ水平。大きな虹の上の方だけ見てるんだろ‥ といわれそうですが、アークはありません。一文字で、両端はちょっと上に反っている感じです。こんな虹は今まで見たことがありません。「レイン棒」と名付けておきました。

 
筍は去年と同じように大収穫。奥さんが料理してくれた山菜は、ウドの芽、タラの芽、鷹の爪(唐辛子じゃないよ)、こごみ、わらび、紫えんどう、よもぎ などなどの天ぷらや五穀米のような混ぜご飯。美山荘で美味しい料理をいただいているような贅沢さではありました。

さて、見たことのなかった虹は、次の日に朝日新聞にも珍しい「水平虹」として記事になっていました。
この日はもう一つ、見たこともない奇怪な景色に出会いました。そのお話はまた次回に。

2013年4月29日月曜日

「いらっしゃいまじん」だそうだ


久しぶりに大映通りの方にぶらぶら出かけたら、なんと「大魔神」が出現していた。大映通りのスーパーの前に高さ5mという、立派な「大魔神」が立っていたのだ。ひと月前に除幕式があったという。
どうやら町おこし(商店街おこし)のようで、合い言葉は「いらっしゃいまじん」だそうだ。この通りも最近はすっかり閑散。日曜日も、シャッターを閉めた店が多い。勝新のオムライスで有名な食堂「蔦屋」も無くなってしまったからなぁ。

しかし、もったいない。この「大魔神」は誰のために立っているのだろう。一駅隣りのボクでも知らなかったからPR不足。毎日、嵐電に乗っているけど、そんなポスター見なかったし。
観光客を商店街に呼び込みたいなら、商店街の中じゃなくて、帷子の駅前に立てるべき。電車から「大魔神」見えたら、そうとうインパクトあると思うけど。

子供たちは「大魔神」知らないから結構怖いかもしれない。親も、このキャラクターを説明するのは難しいだろうな。始めの頃の大魔神はモノクロ映画で、悪いお代官さんをやっつける正義の味方。やさしい埴輪の表情が、一転して怒りの大魔神になるのだった。出てたのは、姿美千子だったかしらん。

「大魔神」もなにげに、目が空ろだ。所作い無さげに立っていて、その怒りをどこにぶつけていいかわからず、握りしめた拳が震えている。もっといい場所を見つけてあげたら、きっと人気者になれると思うのだけど。

2013年4月23日火曜日

京北から花背へ、桜ドライブ



 このブログのヨウドウさんのコメントに触発され、京北から花背の方へドライブしてきました。
途中、高尾神護寺のあたりもヤマツツジが今を盛りに咲いていました。紅葉の新緑も、柔らかな若草色できれい!先週はマスターズが開催されたオーガスタもアゼリアがきれいでしたが、こちらもなかなか絶景です。

お目当ては、常照皇寺のさらに奥、黒田町というところにある春日神社の桜。鳥居を挟んでピンクの八重桜と真っ白な八重桜が咲いています。白い八重桜も、限り無く白く美しいですが、名物はピンクの方の八重桜です。
この桜は樹齢三百余年とか。八重の手まりのような桜の中に一重の桜が混じっています。ピンクの八重に、一重の白い花びら。微妙な色合い、写真で、わかるかなぁ?

山桜の突然変異なので、種子はできないが、桜守の佐野藤右衛門さんが30年かけて苗作りに成功、「黒田百年」と命名したそうです。


テレビで紹介されたとかで、1時間に1本くらいのバスが着いて、たちまち観光客
だらけ(こちらもですが)。おじいさんが慣れない交通整理をしていました。ここから花背までは20分くらい。道々、桜がまだ盛りと咲いていました。

特別、桜が好きという訳ではないのですが、桜のある里のやさしい風景は好きです。春が来て、もうすぐ夏が来るという季節の新鮮さも好きなのかもしれません。
さぁ、桜も終わった。そろそろどこかに、てくてくしに行きたい気分です。

2013年4月7日日曜日

まだまだ桜は残っているよ


先週の金曜の夜は、新入社員歓迎の夜桜花見の宴会を、恒例の靭公園にて開催。今年は花見の期間が長く、桜がだいぶ残っていた。昼は真夏日の温かさ、いつもより早い花見なのに寒くはなかった。

土曜日は一日中、雨と風。今日の昼になって雨が上がりかけてきた。もしやと思って、昼飯ついでに、植物園横の半木(なからぎ)の小径の枝垂れ桜を見に行ってみた。やっぱり、残っている。満開はすぎて散り始めか。空が明るくなってくると、あたりの空気を桜色に染めて、美しかった。京都を囲む山々も、山桜と若葉のパステルカラーで彩られている。

下の写真は、先週、人が多いのを承知で哲学の道の桜を見に行った。大豊神社では今、枝垂の梅と枝垂の桜が一緒に咲いているという。なんと30年ぶりのこととか。これは見ておこうと、出かけたのだ。あいにく、梅の方はだいぶ寂しくなっていたけれど、左右から咲き誇る競演はなかなかのもの。

もうそろそろ桜も終わりかと思うが、京都はこれから。御室仁和寺の「お多福桜」が咲き出す。仁和寺の前を通ると五分咲きの看板。でも、山門横の御室桜はまだ一分咲きともいえない。来週末から、再来週末にかけてが見頃になるだろう。

2013年3月28日木曜日

桜でうきうき、「ジャンゴ」でがっかり


東京ではもう、桜も満開だそうだ。寒くなってきたのと、雨で、週末の花見は期待できないとか。京都の桜はまだまだ、これから。早めに咲くしだれ桜だが、法金剛院の西行桜も満開はこれから。ソメイヨシノも三分咲きになったくらいかな。はやければ、日曜くらいに暖かければ花見が出来るかも。

一昨日は、会社が休めたので映画を観てきた。タランティーノの「ジャンゴ」。それにしても最近は映画の上映期間が短い。いつも行く二条のシネコンでは「ジャンゴ」はもう終わりかけ。平日は夜の1回興業だけだ。しかたなく三条のシネコンをネットで見れば、こちらはまだやっていたので、ネットで予約。即、見に行った。

結果から言うと、がっかり。マカロニ・ウェスタンへのオマージュということで、相当期待したが、空振り。初めのタイトルは感じが出てたのに、尻すぼみ。タランティーノのアカデミー脚本賞、嘘だろう。

ボクの場合、マカロニウェスタンの印象は、ギラつく太陽だ。水のない砂漠から、すべての水分を蒸発させるような、容赦ない熱と、立ち上る陽炎。陽炎に揺れる、太陽、サボテン、馬や人のシルエット。それなのに、それなのに。タランティーノの「ジャンゴ」には、それがないのだ。血しぶきのリアルさ、ひつこさはタランティーノ節だけど、灼熱感がないんだもの。
囚われた奥さんが、炎天下の下の鉄の箱に入れられて、拷問されているんだけど。全然熱くなさそう。鉄の扉を開けて、バケツの水を奥さんにぶっかけても「ジュッ!」ともいわないもん。珉珉の餃子で蓋を開けて水をさしたら、ジュッジュッって、音して、蒸気がもうもうとたちあがらなきゃ。あの感じがないもん。ザラつかないもん。全編にわたって、詰めが甘いと思ってしまったのでした。
クリストフ・ヴァルツも、ディカプリオも、とってもいい味出してたのに、残念でした。

帰りのエスカレーターで、40代位の夫婦が「高級なマカロニ・ウェスタンやなぁ」と云っていた。この人達はリアルタイムでマカロニを見たことがないのだろう。「高級なマカロニ・ウェスタン」なんて、ちっとも美味しくないんだよ。

ちなみに、この前観た「世界にひとつのプレイブック」はまぁまぁ楽しく見られた、主演女優賞をとったジェニファー・ローレンス、おめでとう。その前の「ハンガーゲーム」から、いいなぁと思っていたよ。

2013年3月1日金曜日

大きくなったぞ、モンステラ


このモンステラは、その枝ぶりに迫力があります。ハワイでよく見かける植物で、部屋の中をハワイの雰囲気にしてくれます。ハワイ柄のプリントで、花といえばハイビスカス。葉っぱ柄なら、このモンステラです。楕円の葉っぱにきれいに切れ込みが入って、南国って感じ。
しかも、日本の気候にも強く、何回も京都の冬を越えてご覧のように大きくなって、生き延びてきました。夏も冬も、室内にいれています。冬がうまく越せない南国植物の中でも、頑張り屋さんで手間いらずです。

一つの葉の根元から、新しい一枚の葉の芽とヒゲのような根が1本出てきます。この伸びた根を、茎の周りにくるくると巻いてやります。湿気の多い6月くらいには、いきなり大きく育ってしまうことも。ボリュームがあるので、こいつが一鉢あると部屋の雰囲気がぐんと変わってきます。

この初代モンステラは一鉢500円くらいからここまで成長しました。花屋さんでもこれくらい大きいのは、けっこう高いン万円の値段が付いていて、うれしくなります。よくぞ、育った。だから今は買わずに、葉っぱ一枚を切って、水に浸して、根を出したら植え替えて、増やしていくのです。が、なにせ場所取りの植物だから、むやみに増やすわけにもいかない。
モンステラの愛好家は多いみたいで、いろんな情報がネットですぐ手に入ります。そうそう、虫が付きにくいというのも大きな魅力です。

2013年2月8日金曜日

北野神社で「福は内」「福は内」


2月3日節分。どこか面白そうな節分はないかと、「京都手帳」などを見ると、おなじみの北野神社でも茂山千五郎社中の狂言と、上七軒の舞妓さん芸子さんによる踊りがあるらしい。

まずは、前に紹介した「誠養軒」で餃子と焼きそばを食べて、いざ北野さんへ。本殿の東側の神楽殿で行われるよう。1時開演のところ、15分前に着いたが、正面も横もすでに見物客でいっぱいだ。

狂言は北野神社のオリジナルのものとか。菅原道真の舎人をしていた十川能福(そごうのうふく)という人を祀った「福部社(ふくべしゃ)」というのがあり、お詣りすると、招福や金運のご利益があるらしい。その福部社のご祭神である福の神が主人公。
北野神社にお詣りにきた善男善女を深泥池の鬼が襲うが、福の神が出てきて、鬼を払うという「北野追儺(ついな)狂言」。茂山逸平さんもいたが、今日は裏方にまわってかいがいしくお手伝いをされていた。

その後、上七軒のきれいどころ五人による艶やかな踊りが奉納された。きれいな舞妓さん一人と、色っぽい芸妓さんを見っけ。
最後に舞台から、出場者全員や神主さんたちによる豆まきが行われた。福豆も3袋ゲット。
北野の梅ももうだいぶふくらんでいて、こちらのお楽しみもすぐのようです。

2013年2月2日土曜日

睨みをきかす鍾馗さん


 京都の町中を歩いていると、多くの家の庇(ひさし)に鍾馗さんを据えているのを見かける。他の土地でもそうしているのかどうか知らないが、家を災いから守るため置いている。なんでも、鬼より強い鍾馗さんということで、鬼瓦の対面に置かれることが多いようだ。上を向いて歩いていると、ほんと、いろんな表情をした鍾馗さんに出会える。

瓦屋さんのホームページを見ると、家同士で睨みあわないように、横を向いた鍾馗さんがあったり、鍾馗さんの代わりに「おたふく」を置く家もあるらしい。ご近所付き合いもたいへんだ。
そのホームページでは、地震や火災から住まいを守るインテリアとしても売られていた。沖縄のシーサーのように、西京極あたりで京土産として売られる日も近いかも。
下の写真のように鍾馗さんをショーウィンドウに並べた瓦屋さんを時々見かける。やはりマンガチックな表情をしているものより、小さくてもキリッと強そうな鍾馗さんが売れ筋なのか。こんど町中をお散歩するときは、庇に座っている「おたふくさん」を探してみよう。

ところで、イテテテテッ! 家に鍾馗さんが無いためか、お散歩しすぎたせいか、先々週から足の踵が痛くなり、歩けなくなりました。しばらくビッコで会社に行ってました。今はほとんど治ったのですが、接骨院をやってる友だちに見てもらったところ、足底の筋が伸びきってしまって土踏まずが無くなっているとか。フクラハギのヒラメ筋が炎症を起こしていて縮こまっているせいらしい。それに引っ張られて足底の筋が伸びきるとか。テーピングをしてもらい、テープをもらい、サポータなどしながら、やっと治ってきました。

2013年1月20日日曜日

お~珍しや、アヴァンタイム



2002年頃に発売された、ルノーの前衛的なデザインのお車。こんなに車体が長くて2ドア。しかもセンターピラーなしのハードトップ。中は5人乗りの応接室のような革張りシート。とくに後ろからの眺めが独特です。デザイナーは、パトリック・ルケマンという人で、この頃のルノーのデザインをリードしていたデザイナーです。

私の愛車もこの人のデザインしたメガーヌⅡというクルマ。リアガラスからヒップのあたりが、このアヴァンタイムのデザインを受け継いでいます。もう8年乗っていますが、デザインは全然古い感じになりません。そういう意味では変わったデザインのクルマはお得です。
でももう老化は避けられず。あちこちに強化プラスティクを使っているので、鋼板との色の褪せ方が違っていて、ボディがグラデーションみたいになっています。この前、下取りいくらか聞いてみたら、なんと10万円。そんな、あほな!個性的なクルマは中古になっても売れないのよね、といわれてしまいました。あと2~3年は乗り続けます。


メガーヌの話はともかく、このアヴァンタイムは500万くらいするうえに、こんなに変わったスタイルですからなかなか売れません。3年ほどで生産中止になってしまったそうです。京都市内でも見かけるのは時々です。でもやはり、存在感があります。
日本車も売れ筋の無難なデザインばかりでなく、昔のコスモやフェアレディやキャロルのような、見た目にも楽しいクルマを出してくれたらいいのに。もうエンブレムを見ないと、どこのメーカーのクルマかわからないもんねぇ。

2013年1月14日月曜日

ロマーノ、柳家、サクセス


みんな会社の近くにあった喫茶店です。その頃の広告プロダクションでは、多くの人が昼間は喫茶店にたむろしていたのです。学生時代の就職活動時、先輩の先輩を訪ねて会社訪問した時も、まず喫茶ロマーノで待ち合わせ。そこで会社の人や社長に紹介され、そこで作品を見せ、面接までされてしまいました。ロマーノはネルでたてるコーヒー。会社に入ってからも3時頃には、ぶらぶら穴にもどるような感じで通っていました。

柳家は会社からちょっと離れているのですが、地下鉄 肥後橋駅の近く。クライアントに打ち合わせに行った帰りなどに寄っていました。ネルでたてたストロングコーヒーが懐かしく美味しかったお店です。その当時からレトロな店内。でも、ストロングコーヒーは当時でも珍しくなっていました。オヤジさんと娘さんで(多分)営んでおられました。

サクセスは、つい最近までよく行っていた喫茶店。昼飯の後に2日に1回はサイフォンでたてるコーヒーを飲みにいってました。「美人ママのお店」の看板もだいぶ古くなってきました。ここのママとはゴルフでのお付き合いももう20年ちかくになるでしょうか。「能勢CC」へ「美加の原GC」へ、よくおつきあいしていただいています。
コーヒーを飲む前に、リンゴや柿やメロンやと、フルーツも出してくれて、コーヒー300円也。申し訳ないほどお安いです。しかしこのお店も昨年末で閉店。寂しい限りです。そして、お疲れさまでした。

2013年1月1日火曜日

今年の手帳に、「数」 と書いた


あけましておめでとうございます。
今年の元旦、まず初詣へ。大晦日の「ガキの使いやあらへんで」を見終わって氏神さんの福王寺の神社へ。
そしてその後は、いつもの北野の平野神社へ。今年はいつになく人が少ない感じ。時間がちょっと早いためか?
天気は晴天。ぴしっと冷たい冷気のなか、福王寺の拝殿の上には目映いばかりのお月さんが浮かんでいた。

ところで。年末のBSテレビで、東北の被災地を積極的に映画に撮っている、園子温監督の特集番組があった。カンヌで話題の「ヒミズ」や、最新作の「希望の国」で、なぜ被災地を撮ることにこだわるのか。その答えが、監督が書いた詩で紹介されていた。


「 数 」 園子温

まずは何かを正確に
数えなくてはならなかった
草が何本あったかでもいい
全部、数えろ。 
花が、例えば花が、
桜の花びらが何枚あったか。 
涙が何滴落ちたか
その数を数えろ。
今度また
きっとここに来るよという
小学校の張り紙の、
その今度とは、
今から何日目かを
数えねばならない。
その日はいつか、
正確に数えろ。
もしくは
誰かが伝えていけ。
季節の中に
埋もれてゆくものは
数えあげることが出来ないと、
政治が泣き言を言うのなら、
芸術がやれ。


「むきだしの愛」の感情扇情映画の監督が、被災地への「しつこい思い」を「数」という言葉に託していた。この考えは、イメージ優先の今の時代そのものへの大切なメッセージでもあるだろうと思った。という訳で、今年の手帳のトップページには『 数 COUNT 』 と書いた。私も、「数」という視点を大切に、この1年を過ごしてみよう。

そして今年も引き続いて、東北地方のお酒を呑んでいこうということで、お正月のお酒はこの2本。いただきます。